録画をした君は、この解説を頭に入れてもう一度みてみよう!
- 学園マンガのひみつ
- 庵野くんのひみつ
- 漫画家への道のひみつ
- 若さの恐ろしさのひみつ
ドラマ24『アオイホノオ』(テレビ東京系)毎週金曜日24時12分
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・久々に登場の矢野健太郎
ヤノケンが登場すると、画面の華やかさが一気にUPする。ドラマ内で唯一「芝居口調」で発声するキャラだからだ。いつもまっすぐに姿勢良く立ち、今回も増刊少年サンデーを「台本持ち」して、読みあげる。この瞬間、テレビドラマらしさは消えて、演劇空間が発生する。
ヤノケンは他のキャラとの集団演技やモブシーンは向いていない。この点、トンコと同様である。
なぜかというと、このドラマ版アオイホノオではトンコとヤノケンは「対称的な二つの役割」をしているから。
モユルを無理やりな屁理屈で励ますトンコと、理性的に問い詰めるヤノケン。
マンガ版ではモユルのモノローグのみで内面として描かれるシーンも、トンコとヤノケンというキャラを使うことによって、よりドラマチックに構成できるのだ。 -
・「どう見ても俺のマンガがこのマンガに負けているとは思えない」
増刊サンデー・マンガカレッジに入賞した『ガリベンくん』を睨みながらモユルはつぶやく。視聴者としては、そろそろこの『ガリベンくん』が気になってしかたないところ。これを描いて投稿した人も、まさか30年後にこんなカタチで世に問われるとは想像してなかっただろう。
そろそろTwitterとかで名乗り出て、ノーカット版の『ガリベンくん』、読ませてくれないかなぁ。
先日の2014年夏コミケで原作者・島本和彦は当時サンデーに実際に持ち込みした『トータス1号』を同人誌として復刻した。岡田斗司夫も作者よりプレゼントされて一読したが、そのレベルが当時としては高いのか低いのか、正直わからない。
『ガリベンくん』と対比できれば、当時のモユル=島本和彦になにが足りなかったか、よくわかるのになぁ。 -
・「学園マンガだからさ!」
これは監督・福田雄一自身の心の叫び。
「トンコさんと津田さん、どっちが好きか?」とかチンタラやってたほうが、よっぽど楽だし視聴率も取れる。それはわかってる!
でもオレ(福田)はヒットするとわかり切ってるその学園ラブコメに、あえてアクションやSFやわけわかんないクリエイターの葛藤を乗っけてメガヒットさせてみせる!
アオイホノオを福田雄一作品として見ると、監督のこういう気概が伝わってくる。 -
・「学園マンガだ・・・」
偉い、モユル!よく気がついた!
時は1980年、当時のマンガ編集部には大きな悩みがあった。
「持ち込みマンガのほとんどがSFマンガ」ということ。
少年・少女マンガの読者大部分は「普通」のマンガを読みたい。すなわち恋愛マンガとかスポーツマンガとかだ。
しかし、読者の中のマニアックな層だけがSFを読みたがる。そういうマニアックな層は作品を体系的に読むし、他の作品とも比較する。また、そういうマニアックな読者「だけ」が投稿作品を持ち込むような「マンガ家の卵」になる。
結果として、編集部にはマニアックなSFものばかりが持ち込まれる。
一般読者が読みたいマンガと、マニアックな読者が描きたいマンガ。このギャップに当時の編集部は悩んでいたのだ。 -
・「それだけは避けたい・・・」
この庵野のセリフ、いったい何度聞いたか(笑)
庵野は人のアイデアをそのまま使うことを嫌う。なので自分でワンアレンジしないと、なかなか納得しない。
でもそのアレンジを思いつかないとき、延々と「それだけは避けたい」と悩む。
逆に言えば、彼が「それだけ使えるアイデアなんだけど、悔しい」と悩んでいる様子なのである。 -
・山賀の妹
僕は見たこと無いけど、山賀本人にソックリ、と聞いたよ。
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・コーヒー牛乳
当時の庵野のエネルギー源。
糖分と蛋白質をすべてここから補給していた。 -
・「男は風呂に入らなくても死にはしない」
当時、庵野だけでなく僕も風呂に入らなかった。
僕は2週間ぐらい平気だったけど、庵野は桁違いの半年とか1年とか風呂に入らない。
僕も庵野も主張は同じで「風呂に入らなくても死なない。死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ。オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」
それでも当時の僕は、2週間で髪が痒くて入ってしまった。庵野に聞くと、一ヶ月あたりで「痒くなくなる」らしい。
庵野が数ヶ月に一度、風呂に入ったときは「身体を洗ったお湯が灰色になった」などの伝説がある。
ちなみにマイクロソフト創業期の話。ビル・ゲイツが25歳、1980年頃だからアオイホノオとちょうど同時期。
ビル・ゲイツも風呂に入らないので有名で、秘書兼広報のおばちゃんが記者にこう言ったそうです。
「ビルは風呂が嫌いなのではありません、風呂よりももっと大事なことがあると言っているんです」
聞いたか、島本和彦!
風呂とかトンコさんとか、お前は学生時代にリア充すぎるんだよ! -
・「ガンダム漬けだ」「庵野の最高のおもてなしだ」
テレビシリーズの機動戦士ガンダムを、第一話から順にぜんぶ見せる!もちろん庵野自身が隣に座って、見どころ解説を副音声でやってくれる。
これ、別に庵野だけじゃなくて赤井も同じ事をしていた。赤井の場合はNHK人形劇版「三国志」だけど。
このように、当時のオタクはありあまる熱量で「全話解説」など当たり前のようにこなしたのだ。
僕なんか、いまだにやってるよ、コレ。
┃漫画家への道に勝ち目はあったのか?
岡田 島本先生は、このアオイホノオの焔モユルの時代である80年代のはじめには、このマンガ界というものに入って行ける場所だと考えていたわけですか?
島本 いや、それまでは、手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生とか横山光輝先生や松本零士先生が何本も描いていて、どの週刊誌もその人たちで埋まっていたから、新人が入れる余地が全くなかったし、例え新人が出てきても俺たちが「何だコイツ、こんなところに入ってきやがって」と受け入れなかったじゃないですか?
その状態を打ち破ったのが、あの『まいっちんぐマチコ先生』で、さらにマンガ少年でますむらひろし先生という新しい作者が出てきた「おかしいぞ! 少年ジャンプ以外では、新しい作者が出て来ないはずなのに!」ってね。『アオイホノオ』でも、当時の少年ジャンプを描くことが一番難しいところなんですよね。
岡田 確かに『アオイホノオ』に少年ジャンプは出て来ないですよね? ジャンプの新連載の絵の下手なモノを俺たちは、山ほど見ていたし、「小林よしのり第1話ショック」とかあったじゃないですか?
島本 それはみなさんがそれぞれ調べる宿題だよ!
岡田 でも、小林先生は、集英社から産経出版そして今は『SAPIO』で描いてるから小学館系列ですよ。「小林よしのりショック」いけないこともないじゃないですか?
島本 江口寿史先生や小林先生は、時代がちょっと上の世代だから出てこないんですよ。
岡田 そうか、標的にならないんだ。
島本 それよりもさ、俺が小学校5年生の時にはじめて「ウルトラマンエースに子供ができて、その子供が地球を守るためにやってくる」というパロディマンガを描いていたんだけどね。
タイトルは言わないけれど少年ジャンプでそういう連載がはじまったんだけど、それを見たときに「この企画通るんだ? やったモン勝ちなの?」と、なにも分からなくなっちゃったんだよね(笑)
岡田 これ通るなら俺がいままで言われて来た「駄目」はなんだったんだと(笑)
┃若いというのは恐ろしいね
岡田 『アオイホノオ』の中に、ジャンプの編集者が出てくるじゃないですか。焔モユルはあの人にも「俺のマンガは駄目かもしれないけど、何でコイツはありなんですか?」みたいなことを色々言ったはずなんですよ。
島本 いや、僕はあの人のことが好きだったから言わなかった(笑)
岡田 島本先生って好きな人には、必ず奇抜な服を着せて描きますよね。
島本 いやいや、これには大変な事情があるんだよ。察して! 察して!
岡田 いや、ゴメン! 流石にね、察するには遠すぎて、もうちょっとヒントがあれば(笑)
島本 ヒントは、こんな服を着ていたマンガの担当をやっていたかもしれないんじゃないかなみたいな、それで終わり。
岡田 はい。
島本 『アオイホノオ』では、集英社のジャンプに原稿を持ち込んでるシーンを描いていて、良い感じになっているんだけど、今を考えるとおかしいでしょう?
岡田 そうだね。島本先生は結局ジャンプで描いてないですもんね。
島本 いや本当に若いときって、ひどいことをするよなっていう(笑)
岡田 あっ! ジャンプが冷たかったとか、敷居が高かったとかいうのではなくて、島本先生がひどいことをしたんですか?
島本 そうそう。もう本当に若いって恐ろしいですね。
岡田 誰が?
島本 もうねぇ。本当その辺、どうやって描こうかと思っているんだよ。
この対談の全長版はクラウドシティと島本和彦×岡田斗司夫対談「アオイホノオの真実」で絶賛公開中!!
ライター:城谷尚也(FREEex / アルテイド)