- アニメは見るのではなく読め!
- 言いたいことこそ言えない辛さ
- ネルフにゲンドウと冬月しかいない訳
2012年12月3日放送ニコ生ゼミよりより
この講演の全長版はクラウドシティと「エヴァQを観た・次回作を予想する・投票権を放棄する」で絶賛公開中!!
エヴァQを見て面白かったのが、碇シンジと渚カヲルたちは、エヴァ新劇場版3作「序・破・Q」の「序」とか「破」から始まる世界を何度も何度もループして繰り返している。という考えの人がいます。「序」の最後で月に棺桶がいっぱい並んでいて、そこからカヲルくんが起き上がってくる。あれは、テレビゲームの残機数の様に棺桶の数だけこの世界はリトライ出来る。カヲルくんに予備がいくつもあるから、この話がもう一回繰り返し、すでにこの「Q」の世界は、4回目のループに入っているという考えです。
テレビ版のエヴァ、昔の劇場版もそのループの一つで、なるほどなと思ったんですけれど、実は僕が面白かったのは、全然違うところなんです。
┃アニメは見るのではなく読め!
僕にとってアニメは見るものというより、読むものなんです。
どういうふうに読んで、感じて、人に話したり意見を言うのかが大事で、その意味ではアニメの見方に正解というのは無いんです。これが正解で正しいと受け取るのではなく、カラオケで歌うために聞くようなものなんです。凄くイイ曲を聞いたらカラオケで歌いたい。その場合、できるだけ原曲に近く歌おうとしたらモノマネなってしまいます。そうじゃなくて、自分なりの歌い方で、良いアニメを見たら語りたくなるし、そうやって語ったことは作家や監督は違うと言うかもしれないけど、でも「こっちのほうが面白いじゃん」、とか「こんなふうみんなで盛り上がった方が楽しいじゃん」というのが僕のアニメの楽しみ方で、それをアニメを「読む」といっています。新劇場版エヴァ「Q」を読んで、どう考え面白がるテキストに使うのかが今日の話です。
┃本当に言いたいことこそ言えない辛さ
「悩みのるつぼ」風に読んでみました。「悩みのるつぼ」というのは、朝日新聞でやっている人生相談です。僕は相談している文章にあまりこだわりません。みんなは最後の一文にある「どうすればいいでしょうか」とか、悩みの中に書いてある事にとらわれますが、それは良くないんです。悩みを相談する人は、1~2時間のドラマの冒頭15分が終わって、そこまでをまとめて書いてくる。今までの人生をまとめて相談しているから、それを想像しないと何を相談したいかよくわからない。何を困っているのか見ぬく事が大事なんです。
僕が見るところ、エヴァンゲリヲンというのはシーン優先型の作品なんです。こういうお話を書きたいというシナリオ優先型ではない。こんなシーンを見せたいというシーンのストックが膨大にあって、それらを次々に繰り出すお話なんです。
その意味ではダンスユニットの曲みたいなんです。つまりEXILEとかちょっと古いですけどTRFの曲というのは、歌を聞いているだけじゃなくて踊りも見なきゃ駄目。でも実は踊りと歌詞と曲自体が、そんなにシンクロしてなくてもいいんです。
エヴァもお話とシーンのシンクロは、あまり考えられていません。それよりはカッコよさ、面白さによってうまく接着されているお話だと僕は見たんです。どんなシーンが並んでいるかで、この作者は何が言いたいのか汲み取ることのほうが、面白い見方だと思いました。
言ってしまえば、映画というのは映画監督が観客に「俺こんなこと考えてんだよね」と、自分の悩みを打ち明けてるんです。でも、本当に言いたいことって、なかなか言えないもんなんです。すでに恥ずかしくない事しかセリフに出来ないし、心の中の傷でもカサブタが出来たことしかフィルムに出来ない。逆にフィルムにすることでカサブタにすることも出来る訳です。本当に言わなきゃいけない事は言えないし言葉に出せない。本当に見せたいシーンは描けないし描いちゃいけない。そうでないと映画作家は、映画を作りながら正気を保つことが出来ない。これが僕の考え方なんです。
そんな作者でも、自分の作ったキャラクターは可愛いんです。不幸にしたくないんですね。エヴァを見てる人の中には、キャラが不幸になっているから、例えば押井守さんは、庵野秀明は自分の作ったキャラに全然思い入れが無いって書いていますが、ありえないと思います。自分の作ったキャラは可愛いし不幸にしたくない。けれど物語という運命からは自由にしてあげられないんです。自分たちが考えた物語だから、その物語と運命の中で精一杯その人らしく生かしてあげることしか出来ないんです。それが作者の視点です。

┃ネルフにゲンドウと冬月しかいない訳
では具体的に言ってみましょう。僕は冬月が気になったんです。
エヴァQでは廃墟となったネルフとミサトさん達の組織「ヴィレ」
2つの組織が「悪のネルフ対正義のヴィレ」という戦いをしています。悪のネルフには、もうお父さんの碇ゲンドウと部下の冬月しかいない。これに関してはすでに色々なことが書かれています。あの組織は冬月が全て一人でやっているのか。碇シンジが話す時にポンとあたるライトも、後ろで冬月がやっているのか。洗濯もやってるのか。など、いろいろと言われていますが、それはどうでもいい事です。
なぜそうなっているかと言うと、シーン優先だからです。ポンとスポットライトがあたるところを見せたい。シンジが一人っきりであるところを見せたい。他の人間を一切見せたくない。でも、冬月だけは絶対に必要だから入れている。だから矛盾があるのは作者も承知でやっているんです。精一杯シーンとしての重みとカッコよさを載せるけれど、整合性は足りない。それよりは書きたいシーンを書かせて欲しい。つまり。シーン優先の作品になっているからです。
ライター:忠内寿弘(FREEex)
- 夏期集中講座一限目「エヴァってなんだ!」
- 夏期集中講座二限目「碇ゲンドウの誤算」
- 夏期集中講座三限目「もっと面白くなるアニメの読み方」
- 夏期集中講座四限目「エヴァQの読み方」
2012年12月3日放送ニコ生ゼミより
この講演の全長版はクラウドシティと岡田斗司夫ブロマガちゃんねる「エヴァQを観た・次回作を予想する・投票権を放棄する」で絶賛公開中!!