「王は偉大だ」というのは、見た目で表現するのが当たり前だったんだなぁ。キリスト教会が巨大で天井がバカ高いのも、おなじくすべて「偉大=でかい」というバカにでもわからせるための装置だったんだ、と実感した。
週刊アスキー 2013年6/25号 掲載
パリが欧州の「京都」だとすると、フランス郊外のランスは例えるなら「高野山」だ。
パリのノートルダム聖堂が観光客で一杯なのに対してランスの聖堂は敬虔なキリスト教徒で溢れている。
高野山というたとえが関西以外では伝わらないかな?
「鎌倉の大仏みたいなもの」と言い換えてもOK。
要するにパリみたいな都会よりずっと宗教的な本気度が高い。
聖堂内に入ると、見学客の数よりもあきらかにロウソクの数が多い。ロウソクは日本のお寺での「有料線香」にあたる。パリ・ノートルダムでは数千人の観光客に対して、たぶん100本程度。しかしランス・ノートルダムは数百人に対してパリと同じか、それ以上のロウソクが灯っていた。
隣接する博物館には歴代フランス国王の記念品が展示されている。ルイ王朝の王様たちの着ているマントとか、とにかくすごい。僕たちがイメージしている「マント」とは厚みも大きさも重さも、それこそ数倍違う。
「王は偉大だ」というのは、見た目で表現するのが当たり前だったんだなぁ。キリスト教会が巨大で天井がバカ高いのも、おなじくすべて「偉大=でかい」というバカにでもわからせるための装置だったんだ、と実感した。
「偉大=でかい」にすっかり洗脳された僕は、土産物ショップで「中世甲冑セット」「名家紋章セット」「歴代フランス王戴冠式衣装セット」というワケわかんないトランプセットを買った。日本に帰ってから見ても、なぜこれを自分が欲しがったのか理解できない。
さて、翌日はさらに田舎に向かい、ストラスブールに着いた。もうここはドイツとの国境ギリギリ。ギリギリというか、数十年ごとにドイツ領になったりフランス領になったりしてた土地だ。街の景観が浮かれ風味のフランスとあきらかに違う。長い冬に耐え抜く縦長のスリット上になった窓。煙突は少なく屋根も積雪対策で急勾配だ。名物料理はジャガイモのパンケーキに、酢キャベツとソーセージの茹でたの。
そう、ここはどう考えてもドイツなのだ。
ここにもノートルダム聖堂があった。これで三日連続。なんだかオレ、信じちゃいそうだなぁ、とぼんやり思ってストラスブール・ノートルダムを見上げた。
同じゴチック風建築でも明るく白っぽいフランス様式とは大違い。ドイツゴチックは暗くて陰鬱で、中に入ったら百パーセント呪われそうな雰囲気だった。
パリ・ノートルダムが「京都」、ランス・ノートルダムが「高野山」「鎌倉」だとすると、ストラスブール・ノートルダムはたとえるなら「恐山」だ。それまで晴天続きだったのに、ストラスブールでの滞在三日間はずっと曇天か雨だったので、僕の心の中ではすっかり怖い街になってしまった。
ここから各停で30分乗って、翌日は日帰りでコルマールに行った。『ハウルの動く城』のロケハン地として知られる美しい街並みを見て、「なんでこんな可愛くてキレイな街が、あんなおっかない大聖堂の近所にあるんだよ!」とか思ったよ。
はい、フランス話はここまで。
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