週刊アスキーにて連載されていたコラム、
「岡田斗司夫の ま、金ならあるし」の記事再録です。
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岡田斗司夫の最終ビジネス(3)
************************************「SF大会、名古屋で決まったよ」 東京の大物SFファンはそう言い放った。「困るなぁ。SF業界の慣例を知らない者にひっかき廻されちゃあ」 大会の開催地はSFファングループ連合会議という組織で討議され、開催地を選定するという。そんな情報どこにも書いてなかったけど、それぐらいは”伝統あるサークルに属していれば”知っていて当然の常識だそうだ。「もう会場まで押さえたの?困った人たちだなぁ。とりあえず小さいイベントでもやりなさい。それが成功したら考えてもいいよ」 肩を落として大阪へ帰った僕たちを待っていたのは、SF研OBたちの猛烈なお説教だった。後輩のしつけもできないのか、と東京ファンから散々、イヤミを言われたらしい。
この一連の屈辱や復讐心が僕たちに火をつけた。
小さいイベントでもやってろ?ようし、やってやる!本家のSF大会よりおもしろいイベントにしてやる!
翌月のSFマガジンに僕は謝罪告知を出し、同時に「大阪でSFショーを開催します!」と宣言した。開催日は名古屋SF大会の一週間前。戦いのゴングは鳴った。
・・・と書くと格好いいが、現実は厳しかった。
まず参加者が集まらない。ひと夏に二回のSFイベントは多すぎる。しかも名古屋SF大会の一週間前だ。
内容もアピールに乏しかった。SF大会は公認イベントだから安心感もある。有名なSF作家も大勢参加する。どちらか一方に参加するなら、誰もがSF大会にするだろう。
それにしても、七百名収容の会場で参加者たった百四十名は予想外だった。舞台から見下ろすと、ほとんどが空席。本当にガラガラという印象だ。
負け惜しみを言わせてもらうと、内容的には健闘したと思う。参加者からの評判も上々だった。名古屋SF大会が例年と変わらぬマンネリプログラムで不評だった分、業界内で僕たちの地位は上がった。
しかし、それ以上に僕たちには膨大な赤字が残された。
八十万円。学生にとっては笑い事ですまない金額だ。僕は親に頭を下げ、借金を申し込んだ。返済方法は実行委員会メンバーで話し合い、一人十万円と決めた。
とはいえ、みんなにとってSFファン活動は単なる趣味だ。十万円なんて大金、払いたくないに決まっている。現実問題として、返さなくても誰も困らないのだ。僕以外は。結果、実際に返してくれたのは二人だけ。残りはすべて言い出しっぺの僕が丸1年、ガードマンのバイトで支払った。
そして一年後、復讐の時は来た。
大赤字のSFショーはひとつだけ遺産を残してくれた。「あいつら、やるじゃないか」という業界での評価だ。
僕たちは来年度日本SF大会の開催権を勝ち取り、「81年は大阪SF大会 DAICONⅢで」とぶちあげた。
二年前、あれほど苦労した参加者集めも「SF大会」という公式イベントだとあっけないほど簡単だ。定員千二百人はあっという間に埋まり、来る日も来る日も、我が家の郵便ポストには定額小為替が束になって届いた。
参加費六千円×千二百人=七百二十万円。これだけの予算があれば、なんでもできる!浮かれきってる僕たちに、なんとも甘美な提案が持ち上がった。
「せっかくだから、SF大会のオープニングアニメを作ろうよ」
天国と地獄が、同時にはじまった。
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