ロトスコープ自体は新しい技法ではない。第二次大戦前からあったし、初期のミュージックプロモで有名な作品もある。
しかし、僕にとって「悪の華」のロトスコープは、ちょっと物足りなかった。俳優さんの俳優の演技が「普通」なんだよね。
2013/10/08・15日合併号掲載 「新しい表現」を目指すために、あえて普通の演技してる動きをアニメ化している。最初の数分は見たことない映像にドキドキするんだけど、じきに見飽きちゃう。「普通の演技」をアニメ化するわけだから、画面からの情報量は減るので、なんだかタイクツに感じちゃうのだ。
アニメに限らず、絵は写真より情報料が少ない。少ないのは欠点ではなく「特徴」だ。現実の諸要素をあえて編集して、必要な「見せたい情報」だけで再構成する。これが絵やアニメの強みの一つだから。
だからアニメの演技は「本当に自然」ではいけない。それは写真と絵の差と同じく「雑情報が入りすぎている」からだ。
ジブリアニメはこれが抜群に上手い。ちゃんとデフォルメしながらも、体重移動や腰のひねりなど人体の「あるべき動き」がキチンと描かれている。
対するに「悪の華」のアニメ作画は、「リアルな動き」は完璧だけど「動きの省略やデフォルメ」が無い。なにが僕にとって物足りないかというと、声優さんの演技とのギャップだ。
声優の演技と俳優の演技も、また違う。実はそれは「絵と写真」「アニメと実写」の差に似ている。俳優の演技は自然でリアルだ。しかし声優の演技は「アニメの絵と合う」のが必要だ。単にリアルじゃ無くて「省略とデフォルメ」が必要なのだ。
ジブリアニメが声優を使いたがらないのは、自分たちの作画演技にとって「声優っぽい演技がジャマ」だと知ってるから。ジブリアニメは「アニメのお約束的演技や構図」を排して、リアリティを目指している。だから声優演技の「過剰なデフォルメ」がジャマ。
対して他のアニメ、たとえばエヴァや「進撃の巨人」は、アニメ的なお約束の範囲内で動きを極めようとしている。だから声優演技がジャマにならない。逆にアニメ演技と相まって補完的に「自然界のリアルでは無い、アニメ世界のリアル」を表現している。
あ~、ややこしい話でごめん。
要するに「アニメ」という表現にあうのは、タメやキメのあるメリハリの効いた演技ということだ。アニメの声優さんの演技も、普通の演技じゃなくタメやキメを多用している。そこが「アニメらしさ」でもあり、たとえば宮崎駿などジブリ監督の「リアル志向」には嫌われるわけ。
で、「悪の華」ってこれがどっちつかずに思えちゃう。絵や動きはロトスコープで「リアル志向」なんだけど、声は声優さんだから「アニメ志向」なんだよね。
そこで「みんなのアニメ」だ。思い切った方法でやってみたい。ジブリの「リアル志向」でもなく、普通のアニメの「アニメ志向」でもない。第三の方向性。
これを「声優志向」と僕は名付けた。
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