FREEexなう。

2012年04月17日

岡田斗司夫が「評価経済社会」について、大いに語りまくる! 週刊エコノミスト4月24日号:「問答有用」ノーカット版・音声付

またまた、「評価経済社会」関連のインタビュー記事です。

週刊エコノミスト4月24日号(2012年4月16日発売)

P46 ワイドインタビュー「問答有用」396 掲載分 
「オタク王」の社会実験
岡田斗司夫 著述家、「FREEex」代表


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お金を動かさなくても、経済は回る
考えるだけでなく、やっていけると実証しないと人はついて来てくれない


 奇しくも、巷ではCDが売れなくなって、音楽事務所がやっていけないと悲鳴をあげているというような噂がネット上で話題になっているようですね。
livedoorニュースより:「音楽事務所」というビジネスの終焉

 まさにタイムリー。

 岡田斗司夫が「評価経済社会」「FREEex」に馳せる、熱き思いをノーカット版にて公開します。

 ますは、音声から



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◆働く人がお金を払う「FREEex」

―― 「FREEex」は、どのような組織なのですか。

 今、僕が作っている組織のFREEexというのは、評価経済社会にこれから世界中が移行するうえでの実験なんですけれど、簡単に言うと、働く人がお金を払うという仕組みなんです。
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 普通の会社って、経営者が社員にお金を払って、生産物、商品を作って、商品をお客様が買って、お客様が払ってくれたお金を社員にもう1回分配するという仕組みだった。
 ガソリンをもらう方がお金を払って当たり前かもしれません。
 これまではこれでうまくいってきたんですが、これからもすべてに関してうまくいくとは全然思えない。

 特に、僕のような情報や価値を作る付加価値産業は、実は経済的なモデルに向いていません。

 よく使う例ですが、大学の教え子にビジュアル系バンドの追っかけをしている女の子がいます。
 彼女は2000円、3000円するライブに一生懸命行く。アルバムが出たら、買う。
でも、彼らはバンドだけでは食っていけなくて、バイトしなければいけない。
 音楽活動があまり出来ずに、新曲はたまに作るけど、アルバムを出さないと食えないから、新曲を1曲出すごとぐらいでベストアルバムを出す。
 ファンはそれを買い支えざるをえない。

 そのバンドは、すぐ「福袋つき握手会ライブ」というようなイベントをやるんです。
 普通のライブの2000円より高い4000円のそのチケットを買うと、握手券と福袋がついてくる。
 福袋を開けると、ファンが何回も買ったステッカーとTシャツとベストアルバムの詰め合わせが入っている。
 家には同じものが山のようにある。それでもやらざるをえない。

 これを聞いて、本当にバカらしいなと思った。
 なぜかというと、この2、300人のファンは月に何万円も使っているのに、バンドの4人はバイトばかりしている。
 生活費は月に1人25万円ぐらいだとして、4人で100万円。1人月1万円を200人が出したら、毎月、タダでバンド活動できるんですよね。その方がずっといいじゃないかと思う。
 「君らは何のためにお金払っているんだ」と。
 TシャツやCD、ステッカーの、布やプラスチックや紙にお金を払っている。しかも「もう欲しくない」という。「新曲は聴きたいけれど、データがあればいい」と。

 間に入っているCD屋やTシャツ屋が儲けているからそれでいいのかといえば、そうでもない。
 200~300枚しか売れないCDやTシャツを作っても儲からない。このビジネスモデルのなかで誰ひとり得していない。
 毎月2、3万円カネ使っている200~300人のファン。たった4人のバイトばかりしているバンド。
 グッズ作ったりライブしたりしている事務所。下請けで作っている業者。
 みんな生活が苦しくて赤字のなかでやっている。

 こんなのやめちゃって、彼らをフリー化すればいいと思うんですね。
 つまり200~300人のファンが集まって毎月1万円会費払って、「バンドのメンバーはバイトなんかしないで、ずっとライブをやって」と言う。「そうすれば、私達はライブに無料で参加できる。ライブのハコ代も払えるはず。
 その代わり、ライブに私達が新しく人を連れてきてもいいことにしてくれ」と。そして、ライブの音源は録音し放題、配信し放題。あらゆる楽曲をタダ、フリーにする。

 そうすると、どうなるのか。
 ライブをやっている人は、来るのがいつも同じファンだったらイヤなんですよ。新しい人に聴いて欲しいと思ってやっている。
 でも新しい人に聴かせようと思ったら、その人たちが2、3000円払わないといけない。
 それでは来ないけれど、タダだったら行ってみようかと思う。
 楽曲もタダで提供してダウンロード自由にしたら、聴いてくれる人はいくらでもいる。
 彼らが本当は一番望んでいること・・・・・・「自由に音楽やりたい」、「バイトやめたい」、「ライブやりたい」、「自分達の音楽を新しいたくさんの人に聴いて欲しい」ということが、このモデルだったら出来るのに、相変わらず彼らはTシャツ作って、ステッカー作って、CD作ってる。

 付加価値産業は、経済的なモデルに実は向いていません。だから、コンテンツ産業はこれから先、どんどん苦しくなります。
 付加価値産業は、第一次、第二次産業以外のすべてということです。
 週刊エコノミストさんもそうですし、銀行屋も株屋も、すべて、こんな商売はあと10年もたない。お客様からお金をとって儲けようというモデルは無理です。

 今、いろんな経済誌が「こんな動乱の世でもまだこんなビジネスチャンスがある」というアプローチをしています。「ガイアの夜明け」のような。

 これは、沈むタイタニック号のなかで最大の脱出艇を取り合っているだけ。脱出艇でも燃料も食料もわずか。
 それより、新大陸はどこかという海図が必要な状態でしょう。海図には評価経済社会というのがそこに見えているはずなのに、なんでそこに行かないの?と。

――評価経済社会のモデルとしてFREEexがあるのですか。

 さっきのバンド活動の具体例なんですが、僕はあらゆるところから印税やギャラ、謝礼、講師の給料ももらっていないんです。
 僕を支えてくれている100数十人のメンバーがいて、年間12万円払って、僕を活動させてくれる。
僕が受け取るお金はこれで終わり。これで、僕は自分の著作物とか、講演とかもすべて無料でやっています。
 講演で地方に行くときは実費だけ負担してもらっていますが、それ以外はすべてお金を受け取らずにやっている。

 これだけだったら、タニマチの人がお金を渡して芸能人を活動させているようだけど、そうではない。
 同時に、「岡田斗司夫」を拡張しようという考え。その意味でexとつけています。

 拡張というのはどういうことか。
 例えば、以前だったら、本を書いたら、ファンの人がブログに感想を書いてくれたり、反論を書いたりした。
 最初のうちは、評論書いた人に「ありがとう」、反論に「それは違う」とやっていた。これが、なんかバカらしくなってきた。

 例えば、新聞やテレビで小沢一郎の像が紹介されると、本人はどうであろうが、マスコミで紹介された像が小沢一郎になる。これまでは「それは間違っている」と言われた。「正しい小沢一郎像は何か?」と。

 そうでなくて、もし、自分が商品だとするなら、商品の使われ方も含めて商品だろうと思う。
 世の中ではコーラを飲み物として使う人も、振ってイタズラすることに使う人もいる。使い方は自由。
 言論も著作も、著者が読み方が違うというのはいかがなものかと。

 拡張する方法として、反論だとか、面白いという紹介もすべて「岡田斗司夫」の一部であって、それも含めて「岡田斗司夫」だと言ってしまった方が面白い。

 FREEexには、12万円払って参加して、「岡田斗司夫」を作る。
 今日は取材なので僕が1人で答えていますが、これは岡田斗司夫のメインボーカルが答えているだけなんです。
 残りの100数十人のメンバーがいて、これらが楽団を作っている。
 フル装備の「岡田斗司夫」は本で出したり講演で出したりする時のもので、メンバーはスタッフであったり、一緒に書く著者であったりする。

 先日、大阪で書籍作りの公開勉強会をやりましたが、初めて来たお客さんも意見を出している。
 本で出す時は、それも「岡田斗司夫」の一部。それでかまわないでしょうと。メンバーは僕を支えて働く。一緒にものを作る。
 だから学校であり、会社であると言っています。

 学校というのは、それぞれが素人なので、本を作りたいとなれば勉強会では10万部売るのはどういうことなのかを教えないといけない。
 でも、うちは会社なので、それは前提として話して、その場で目次建てまでやる。編集会議までやる。
モノを作るというのはそういうことです。学ぶだけではなく、生産物を送り出す。

―― FREEexを立ち上げたきっかけは。

 僕が基本的に3年前までやっていたのは、原稿を書いて、お金をもらう。テレビに出て、お金をもらう。講演会やって、お金をもらう、という形でした。

 一時期、講演の金額が1回80万円ぐらいだったんです。あと少しで100万円になって、講演を100回やったら1億円になる。
 これ、何か間違っているな、と思った。
 本は1冊1000円ぐらいで、1万部ぐらい売れれば大ヒットです。1冊1000円の本が1万部で印税10%で100万円。この100万円もらうために何カ月かかるか。1冊書くのに半年はかかる。
 年に2冊出せない。年に1冊か2冊ぐらい。そうすると、僕の年収は100万~150万円ということになってしまう。

 なので、もっと売れる本を書かなければとなって、3倍売れる本書いても300万~450万円。
年に1回か2回出して、そのたびに3万~4万部売れたら、売れっ子になる。売れっ子が年収300万~450万円。
 こんな産業はダメに決まっている。業界トップクラスが300~400万円ではダメなんです。

 だからといって講演会をやればいいのか。
 「本を出したら講演が来て、講演は儲かるんだよ」とよく言われます。講演会やって、日本中回って、1回80万円もらうのも何か違う気がする。
 講演会に来てくれる人は、一番熱心に話を聞きたがる人。その人たちから1回ごとに個別にお金を集めるのはもったいない。
 FREEexを始めるまで、東京と大阪でトークライブをやっていて、熱心な人が100~150人来てくれていた。彼らのお金の使い方を聞いてみたら、1回で参加費の2000円じゃ済まない。
 移動費でだいたい平均2000円。
 終わったら夜遅いから、外でご飯も食べて、全部で5~6000円使っている。毎月、5~6000円使っていて、僕の話が2時間聞けるだけというのは割高感がある。
 どうにかならないのと思ったのがきっかけです。ビジュアル系バンドと同じです。

 それならば、月1万円で話を聞き放題、それどころか一緒にコンテンツを作りたい放題にして、1年365日、僕がずっといる専用のSNSを作って、僕とコミュニケーション取り放題にしたら、月1万円でも安いんじゃないの、と思った。ファンクラブ+αから始まりました。

 そこで、ちょっと待てよと。
 1人月1万円とって、それが100人いたら、月収100万円になっちゃう。本からお金もらわなくてもいいんじゃないのと。本をすべて無料にした方が面白いんじゃないのと思った。

 本が出れば出るほど、本がたくさん売れれば売れるほど、面白いといって近づく人が確率的に増える。
 本が1万部売れたら、500人が「岡田斗司夫は面白い」と近くに来る。500人のうちの5%、25人が「一緒にやってみよう」と来れば、25人来て彼らが年間12万円払ったら300万円。印税よりはるかに多いんです。
 1万部、本を出して印税もらうという確実にみえている方法より、1万部売れる本をタダで手渡すことで、すごくいい25人の仲間を手に入れて、彼らが僕にお金を払ってくれる方がよっぽど確実な商売なんです。これが評価経済で考えた時の仕事の仕方です。


◆末端の消費者からお金をもらうことへのアンチテーゼ

―― FREEexが会社として、目指していることは。

 会社で作るのはあくまでコンテンツです。
 例えば、スマートノートだったりレコーディング・ダイエットだったり、悩みのるつぼの考え方みたいな、教育ツールなんです。
 コンテンツでしかない。それだけではあまり機能しない。

 大事なのは、それらを使いこなして、人に関わろうとするお節介な人を何万人も作ることですね。
 これがうちの生産物です。
 うちがあくまで目指しているのは、大量の理屈を使って人の悩みを解決するおせっかいを何万人も作ることです。
 コンテンツは我々の主要な産物の1つで、核なんですが、コンテンツ単体ではうまく動かない。
 コンテンツ、コミュニティ、キャラクターと言っているのですが、その3つの組み合わせでないと、なかなか説明できない。

 クラウドシティだと、大体の人の名前の後ろに「法則」とか「理想」とかある。これは「4タイプ」というツールです。これは、使いこなさなければ、単なる性格判定遊び。
 そうではなく、「理想の人だからこう書くんだ。じゃあこの人の説得方法はこうだ」と実際に使ってみるしかない。
 そのためには、あの「4タイプ」をやっている人が数百人いるコミュニティが必要です。
 ツールとしてのコンテンツだけではなく、コミュニティがないと意味がない。
 そして、いくら実験しても、実用化するときに、そいつが好かれたり、人に話をきいてもらう人格でないと意味がない。

 キャラクターも必要です。
 コンテンツを持って、コミュニティのなかで活用できるキャラクターを生み出すこと。それが数万人単位の理屈を使うおせっかいのことです。

―― FREEexは社員の方々同士の実験場で、生み出したコンテンツは外に働きかけるためのものだということですか。

 コンテンツを無料で開放するのが僕らの仕事です。そこがたぶん普通の組織と一番違うところ。

 普通の組織は何をやっていても、結局、それを有料で提供しようとする。僕らはそれを一切無料で提供する。
 無料で提供していたら、すごく熱心な5%が「ちょっとぐらいお金払っていいから本格的に学びたい」と近くに来る。
 これがクラウドシティ(SNS)です。そのなかで、さらに熱心な人が、お金と時間を使っていいから、助けたいと中に入ってくる。
 それがFREEexのメンバーなんです。それ以外の人には、ひたすら無料で与える。
 年に1万円払うクラウドシティの人は、お金払ってでもいいから関わりたい人。こういう階層を作っています。

 これが、それまでの僕がやっていたこと、自分が本を書いたり、講演したりしてお客様からギャラをもらう、消費者から対価をもらう、出版社から印税をもらうことへのアンチテーゼです。

 僕らにとって理想の出版物は原価ゼロ。本ですら、紙が邪魔。その分、消費者はお金を払わないといけないから。

 そうではなく、タダで受け取ってほしい。

 本はすごく便利なデータの再生ツールです。
 僕は本が好きだから、あの形に愛着はありますが、それは本を愛する人の5%。95%はデータの形で無料で読めるべきであって、その5%が買い支えて、そのうちのさらに5%がカネを払って一緒に作る側に 回ったら一番いいんじゃないのと。

 今の経済のビジネスモデルを作ろうとする人は、できるだけ末端の消費者からお金をとる通信販売モデルを考えるか、無料で提供して、アフィリエイトで稼ぐ広告収入モデルかのどっちか。
 どっちも僕は間違っていると思う。

 末端の消費者からお金をもらうという考えは、経済成長があるなかでは有効です。
 でも、これから貧乏になる社会で、末端の人がお金を持っているわけがないんです。全員、お金を使いたくないんです。
 これから先の日本国の国民の大部分は、どうやればお金を使わずに生きていけるかを考えるはずです。こういう人からお金をとろうとするのは無理。

 次に、広告収入というのは、広告打てば売り上げが上がるという企業が無数にあるから初めて成立するんですね。

 広告出すほど余裕がある会社は、年がら年中、ビジネスモデルが変わる。ビジネスモデルが変わることに対応しているから売り上げがあがる。だから、広告を出す余裕がない。
 口コミで一瞬で売って、売れたと思う時には手じまいを考えている。1つの商品のスパンが無限に短くなっていくような情報の流動性が高い社会では、広告収入という考えに無理がある。

 これも沈むタイタニック号の脱出ボートの1つなんです。
 タイタニック号の2大ボートが無理だなと思っているから、「それよりは住み心地のいい新大陸あるから、そこに行こうよ」という考え。
 消費者からはお金をもらわない。コンテンツを一番楽しむ人からはあえてもらってあげない。
そうじゃなくて、「一緒に作ろう」という消費者よりよっぽど出来のいい人たちからお金をもらいましょうというのが僕の考えですね。

―― 人々は、コンテンツを無料で得て楽しみつつ、これはいいと思うものには、逆に持ち出しで加わると。

 それが人間の心ですよ。
 浅草の祭りや麻布の祭りがありますね。祭りの規模が大きくなればなって楽しめば楽しむほど、自分から持ち出しで参加する人が増えるじゃないですか。提灯に名前を出したりとか、立場が上に行くほど、持ち出しの額は高くなりますよね。
 これだけ当たり前のビジネスモデルを何千年もやっていて、なんで気がつかないのと。
 あれが何かというと、応援したいからでしょ。

―― 祭りが究極の付加価値型モデルだと。

 人間は本当に自分がやりたいと思ったり、忠誠心を持ったことにはお金を払うんですよ。
 だから、お金を払って人を雇おうと思うこと自体が間違っている。
 FREEexからすれば、GoogleやApple、facebookもかわいそうな20世紀型企業です。
 FREEexは完全な21世紀型企業ですけど。どんなにいい人間が集まっても、所詮、集めた人間は新しい面白さが出来たら移動しちゃう。
 今、facebookにすごい勢いで人間が流れていますけれど、その技術者を引き留めるのに、GoogleやAppleは社員サービスを良くしたり、給料を良くしたりしている。なんて哀れな(笑)
 その方法である限り、一番いい人材はfacebookに流れる。社員の福利厚生とか、無料の昼ごはんとか給料とか、どうしようもない条件で考えるダメな奴だけがGoogleやAppleに残る。
 いい人材はfacebookに行く。もっといいところが出来たら、そいつらはお金を払ってでもそこに参加する。

 あらゆる最先端企業では、労働時間が短いことを自慢します。
「うちは6時間だ」と。
 Googleだったら、「社員は週に2日、好きなことをやっていい」と。
 FREEexは、社員が好きなことだけやっていい日だけをやっている。Googleの社員がさぼってやることだけをやっている。世界で一番就職したいという企業で働きたい人がさぼってやっている人がウチです。

―― 今までこのモデルに気がつかなかったんですね。

 たぶん、これって売り上げに上限があるんですよ。僕1人だから成立するんです。
 FREEexは僕以外の生活の面倒はいっさい見ない。メンバー数はいま151人だったかな。上限は300人です。1人12万円、300人で3600万円が上限。
 いくらなんでも俺、食えますよ。余裕がありますよ。こんなに必要ないですよ、本当は。

 法人化して、事務のスタッフとか何十人も集め出したら、売り上げが足りなくなってくる。
 そうすると一般消費者からお金をもらうことになる。そうすると間違っている。
 組織をいかにミニマムにするかです。お祭りするなら、メインスタッフというのはやっぱり10人ぐらいでないと楽しくないんです。

 で、参加する人は参加する。
 俺は5万円出すよと言う人がいっぱい現れて、末端は投げ銭で100円、200円という人がいるのが楽しい。祭りには、参加する方が楽しいんです。

 FREEexの年間12万円が高いという人のためには、ほとんど同じサービスを受けられる年間1万円のクラウドシティというSNSを作っています。
 「ほとんど同じなら、年間12万円のほうに行く人いるはずないだろう」と言われます。そう思う人はこないでくれと。

 つまり、浅草のお祭りで「お金払って祭りやるなんてバカじゃないか」、「タダで祭りに参加できるなら、お金を払うのは間違っている」という人は、祭りに来てほしくない。
 祭りでモノを買うのはいい。でも、御輿をかつぐ仲間には入れたくない。そんなセコい野郎は。

―― 岡田斗司夫御輿ですか。

 だから、時間も15年と区切っていて、僕が動ける範囲でしかこの組織はやりません。
僕が動けなくなったら、解散。

 こんな風なお金の集め方をして見苦しくならないのは、上にいる人間が1人で、無限に透明化されているからです。
 お金を何に使ったのかが分かるし、どんな生活しているのかも分かる。それをどこまで公開できるのかが、たぶん僕の今年以降のチャレンジですね。
 どこまで生活を透明化してしまって大丈夫なのかなと。やりたくないなと思いながら(笑)
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―― お金の使い道は岡田さんの自由で諮ったりはしないということですが。

 これからも、いちいち許可をとったりはしないけれど、公開しようかなと思っています。

―― お金を使ったことの効果を判断してもらうということですか。

 たぶん、問題は集めたお金の使い道じゃないと思う。
 評価経済であるからには、僕のところに集まった評価の使い道が問題だと思う。
 これから先、僕がきちんとやらなければならないのは、この世の中にあるいろんなものを僕がきちんと評価して、評価されていないものを評価すること。
 例えば、「こういうものがあるから読め」と。

 ツイッターでの公開読書もそうです。
 あまり売れていない本であっても、「これは面白いから読みましょう」と公開読書をやることで、僕のところにいったん集まった評価をよそに分配している。
 これは普通の会社や国が集まった金を福祉でばらまくのと逆です。僕のところに集まった評価を「これがいいぞ」とばらまく。

 僕は今、コンテンツビジネスについても語って、僕が好きなオタク的なことも語れて、経済誌からも割としょちゅう問い合わせがくる。
 こういう段階だったら、何に関しても話せるし、自分のメディアとしてニコニコ生放送のテレビ番組も持っている。
 ニコ生で番組配信したら4万~6万人が観ます。4万~6万人というのはテレビ東京の深夜12時の番組の視聴率よりやや高いくらいなんですね。それぐらいあれば、もう十分だろうと。

 テレビ東京の深夜12時の番組というのは、面白くするために芸人とかアイドルとか山のように仕込んでいて、その視聴率です。
 僕の番組は、僕がそこに座って1人でしゃべっているだけでその人数だから、僕の方が効率がいい。これでいいや、と。

 これだけの影響力や評価を持っていれば、これを投資して、投資された人が、一時的に集まった評価投資をベースにして自分達で成功してくれれば、「岡田さんがいてくれたから」と僕のところに評価投資が返ってくる。
 エンゼル状態というんですか。「面白そうなベンチャービジネスにお金を投資しよう。儲かったね。上場したね。おめでとう。返して下さい」というのと同じです。
 「君たちやっていること面白いね、僕が評価を投資しよう」と。「たぶん、これ面白いよ」と紹介する。

 例えば、「みんな宇宙戦艦ヤマトの実写版を観ようよ」と投資する。面白かったら、僕のところに返ってきて、僕の評価もやや上がる。株式のような投資です。


◆お金を動かさなくても経済が回る


―― 付加価値産業では、評価経済に変わっていくということなのですか。

 付加価値型から変わっていって、いずれは第一次産業まで変わるんだと思う。
 つまりお米や魚の分、お金を払って買うのは下手な買い方になっていく。

 そうじゃなくて、お米を作っている人があげたい人にあげるというのが、20年後か30年後の評価経済の完成形なんですけれどね。
 途中にお金みたいな余分なものを挟んだら、消費税をいっぱい取られるじゃないですか。
 そうじゃなくて、お米をあげた人は、それを貸しにするだけなんです。
 これが個人通貨ってやつです。
 「いいお米、出来たよ。あげるよ」といって、いろんな人にあげる。もらった人には借りが発生する。
 借りの支払いを自分のなかで義務感みたいに感じて、いずれ何かの形で返す。これで経済が回っていく。

 これって回らないような気がするのは、かつての限定情報社会では絶対に回らないからですよ。
 誰にお米を渡したか、貸しがいくらか、どんな形で貸しを返すのか、覚えるのもすごく難しいし、支払い方法も分からない。
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 でも、ハイパー情報社会ならこの問題がないんですよ。誰かからお米をもらったという記録は簡単に永遠に残る。
 それは現金に換算するといくらぐらいの価値があるのか、それはほかのもので渡すといくらぐらいなのか、ポイント制のように。

 お米をあげた人が、「こんど娘が学校に行くんだけど、ちょっと困ってて」と言ったら、お米をもらった人が全員でその問題を解決しようとする。
 それはお金をもらうよりずっといい。

 その人が、「納屋をもう一棟たてようと思うんだけど」という時に、お金を払って大工さんを雇うというこれまでの流れではなくて、これまでお米をもらっていた人が「俺行くわ」と言ったり、お米をもらっていた人が別の貸しがある場合、「俺の貸しがあるから、お前行って手伝ってきて」と言ったり。

 昔だったらありうることなんだけど、個人通貨として流れていったら、「私はこの人に対して何ポイント貸しがある」とさっと分かる。
 これが評価経済社会です。
 このお百姓さんはお米を作って配っているだけで、生活が何となく成り立ってしまう。

―― 今までもあったような動きが、個人通貨といわれると見えやすくなります。

 そう、「見える化」されるんです。デジタル社会で完全情報が可能になる。
 貸し借りがあいまいなまま忘れられたりしない。
 もらってばっかりの人は誰からももらえなくなってしまって、現金に頼るしかなくなる。こうなったときの現金は弱い。

―― プレゼントのやりとりが原始系で、今でも農村など貨幣ではないところで動いています。

 今でも農村では、トラクターは共同購入で、使う順番も話し合いでなんとなくやっている。
 評価経済というのは既にあります。現実の経済社会とは関係なくやっている。

 たとえば共同購入のトラクターを使う時にも、お米の取れ高が多い人から順番に使ったりしない。
何となく人間関係でやっている。
 この何となくな人間関係や貸し借りが「見える化」されている社会が評価経済社会なんです。

 たぶん、こうなると評価経済社会はGDPはすごく下がるんです。
 その代わり、評価経済GDPがすごく上がるので、経済成長はするんです。これまでよりも。

 でもリアルマネーの経済が停滞する。
 これを怖がって、リアルマネーの経済を活性化しようとするアプローチをすればするほど、たぶん駄目になっていくと僕は思っている。
 無理なところに火をつけようとしているからかなぁ。農村も貨幣経済では貧乏に見えるけれど、案外、豊かな生活をしているわけです。

 今もみんな現実にはリアルマネーで動いていないですよ。

 子どもにお小遣いあげても回収を考えない。旦那は奥さんに給料を渡すけれど、その分のサービスを求めていない。奥さんは給料を預かっているけど、その分、何かを支払ったりしていない。
 人々のありようはほとんどマネー経済以外の経済で動いている。それは評価経済です。

 自分の子どもに小遣いをやるのも、理由なんかないんです。「自分の子どもだから、好きだから」。理由がないのに、もらった方は「不安だから恩返ししないといけない」と思うわけです。
 全員が恩返しするわけじゃないんだけど、ある確率で恩返しするから、この社会は回っている。
 つまり老後の親をすぐに捨てる子はそんなにはいない。なんでかというと、親のほうが意味も分からず投資しているから。先に贈与しているから、向こうは勝手に返済を考える。そうするといい評価経済が回る。
 これをマネー経済化すると、親が子に使ったお金を全部計算して、20歳になった時に、「これ返して」となる。
 こういう社会は幸せだろうか?幸せじゃない。評価経済のほうが幸せだし、この世の中は評価経済で回っている。リアル経済の方が少ないんです。

―― 実は評価経済のほうが多いのに、今はカネの部分ばかりに目をやりすぎていると。

 そうですね。
 例えば、親が子に小遣いやって、20年後にその親がケガを病院にいくためにタクシー呼ぶとします。

 これまでの経済モデルだったら、親は子に小遣いをやる。子は一流大に行き、一流企業に就職する。稼いで仕送りする。親は仕送りを受けたお金でハイヤーを呼んで病院に行く。
 これが経済モデルでの説明です。

 評価経済モデルだったらどうなるのか。

 親は子に理由なくお金や教育を与える。好きだから。評価しているから。
 「こいつのためになる」と思うから。
 その借りを子が大きくなって何となく感じる。
 何となく感じていて、親が病院行くときに、お金を動かさずに車を動かす方法がないかを考える。
 自分が同じように貸しがある、高校時代の友人に「お前、空いてない?」と聞く。
 一軒一軒電話していたら大変だけど、ウィッシュリストで一瞬で流れる。
 「あいつに世話になったな」という未精算の評価通貨がどこかに残っているから、誰かが送迎を引き受けてくれる。
 ここでは1円も現金が動いていないので、消費税が一切かからない。普通だったら、親をハイヤーを動かす時にたぶん何万円かかっている。

 これから、消費税は20%になります。
 すると、評価経済で動いた方が得だと分かってくる。
 リアルマネーを使うと税金をとられるから、リアルマネーを使わなくなる。
 経済誌の節税特集というのは、いかにお金を国家に払わないかではなく、いかに現金を受けとらないかということになる。現金でもらったら税金を払わないといけないから。

 現金を動かさないほど、評価通貨の方が大きくなって、豊かな生活ができる。
 知らないハイヤーの運転手に嫌な態度をされるんじゃなくて、息子の高校時代の友人が運転してくれた方がほかの親に「俺の息子の友達が送ってくれるんだよ」と自慢できる。
 ハイヤーで送ってもらうというマネー経済のバブリーな自慢より、人情味があって、こんなに好かれているんだという自慢になる。

―― 行為は同じ移動でも、幸福度が違うと。

 おそらく、その瞬間に評価通貨が動いちゃうんですね。つまり、タクシーの運転手ならお金払ってありがとうというだけ。

 でも、息子の友達が「高校時代の借りを返しているだけ」と運転してくれても、その親は親で、息子の友人と交流ができる。
 評価経済社会は人のつながりを増やします。マネー経済で見知らぬ人にお金を与えて仕事してもらうという、人の交流や和を狭める行為を広げることにもなる。なかなか面白いですよ、評価経済社会は。

―― 評価経済はまったく知らないこと、新しいものというのではなく、今の社会でも「評価をやりとりしている」と考えることで見えてくることがあります。

 既に知っていることでも、名前が変わって切り口が変わるということです。
 親から受け取った恩とか、高校時代に何かやってあげた貸しみたいなものというのは、親の個人通貨や、自分の発行する個人通貨が相手のところに貯まっている状態です。
 それぞれが発行元になる個人通貨というのは、貸し借りです。
 だから「俺はそこまでやってもらった覚えはない」ということも可能じゃないか。つまり、踏み倒しが可能じゃないかと考えるのですが、そんな奴には貸さなくなるんです。

 「あいつは一方的に借りているんだけど、返しているのはこんなに少ない」というのも、見える化されると分かっちゃう。
 「あんなに借りているのにこれだけしか返していない」というのは、友達と旅行に行って、常に少なくしか払わないという人が見えると同じで、人から借りてばかりで返さないやつが見える化されているので、そんな奴には誰も気づかなくなる。
 そうすると、現金に頼るしかなくなる。

―― お金と違って、いろんな返し方も可能ですね。


 お金だとあるかないかだけだけど、評価なら、体が動かせるか、コネクション使えるかとか、その人の代わりに考えてあげるか、気を遣って電話してあげるとか、いろんな支払い方がありますから。


◆「俺これ考えた」ではなく、実証しないと人はついてこない


―― 岡田さんの軌跡、ルーツを伺いたいのですが。

 20代から30代はアニメ・ゲームのソフト作りで、30代半ばから50代までは本を書いた。50代に入るころからFREEex活動に入ります。

 共通しているのがコンテンツを作る側だということです。

 そして、「人のためになる」という目的です。

 その目的を持ったのは、中学生ぐらいの時ですが、その頃から、「どうも自分はまともではないな」と思っていました。
 まともでない人間が、まともなふりをして普通に生きるか、まともでない方を目指して生きるのかを決めようと思った時、じゃあまともでない方を選ぼうと。

 まともでない方の特権として、あたりはずれのある人生が与えられます。当たれば人並み以上に面白い人生です。
 普通の人からみたら、「うらやましいな」「すごく刺激的だな」「楽しそうだな」という人生が与えられる。何十人に1人。

 残りはハズレで、「あいつは若い頃に勉強しなかったからだ」「大学に行かなかったからだ」「マジメに働かなかったからだ」ということで、25歳を超えてから、すごくかわいそうな人生を歩む・・・というバクチ打ちの人生ですよね。

 そのバクチ打ちの人生を歩むのが、人のためになるというのを選んだ時の、僕の悩んだポイントですね。

 「いやいや、面白そうだから、バクチ打ちの人生を選んでみよう」と思って、こちら側にいるので、常にバクチを打つようにしています。
 FREEex活動にしても、ゲームやアニメを作った後、何で本を書くようになったのかにしても、「今の方向ではバクチの終わりが見えている。
 作っていても、そこそこ売れるだろうけれど、これから先の人生は面白くない」と思ったから。

 本を書いてもそこそこ売れるし、そこそこ講演会の収入が上がるけれど、終わりが見えている。
 だったら、もっと面白いバクチがあるんじゃないの?と思って、本を書く活動に、さらにFREEex活動にとバクチの打ち先を変えているんです。だから、僕のルーツはバクチ打ちです。

―― 人のために、という時に、誰のためにという対象は?

 最大不特定多数ですね。自分の目に見えない人。

 自分の理想はママレモンと言っていますが、台所用洗剤です。
 作った人が誰なのか、誰も知らない。メーカーも花王なのかどこなのかも分からない。でも、すごく生活に便利。
 本当に役に立つものは、感謝もしてもらえないんです、あれが理想。

 だから、まだ有名なうちはマイナーです。
 実用性が極まると、名前すらなくなってきて、当たり前のことになって、誰も感謝もしない。
 みんな、電球を発明したのはエジソンだって知っているけれど、足し算を発明した人は知らない。それぐらい役に立つからですね。

―― 今はまだ「岡田斗司夫」御輿だと。

 オタキングexからFREEexにしたのは、オタキングexだと、まだ名前がついているからです。

 より何が何だか分からないものにした方がいい。
FREEexは、僕を拡張するだけでなく、誰に対しても応用可能だから。ビジュアル系バンドも、学校組織も。

 誰にも応用可能だから、一般名詞を名前にしようと考えた。
Googleだと「ググる」という動詞がある。FREEexも何かをフリーにする時に「フリックスする」と言ってほしいから、オタキングexではだめだなと。

―― オタキングexの名前では、対象をせばめてしまうということですか。

 オタク文化をこれ以上広げて、世間のためにいいことないですからね。
 アニメやゲームを作っていた当時は、オタク文化を広げるんじゃなくて、まともなアニメを作ることが世間にとっていいことだと思った。
 まともなアニメは普通の人には作れない。オタクじゃないと作れない。アニメが本当に好きじゃないと。
 その時はオタク文化のためじゃなくて、まともなアニメが作りたい、まともなゲームが作りたいと思っていた。

―― 言論に回ったのはなぜですか。


 アニメは僕がいなくても十分に面白い作品が出来るように見えたので、それよりは、言論の方が性能が悪いように思えた。

 例えば、日本のアニメって世界で通用するじゃないですか。
でも、日本の思想家、世界に通用しないじゃないですか。吉本隆明が死んでも世界のニュースにならないでしょう。
 
 黒澤明が死んだら、世界が報道する。北野武が死んだら、世界が報道する。

 でも、日本の思想家で誰が死んでも、世界中のニュースにはならない。

 日本の思想は二流なんです。二流の結果、不自由が生じているという風に僕には見えたんですね。
 それで、本を書くことをやってみたんですけれど、ここにはあまりニーズがない。人のためになる余地がない。
 面白い本を書こうが何しようが、言論村とか評論村の騒ぎになるだけで意味がない。
 それよりもっと大きな社会実験をしないと。
 何かするんだったら、「俺こんなこと考えた」ではなくて、「これ考えた。今までのビジネスモデル全部やめます。このビジネスモデルでいけます。ほら、もう何年続いていますよ。実証できていますよ」という実験までやらないと、人はついてきてくれない。
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―― 『評価経済社会』の元の『ぼくたちの洗脳社会』は既に1995年に書いていたけれど、届かなかったということですか。

 コンテンツだけでは届かないんです。
 コミュニティとキャラクターが必要で、実験を公開してやらないと分からないんです。

 原始時代に「面白いこと考えた。利子をとる概念はどうだろう」と言ってもピンとこないんです。本を書くだけではだめです。

―― かつての経験で何か今のFREEex活動に生きていることは
ありますか。


 アニメを作っていた時の人の組織化とか、面白いからやろうと集まってくれる人を、どうやってつなぎとめるかとか、どうやって一緒に仕事をするか、ですね。
 「面白いアニメ考えたよ、集まれ」と言ったら、みんなギャラは安くても集まってくれるんですけれど、その分、面白くなくなると一瞬で離れるし、ほかに面白いことがあったら、やっぱりそっちの方にいってしまう。

 さっきの話でfacebookが今、強くて、GoogleやAppleから人が抜けていって・・・というのは、20代、30代のアニメを作っていた時の経験からです。

 「魅力的なコンテンツで人を惹きつけて、よそに人が抜けそうになった時にギャラ交渉する」というのは、やっても無駄だということです。

 貨幣経済の限界を考える時、現にアニメを作る時に、予算がどれだけあればいいのかというと、問題は予算じゃないんです。

 宮崎駿がやるといったら人が集まる。それはギャラの問題じゃない。
 ただ、宮崎駿といっても、ギャラを無視しては人を維持することはできない。宮崎駿がマネーメイクする仕掛けが必要です。
 貨幣経済と評価経済がちょうどいい感じでブレンドしているのがアニメ業界だったんですよ。
今もそうだと思う。
 カネだけじゃスタッフは集まらない。カネがなかったらスタッフは維持できない。

―― 今、金の回りの方がきつくなっているように思います。

 アニメなんかも、早いとこDVDなんかで消費者から直接お金をもらうモデルをやめた方がいいと思うんですよね。
 バラエティだとかテレビ番組も今、アニメの手法でやっている。
 過渡期だから成立しているんですけれども、買った人にもっと評価経済的にいいことがないと無理です。

 DVDの映像を自分でYouTubeに登録していいだとか、そういうふうにしないと、これから先なかなか商売が難しいと思います。






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