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2012年07月26日

【赤井孝美特集】山賀・庵野・赤井――この三人相手なら自分の人生かけて全然悔いがない

赤井君は「やって勝てそうだったらやります。勝てない戦を引き受けて、自分共々損害を被るのは得策ではない。」と完全に軍師なんです。「最悪、岡田さんだけ死ねばいい。」(笑)


本日放送予定のニコ生シンクタンク(7/26 22:30 ~)では、赤井孝美監督との対談が予定されています。

これを記念して、公式ブログで【赤井孝美特集】を組んでいます。
赤井孝美特集】第二弾は、『遺言』 第3章から「山賀・庵野・赤井――最強カードを使いこなす困難」をお届けします。

初のプロ作品として全力を出し切った処女作「王立宇宙軍 オネアミスの翼」が公開され、二千万円の赤字を出したガイナックス。その赤字を埋めるために楽しく作った『トップをねらえ!』でも赤字は埋まらず。

プロデューサーとしての舵取りに苦悩する岡田からみた「三人の天才たち」。
単なる天才ではない個性豊かな三人に対する評価が語られている興味深い一節です。

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山賀・庵野・赤井――最強カードを使いこなす困難


 庵野が一番年上なんだけど、監督としてデビューしたのは山賀君が先になってしまった。

 赤井君は「今回俺は助けに入ります」って事で、早々とサポートを宣言している。

『マクロス』では庵野の方がスタッフとして活躍したので、庵野君はアニメ界では自分のほうが先輩だと思ってるし、年上だっていう意識がある。

 僕らにしてみれば、山賀・庵野・赤井を言っちゃえば「仲良し三人組」としてひとまとめで扱いたいわけです。こういう言い方は冷たいかもわかんないけど、仕事の現場で個々の人間関係でお互い煩わされたくない。だから、庵野・赤井君・山賀君の問題に関しては、三者で相談して決めて欲しいというのが、僕にも他のスタッフにもあったんですね。「三人のうちで次に誰が監督するんでもいいけど、三人で相談して決めてくれ」と思っているわけです。

 ところが山賀君には「『王立』の監督やったし、次も俺でしょう」みたいな気負いがあるんですよ。

 庵野は庵野で「まあ、やってくれと頼まれればやってあげてもいいですけど」みたいな、上から目線なポジションですし。

 赤井君は赤井君で「やって勝てそうだったらやります」と、完全に軍師なんです。諸葛孔明のようなタイプですから。勝てる戦だと判断したらやるんだけども、勝てない戦を引き受けて、自分共々損害を被るのは得策ではない、と考えるタイプです。最悪、岡田さんだけ死ねばいい。(笑)

 本当に、その通りなんですけどね。

 正しい会社のつぶし方は、会社の借金を僕個人が全部引き受けて、僕が夜逃げする。これが最も正しい。でも、僕もそこまで人生を捨てられるわけではないから、あがいてたわけですけど。

 確かに赤井君はぶれないです。

 勝算のあるときにだけ赤井君は登場してきます。言い換えれば、勝算があるまで延々出てこなかったので、初めての赤井孝美の作品はパソコンゲームだったんです。それまでは常にサポート程度のかかわりかたを崩さないんです。

 赤井君の言う「勝てそう」の条件は異常に厳しいんです。「ガイナックスが持っている力が、業界内で十分に優先性・優位性を保てること。経済的にも一気に逆転できるような可能性が高いこと。向こう数年間その仕事が続けられ、後輩を育成できるような環境が整えられること」。

 これらの保証が全カード揃わないと俺は仕事しないって言ってたんですよ。

 すごいでしょ。これを二十代後半で言えて、現実に態度として保てる人間の凄さ。

 ほんとにあの当時、庵野・赤井・山賀、この三人相手なら誰でも自分の人生かけて全然悔いがないと思ってました。この三人は天才と呼ぶだけではすまないくらいすごかったし、人間的にも圧倒的に面白かった。

 だから、「人間の面白さ」に関してはやたら目が肥えちゃった。誰かから「面白いですよ」と紹介されて新しい人にあっても、面白く感じないんです。その程度のやつでは僕、面白くないよって。

 元々、僕の家族もヘンな人間ばかりでした。以前にイベントで話したんですけど、僕の母親は、新興宗教の教祖を始めたことがあります。

 僕が大学生だったある日、イベントの追込みで一週間くらい家を留守にして帰ってみたら、三階建ての家に四階が建て増しされてたんです。その四階に、白い服を着た母親が座っていて、父親が「今日からお母さん神様になったから」って。そんな人生を過ごしてきた人間ですから、まぁ、少々のことでは「面白い!」って思わないんですよ。面白さの基準がかなり厳しいんです。

 でも、あの時代の庵野・赤井・山賀は、絶対に面白い。しかも、三人の面白さが、全然違うんですよ。

 庵野は、あきらかにバランスの崩れたカンジの面白さです。才能は本当に人の十倍あるんだけど、何かが人の一〇/分の一しかない。圧倒的に足りないんです。

 人間的な魅力はあるんですよ。多分あの三人が、若い連中に「飲みに行こう」って言ったら、一番人がついてくるのは庵野君です。人間的魅力はものすごくある。才能もものすごくある。でも当時から、誰しもが解るんですよ。「こいつには何か足りない感じが!」って。足りないのが何なのか。未だに僕も、言葉では表現できないんですけど。

 山賀君は山賀君で、僕と一緒に『王立』を作って、その後僕を五年間悩ませて待たせ続けただけの面白さはあるんです。だから、『蒼きウル』で僕が「こんなのしねえよ」って言ったのは「『蒼きウル』程度の企画じゃねえだろ、お前は」っていうふうに感じたからです。

 初期のうちに聞いた『蒼きウル』はなかなか面白かったですよ。たとえば、まだX68000しかない時代に、フルCGで劇場用映画を作ろうとしてたんです。当時のパソコンと技術レベルで作るのは、無茶ですよ。でも「制作に入れば、三年後にはアニメーションの技術が進化して、追いついてくるからできるはず」と言うんですよ。ジョージ・ルーカスでもそんな無茶は言いませんって。すごいよね。

 たとえて言うと、「大体今から三十年後には恐竜がCGで作れるから、そろそろジュラシックパーク(マイケル・クラントン原作、一九九三年スピルバーグ監督で映画化)★という企画始めようか」って、一九六〇年代に言い出すくらいの無茶さ加減です。

 そういう、とてつもない規模のはったりとか、ビジョンを見せることができる奴だったんです。

 赤井君は赤井君で、さっき話したように戦略家としては超一流の、面白いヤツでした。

 山賀・庵野・赤井という超強力な三種のカードを持っていたんだから、あの時に何かできなかったのは、ほんとに僕の迷いのせいもあるんだろうと思います。

『三国志』を読んでいると、劉備玄徳が、なぜ張飛・関羽・諸葛孔明とかいろんなカード持っていながらダメなのか、俺は解るよ! って思っちゃうんですよ。カードがありゃいいってもんじゃないです。時の運もいるだろうし。同時代に曹操なんていう怪物がいたらきついだろうなとか、あの時代に富野由悠季と押井守と宮崎駿がいなけりゃガイナックスが天下取ってたろ! とか。

 いや、それら全部と戦ってるから面白いんだけどね。
 山賀君と散々悩んでた間に、庵野を使えばよかったんだよな。今になって思えば、それが、その時の社長としての正しい判断だと思えるんですよ。
 庵野君をメインに立てて、庵野君が何をやりたいかという話をして、彼の中にあるウルトラマンとか仮面ライダーをやりたいと、少女マンガの世界を描きたいという欲望をざーっと掘り起こしていって、要するに要するに要するにで組み立てたら、何かできたはずだよなって。

 それは『エヴァ』とは違うけど、庵野作品ができたことは確かです。

『トップをねらえ!』が終わった後、少年ジャンプで連載していた『BASTARD!!──暗黒の破壊神』(荻原一至作。一九八七に読み切り版『WIZARD!!──爆炎の征服者』が「週刊少年ジャンプ」に掲載(単行本の第一話)、良く八八年から掲載誌を変えながら連載)★というマンガの連載が気になりました。『BASTARD!!』は、作者が『トップをねらえ!』をよほど好きらしくて、それっぽい台詞がちょくちょく出てくるんですよ。

 それを見て、『BASTARD!!』で何か企画ができるんじゃないのか、という話をしました。

『BASTARD!!』の中に出てくる天使というのが、ウルトラマンの格好をしていたので、庵野君はいたく心を奪われてました。「天使はウルトラマンだったんだ!」って。

 これが、後にエヴァンゲリオンにつながってるのは間違いないですね。エヴァに天使が出てきた時「うわ、すげえ! 『BASTARD!!』が原作とは、全然わかんない!」(笑)って、感心しましたよ。

 原作と言うのは明らかに言いすぎですけど。原イメージとか、インスピレーションとか、リスペクトとか、そんな言葉で表現するべきことですね。

 その『BASTARD!!』、今になって読み返してみても、やっぱりすごいです。

 ブラックホールに至る重力の井戸を人間の原罪としてとらえるアイディア。キリスト教的な符丁と物理現象とを並列で語るという考え方。天使とか悪魔とか旧約聖書的な世界観と、ウルトラシリーズとか特撮みたいな、僕らが知ってるものと重ね合わせるセンス。

 すごい要素がいっぱい詰まっています。

『トップをねらえ!』は、そういうアイディアを、「わかるかな? ついてこれるかな?」って、わかる人にだけわかるように表現しています。だから、「自分たちはオタクである」宣言であると同時に、ファンに対する甘えでもあるんです。

「わかりますか?わかるでしょ? 仲間ですもんね」という。

 一方、『BASTARD!!』を踏襲して出てきた『エヴァ』は、もう一歩、進化しています。
『エヴァ』を初めてみたとき、今まで自分たちが影響を受けてきた物が、こんなに上手くまとまったのかと、感動しました。『エヴァ』は、「こういうのもあるんだよね、あるんだよね。あるんだよね。」と出していく手際がすばらしく良いんです。

 しびれました。『エヴァ』は、技術的にも凄いんですが、僕にとっての良さは内容的に『トップ』の裏面だという点です。
『エヴァ』が表面で『トップ』が裏面という方が、いいのかな。とにかく、一対の作品なんです。
『DAICON3』、『DAICON4』のオープニングアニメがあって、それに対する『王立宇宙軍』があるという裏表構造。

 これと同じものです。『オープニングアニメ』と『王立』、どちらもチャンスを与えられた若い人が何かをするというテーマはかわらない。チャンスを与えられてがんばった結果を、肯定的にとらえれば『オープニンググアニメ』、懐疑的にとらえると『王立』。対照的に描かれています。

『トップをねらえ!』と『エヴァンゲリオン』は、「オタク的な文化の影響を思い切り受けながら生きてきた僕たち」というテーマは同じなんです。その結果、僕たちはこんな存在になってしまったという結論を、肯定的にとらえれば『トップをねらえ!』だし、懐疑的にとらえれば『エヴァンゲリオン』なんです。

 一人の作家からは、そんなに多くのテーマは生み出せません。だから、表裏の両面で、どれだけ突き詰めれるか、エッジをたてられるか。そこが勝負になります。エッジが鋭ければ鋭いほど、芸術性があがるからです。
『エヴァ』を見た時は「うわ、すっごく上手くできてるな」とは思いました。でも先に『トップをねらえ!』をやっちゃってるから、ストレートに感動はできなかったんだよな~。

『トップ』をやってなかったら、僕は『エヴァ』にはまってたはずなんですよ、きっと。周りの人が次々と『エヴァ』にはまっていくのを見ながら、「でもそれ、『トップ』で似たようなことやったんですけどぉ」「『トップ』の時はみんなほめてくれなかったのに」って、指をくわえて見てる気分です。
「うわ、ハリネズミのジレンマとか言ってる!」

『エヴァ』で言ってる「ハリネズミのジレンマ」と、「一人一人は小さな火だが、二人合わせれば炎になる!」とは、
全く同じなんですよ。

 台詞で感動させて、実は台詞自体には強い意味はなくて、語り口から生まれる情緒に意味がある。情緒が、全く対称点に位置してるだけ。

 それなのに、この評価の違い。

 やっぱり人間真面目なふりをするのはこんなに大事だったのかぁ。確かに『トップ』ってバカみたいなところがあって恥ずかしい。でも、庵野が悪ふざけをしなくなって寂しいよなっ、とか思いながら見たわけです。

 だから僕は、『エヴァ』にハマることはできませんでした。


ライター:のぞき見のミホコ






otakingex at 18:00コメント│ この記事をクリップ!
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