進化し続ける3Dプリンター。
その究極の目標は「3Dプリンターそのものを出力できる3Dプリンター」です。
自己複製できるなら、それはもう「生命」と呼べるのでは?
と僕は考えます。
2014/02/04日号掲載
確かに、3Dプリンターの原材料を採掘するため、運搬するためには、まだまだ人間の手が必要でしょう。
しかし、それを言うなら人間だって他の生物の助けがないと生存できない。
土や岩を食べて人は生きられません。
土と太陽の光を有機栄養に変換する植物がいないと、人は生きていけないのです。
同様に、3Dプリンターたちは「生きて、繁殖するため」、言い換えれば「可動し、複製するため」には、人間との共存が不可欠、と考えてみました。
こうなると、機械と生命の境界線はとてつもなくアヤフヤになります。
【自己複製できる機械は生命である】
【生命は進化する】
生命の定義をこのようにまとめると、3Dプリンターは「生命」になってしまいます。
え?
人間がプログラムしないと動かない3Dプリンターは生命とは言えない?
ところが、その境界も「人工知性」が埋めつつあります。
コンピューターが発明された当初、「機械に知性が持てるかどうか?」の論争は、以下のポイントに絞られました。
・人間にチェスで勝つ。
・人間の自然言語による質問に答えることができる。
この二つが可能なら、その機械は人間と同じく知性がある。
これがミンスキー博士をはじめとした、20世紀後半の人工知能学者たちの定義です。
映画「2001年宇宙の旅」に登場するコンピューターHAL9000は、宇宙飛行士たちと会話し、チェスで人間を負かせます。
キューブリック監督が「このコンピューターには知性がある」と説明するために挿入したシーンなのです。
映画が作られた1960年代後半、「人間にチェスで勝つコンピューター」は、まだまだ遠い未来と思われていたんですね。
しかしIBMの「ディープブルー」は1996年に人間の世界チャンピオンに勝利しました。
すでに「ミンスキーテスト」の前半はクリアされていたんです。
もう一つのテスト「自然言語の対話」はかなりの難問でした。21世紀の直前ぐらいまでは「あと100年は無理」と言われたぐらいです。
しかし、機械翻訳の商業化で情況は大きく変わりました。
ついにiPhoneが登場し、人工知能は大きく進化したのです。
<<前回、「3Dプリンター」2はこちら
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