FREEexなう。

2012年08月31日

【夏休み特別企画】クラウドシティ発オススメ日記フェスタ 第10回

おやじギャグは「若さへの祝福」です。おやじギャグをまったく面白いと思わない若いもんは自らの瑞々しい感性を貴重に感じることができます。おっさんセンス枯れ果てとるわ、自分はまだまだいけるわ、と。

クラウドシティのバナー(長い)


「おやじギャグですべりたくて仕方がない。」 ヘルパトロールさんの日記より

 先日、帰りの電車で上司と話をして、そういう結論に至りました。素面で。酒抜きでこういう話になったのが、個人的にはレアでした。

 個人的には割と面白かったので、忘れぬうちにメモをしておこうと。言ってるそばから忘れ始めています。

 きっかけはとあるベテランDJのツイッターが「最近の若いもんは」口調で、どうにも苦笑してしまうという話でした。

 きっと彼が若い頃は「最近の若いもんは」と言われてうざったいと思ったに違いないのに、いつの間にか自分がうぜー口調で話してしまっている。

 いやですね、ああはなりたくないものです、と互いに言ったところで『葉隠』の山本常朝も「最近の若い侍は芸事やらなんやにうつつを抜かして、武士の本分たるを忘れている」って完全に「最近の若いもんは」口調だということを思い出しました。

 少なくとも数百年にわたっておっさんどもは同じ口調で話をしてきたということです。これはもう、おっさんはその口調でしか若者と話をすることができないのではないか、という仮説が立てられます。

 「そういえば」と。私も彼も音楽が好きなもので、10歳くらい若い人たちが現在の音楽の元ネタを知らないことに驚くことがあるという話になりました。

 そのとき、つい「○○も知らないの?」と言ってしまうとのことです。ニュアンスやボキャブラリーが異なる場合もありますが、基本的には「○○も知らないの?」と言ってしまう。そう言わざるを得ない。そして主語は「キミは」であり、それは「最近の若いもんは」と同じ意味です。

 皆さんもあるテレビ番組を知っている/いないの話で盛り上がったことがあるのではないでしょうか。同じ番組を見ていたときのお互いの学年とか。それにより「世代」を仮定して番組放映時期から遅れた人たちを「最近の若いもん」と設定する。

 この話法に陥ってしまう原因は若いもんの無知によります。ほんとは、おやじたちが10年の経過を棚上げにするからでもあるのですが、若いもんが何でも知っていたら、そう言う話し方にならない(最近の若いもんは何でも知っていて面白くないとか言いそうですが)。

 ここで新鮮なことに気付きました。私も「最近の若いもんは」と言われるとだいたい「うぜえなぁ」と思ってきましたが、そうなるように仕向けていたのは他ならぬ自分自身だということに。自分がまるで煙たがりながら喫煙室に入って行くようなことをしていたという。

 さっきはテレビ番組で世代を設定すると言いましたが、おやじが世代を設定するのと同時に「最近の若いもんは」という話法をおやじに使用させることで若いもん側からも世代を設定仕返しているのです。これは帰りの電車で思いついたにしては良い線いってる気がします。

 おやじをうざい存在たらしめているのは、それをうざがっている若者自身にほかならない。

 ではなぜおやじはうざったい話法を採用するのか。

 それは「次の世代に花道を譲る」からではないでしょうか。

 うざいからこそ先達から距離を置こうとする、これが耳に優しい言葉ばかりだったら、聞き続けてしまうでしょう。良薬口に苦し、に近いのかな、これ。

 だから「最近の若いもんは」というマクラで始まる話は、正直内容なんてあって無いようなものです(おやじギャグ)。「こんな話を聴くな」と言っているわけですから。「俺はもうあなた方にうざい話しかしないよ、だから自分たちで話をしなさい」と。

 これへの返礼として「若者言葉」があります。返礼である以上、若者言葉がイミフなのは当然です。イミフの使い方はあっておりますでしょうか。チョベリバという言葉を使っていたのが実は「女子高生の現状」みたいなニュース番組を見た地方の若者だけだったというのは本当なのでしょうか(ど田舎である私の同級生は使用しておりました.ここでは余談)。

 ですから世代間のディスコミュニケーションはあまり悲観するものでもないのです。数百年来それでやってきたので、まあ程度による、といったところでしょう。

 この流れから推察するに、おそらくおやじギャグは「若さへの祝福」なんです。

 おやじギャグをまったく面白いと思わない若いもんは自らの瑞々しい感性を貴重に感じることができます。おっさんセンス枯れ果てとるわ、自分はまだまだいけるわ、と。

 ですからおやじギャグはウケてはならないものなのです。というよりスベりにいっているのがおやじギャグの真髄です。おやじギャグを聞いて若いもんは自らのセンスの新鮮さを喜び、それが貴重であることに気付く。おやじによる不器用な「若さへのセレブレイト」。素晴らしい。

 そういうわけで齢を重ねたらある程度煙たがられて、スベらないとダメです。それが前途ある有望な若者への餞けってもんです。

 ちなみに私はドラマをほとんど見てこなかったので、テレビ番組で世代を語られてしまうとしばしばつらい思いをします。
 ちがうか、なんちゃって。




otakingex at 18:00コメント│ この記事をクリップ!
特集 

コメント一覧(新規コメント投稿は、上のFacebookソーシャルプラグインをお使いください)