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2012年08月26日

【夏休み特別企画】クラウドシティ発オススメ日記フェスタ 第5回

「評価経済社会」の中で、時代によって求められるものは変わっていくという旨の記載がありました。それに当てはめると、今、ただ自由であるだけでなく、それが「充実した」自由であることが求められているのではないか。

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「「リア充」という言葉がある理由」jpg・理想さんの日記 より

以前、某セミナーに参加したときのことです。
若者から社会に対する意見をくみ上げることを目的としたセミナーでした。

内容としては、
今は法律や条例になっていないものでも、
私たちが声をあげていくことで形を作っていくことができる。
事実、DV等に関することは今でこそ法律になっているが、10年前には法整備なんかされていなかった。
それでも現在法律家されているのは、DV等に関わっていた人たちが声をあげていったからだ。
じゃあ今の若者はどうか。
仕事がなくて自殺する人が増えている。
仕事がない・安定しないから結婚しない人も増えている。
保障も少ない。政治家から見向きもされない。
これはあきらかに問題で、声を上げるべき事柄。
でも、声のあげかたがわからないかもしれない。
だから身近な例(=リア充とか、ぼっちとか)で声をあげるきっかけを考えてみよう。

っていう感じでした。思った以上に長くなってしまった…。

さて、ここからが今回の日記で書きたい内容で、今日の昼間に考えていたことです。

なぜ、今の世の中には「リア充」という言葉が存在しているのか。
一応リア充の説明をすると、現実世界の生活が充実している人のことですね。

僕が考えた理由としては、
①バーチャルの誕生
②僻み・蔑みの対象として存在している
③憧れの対象として存在している
の3つです。

詳しく説明したいと思います。
①バーチャルの誕生。
そもそも、リアルとわざわざ言うくらいですから、対になる概念が前提としてありますよね。もちろんそれはバーチャル=ネットですけど。
ネットの存在しない、リアルしかない社会では、リア充なんて言葉が生まれる余地はなかった。
ネットという環境が生まれ、発展していった結果、それまでやり場のなかった思いを表現することができるようになった。
環境が整って匿名性の高い発言が可能になった。
日常のストレスのはけ口としてこんなものを使わない手はありません。
加えて、日本人独特の遊び心が作用して、それっぽい名前としてリア充が生まれたのだと考えました。

②僻み・蔑みの対象として
日常的にリア充という言葉が具体的にどのような人を指しているかというと、カップルを指していることが多いような気がします。
カップルたちのやり取りが目に余る。バカにしたい。鬱憤を晴らしたい。
そのような背景から、蔑称として生まれたのではないかと思います。
僻み・蔑みとなる心理的な要因としては、
「あいつらより俺の方が頑張ってるのに!なんであいつらの方がいい思いしてるんだよ!」
だと思います。
でも、それが反射的に意味していることって実は、「あいつらいいなぁ…」なんじゃないかと思います。
なので③へと続いていきます。

③憧れとして
僕は考えるうえでこれが一番しっくりきました。
こう考える方がいろいろ単純にわかりやすいんですよね。
リア充って言葉を使うときは、蔑みのニュアンスを前に出しながら、
その内側ではリア充にあこがれている。
つまり、リア充になりたいと思っている。
そりゃそうですよね。楽しそうに見える人がいるとうらやましいし、
自分もそんな経験したいと思います。

そんなことを考えていると、気づいたことがあります。

岡田さんの著書「評価経済社会」の中で、時代によって求められるものは変わっていくという旨の記載がありました。
それに当てはめて考えると、
戦後日本では物資的な困窮から物の豊かさが求められた。
高度経済成長に入り、ある程度、物が豊かになってくると、もっといい生活をしたいという欲から、経済的な豊かさが求められた。
21世紀を迎え、経済が停滞してくると、経済的豊かさを妥協する代わりに自由であることが求められた。
そして今、ただ自由であるだけでなく、それが充実した自由であることが求められているのではないか。
という考えに至りました。
そう考えると、最近になって行政が「真のワークライフバランス」とか言ってることにも納得がいきます。
つまり、今の世の中が求めているものを象徴しているのが、リア充という言葉であり、この言葉が存在する理由なんだろうかと思いました。




otakingex at 18:00コメント│ この記事をクリップ!
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