トゥゲッターのまとめなどで、「私は編集で作家人生を狂わされた」というのを見るに
ええ、うん。その通りだよ、と思います。
週刊アスキー3/19日号(3月5日発売)
****クラウドシティ市民・長谷川健さんの日記より編集して引用*****
最近、ツイッターで編集は悪だ、編集が悪い、という「編集悪論」が結構大手を振るっておりまして・・・。
トゥゲッターのまとめなどで、「私は編集で作家人生を狂わされた」というのを見るに・・・。
ええ、うん。その通りだよ、と思います^^;
自分がやっててそう思うのですから、実際そうなんだと思います。編集はロクでもないです。自分では何もしませんし、その割には作家に対して、絶対的な決裁権を持っていますし。
ただ、私がかわいそうだと思うのは、良い編集もこの世には存在するということを、「私は編集に人生を狂わされた」と吹聴している張本人は知っていますが、吹聴している人のいうことに共感している人は、知らない、ということです。共感する人たちは、今後の人生で決して、良い編集には巡り合わないだろうなぁ、と思います。
良い編集はえてして、非人間的です。あと、勘違いしている人が多いのですが、作家は編集の言うとおりにしては絶対にいけません。編集の言うとおりにしたからダメだったというのは、私から言わせると、作家の自業自得です。
え? では、なんで編集は存在するの、と思われる方はいると思いますが、私の10年程度の編集経験から言うと、おそらく、編集と作家の関係は、↑が正しいです。 こういう意味で、編集というのは素晴らしい仕事だと思うのですよね・・・。
****引用終わり*****
「良い編集」とはなにか?
原稿を「売れる本」にしてくれる。
思いつきを「まとまるアイデア」に助けてくれる。
ただひたすら、書けるようになるのを待ってくれる。
これが売れる、と確信して、作家が書きたくないものを強要して、いつの間にか「書きたい気」にさせてくれる。
これ、全部実在する。僕が世話になった編集者の実例だ。
そんな僕だって彼らの悪口を言えと言われたらひと晩でも言える(笑) ま、作家と編集者の関係というのは、まるで夫婦のように「他人からはわからない」んだよね。
だから、一方だけの愚痴や決めつけを信じちゃって「そんなものか」「許せない」と思うのは、あんまり大人の態度じゃ無い、ということだ。
実はこれ、「監督とプロデューサー」「現場とスポンサー」「社員と社長」の間にも成立する。
良い編集者とは?という設問に答えるのはすなわち「良いプロデューサー」「良いスポンサー」「良い社長」に関して話すのと似てくる。
たぶん「生徒と先生」「官僚と政治家」「国民とマスコミ」「マスコミと政治家」も似たような関係にあるんだろう。
単純な正義感にひたりたい人ほど、額面通りに作者なんかの「弱者の悲鳴」を信じちゃう。でもそれって、かなりの確率で真実でもないんだよなぁ。夫婦ゲンカの愚痴を聞く如く、おおらかに受けたいものです。はい。
え?週刊アスキーの悪口?
いくらでもあるよ!
