FREEexなう。

2016年07月08日

僕の家はアニメスタジオだった

週刊アスキー「岡田斗司夫の ま、金ならあるし」。
2010年の記事再録です。

◆岡田斗司夫の母vs税務署(13)

(1)からの一気読みはこちら http://goo.gl/L10s6c

 僕の家はアニメスタジオだった。
 ・・・ダメだ。どうもカッコ悪い。「僕の村は戦場だった」というカッコいい題名の映画があるから真似しようと思ったのに。

 大学生の頃、僕の家はアニメスタジオになってしまった。内職から会社を興し拡大させた両親は、核シェルター付の巨大な邸宅を造った。
 僕の部屋は三階で、姉が嫁に出たあとは50平米以上の空間を独り占めしていた。やがて隣の土地も買い工場ができて、三階同士が連結されてショールームになり、実質的に僕の部屋は3つ、合計100畳を越えた。

 あっというまに僕の部屋はみんなのたまり場になり、編集部になり、宿泊施設になり、アニメスタジオになった。
 それまでほとんど友達もいなかった僕に連日来客があるのが嬉しかったのだろう、両親は彼らをもてなしてくれた。食事を奢り、酒を出し、寝具を用意した。つまみやオヤツも切らさなかった。賞味切れ寸前の核シェルター備蓄食材だったけど。

 しかしそれにも限度がある。みんなの泊まり込み日数が一ヶ月を超える頃から、母はあからさまに不機嫌になった。「斗司夫はみんなに利用されてる」「たかられてる」と愚痴るようになった。
 そんな母の怒りがついに爆発する日が来た。アニメスタッフの庵野秀明、赤井孝美、山賀博之の三人が我が家に泊まり込み準備を持ってやってきたのだ。

 ヤバい。三人とも、いかにも「温泉旅館の長期逗留客」っぽい荷物持ってる!他のスタッフはカバン一つで、いかにも「今晩は帰れなくなっちゃった〜。泊めてもらえませんか〜」みたいな格好なんだけど、この三人は違った。
 着替えやその他なんでも入った巨大なバッグや登山用リュックや紙袋、とにかくありとあらゆる装備や身の回り品を両手や肩や背中に背負って、両親に「お世話になりま〜す」と挨拶して三階へあがったのだ。
お世話になりま〜す、はマズいよ!

「斗司夫、ちょっとおいで」
 母の声は震えていた。すると三階から山賀の声が降ってきた。
「すいませ〜ん、お風呂もう入れますか?」
 母の顔は真っ赤になった。しかし無類の見栄っ張りである。深呼吸ひとつで落ち着きを取り戻し、税務署員すら騙される猫なで声で「もう入れるわよ〜」と返事する。

 荷物を降ろした三人が降りてきて、山賀と赤井は風呂に入った。残った庵野にも母は声をかける。
「あんたはお風呂、入れへんの?」
「僕は先月入ったからいいです」
 庵野は平然と言い放った。そう、この当時彼は「数ヶ月に一度しか風呂に入らない男」として有名だったのだ。清潔好きの母親が目をむくと、さらに庵野は続けた。
「僕、肉とか魚とか食べられませんから」
 母は絶句したが庵野の追撃は続く。
「でも、酒は飲みます!」

 すごくチャーミングな笑顔の庵野。うん、君には悪気はない。でも僕のママン、ちょっと怖い人なんだよ!



以上、『岡田斗司夫の ま、金ならあるし』よりお届けしました。
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