- 庵野秀明は君たちには興味がない
- ヱヴァンゲリヲンとは“ハードSF少女漫画”である!
- オタクの迷い道
2012年12月3日放送ニコ生ゼミよりより
この講演の全長版はクラウドシティと「エヴァQを観た・次回作を予想する・投票権を放棄する」で絶賛公開中!!
僕は「なんでこの映画には冬月が必要だったのか?」っていうのが気になったんですよ。
なぜ、冬月はゲンドウに最後まで付き合うと言ってるんでしょう?
なぜ、冬月とシンジが将棋を指すシーンが必要だったんでしょうか?
なぜ、ゲンドウはあんなにもユイを生き返らせたいんですかね?
そこに僕はすごく引っかかりました。
┃庵野秀明は君たちには興味がない
逆に、僕があんまり引っかからなかったのが、14年後の世界という舞台設定ですね。「ああ、一番最初のアニメから14年も経ってるし、きっと“エヴァしか作らせてもらえない自分”みたいなものを投影しているんだろうな」っていうだけで。
別に、庵野くんはファンに対して「進歩がない!」とか言うつもりはないんですよ。冷たい言い方をしますけど、映画作家というのはそこまで観客に興味がないです。自分にしか興味がない。どちらかというと、富野由悠季さんが『Ζガンダム』とか『逆襲のシャア』をやった時に発言していた、「いつまでたってもガンダムしか作らせてもらえない“僕”」っていう言い方。クリエイターっていうのはそっちの方にビビットに反応するんですね。
だから、14年後の話にも関わらず登場人物が成長していないんだったら、それは“エヴァに心を囚われていて進歩していない観客”ではないんです。作家はそこまで観客に興味が行かない。そうじゃなくて、“いつまでもエヴァを作り続けている自分”という方に行く、と。

┃ヱヴァンゲリヲンとは“ハードSF少女漫画”である!
では、エヴァの読み方です。 僕の考えでは、シンジって冬月の子供なんですよ。ヱヴァンゲリヲンっていうのは、昼メロなんです。庵野くんの好きな少女漫画を映像化したものを昼メロって言うんですけど、それなんです。だから、全ては血縁による因果関係のドロドロで出来ているんですよ。
それはなぜかというと、冬月とシンジの将棋のシーンです。あれは“キャッチボール”なんですよ。洋画にはよく少年と大人がキャッチボールしているシーンがありますよね? あれは「その少年と大人は親子である」っていうメタファーなんです。
だけど、まさかエヴァでキャッチボールをさせるわけにはいかないんですよ。まず、インドアな性格っていうのもあるし。なによりも、キャッチボールをやっちゃうと親子であるということがハッキリわかり過ぎちゃう。だから、将棋を指す程度がいいんですね。それを見せることで、冬月とシンジが親子であるということを観客にこっそりわからせるている。
で、ゲンドウも処分したと言っているユイの写真を何故か冬月だけが持っている理由。あれは自分の女だからですよね。だから、いつまでも写真を持っているわけですよ。冬月がゲンドウに「俺はいつまでもお前のそばにいるよ」って言うのも、あれはBLでもなんでもないんです。“贖罪”です。冬月はゲンドウに対して罪の意識があるから、その罪滅しなんです。
では、なんでゲンドウはユイを生き返らせたいのか? ここまで話をすれば簡単にわかりますよね。彼女を生き返らせて何がしたいのかというと、「シンジの本当の父親は誰なんだっ!?」って問い詰めたいからに決まってるんです。つまり、これから先の劇場版4作目はドロドロになるんですよ!(笑)
つまり、膨大なSF設定の上に昼メロが乗っかているわけですね。庵野秀明はヱヴァンゲリヲンで“ハードSF少女漫画”っていうのをやろうとしているんです。

┃オタクの迷い道
「自分は本当は誰の子供なんだろう?」 これが、昼メロ的な世界での根本的なアイデンティティの在り方なんですよ。
それを男性的に読んでしまったり、SF的に読んでしまったり、心理学的に読んでしまったりするから、「アイデンティティとは?」とか「人間の本質とは?」みたいに考えてしまう。そうすると迷宮にまよいこんでしまうんです。
ストレートに昼メロだと思ったら、「自分は本当は何なんだろう?」という台詞が、イコール「自分の本当の両親は誰なんだろう?」であるとわかる。
もう、エヴァは韓流ドラマとかだと思って見てください。それで大丈夫です。
ライター:矢村秋歩(FREEex)
- 夏期集中講座一限目「エヴァってなんだ!」
- 夏期集中講座二限目「碇ゲンドウの誤算」
- 夏期集中講座三限目「もっと面白くなるアニメの読み方」
- 夏期集中講座四限目「エヴァQの読み方」
2012年12月3日放送ニコ生ゼミより
この講演の全長版はクラウドシティと岡田斗司夫ブロマガちゃんねる「エヴァQを観た・次回作を予想する・投票権を放棄する」で絶賛公開中!!