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2012年04月18日

特集 『ナディアの舞台裏』(『遺言』五章より)その(6) ブルーウォーターに込めるつもりだった設定とテーマ

その(5)より続き                その(1)はこちら                   

ブルーウォーターに込めるつもりだった設定とテーマ

 ただし、『ナディア』の面白さ・見所は、いま指摘した構造じゃないんですよ。
 『ナディア』は、このような構造的な欠陥がありながら、なぜこんなに面白いのか。こんなに上手くできたのか。

 それは一言で言えばキャラクターの力だけで最終回まで突っ走る所です。

 そこで今度は、庵野秀明の天才性に焦点をあてて、話をしてみたいと思います。

  キャラの力を語るために、まず設定との関係を話しましょう。
 『ナディア』を始めるに当たって、僕が庵野君から頼まれたのが、ブルーウォーターの設定です。

 ブルーウォーターは、企画書の段階では『ラピュタ』の飛行石みたいなものになっていました。
 正体はわかんないんだけど、古代からの道しるべみたいなもので、光ったり、意志を伝えたり、危険を知らせたり、いざという時に飛んできたり……。

 僕がその時、窓際族なりにがんばっていたのは、『ナディア』という作品の中で、SF表現として何か新しいことはできないかということです。
 そこで考えたのが「ブルーウォーター自体が、実体化したプログラムである」という設定です。


 プログラムというのは情報であり電磁パルスであって、実体がないものです。
 でもそれが物理的な質量と形を持っちゃったもの、それがブルーウォーターだと考えたんです。


 プログラムというのはデータであって、ハードウェアがないと動かない。
 パソコンというハードウェアがないとソフトウェアが動かない。


 ブルーウォーターはソフトウェアだけど、同時にハードウェアでもある。
 だからブルーウォーターは、デバイスとかネットとかも不要のものです。


 おまけに生物と物質の両方の特性を持つものにしたかったんですね。
 エネルギーであり、知識であり、装置である。とらえどころがない、魔法的科学の産物です。


 本篇でも、ブルーウォーターが時々光って、中に文字らしきものがちらっと見えるシーンがあります。
 この設定が生き残った部分ですね。


 我々が知るプログラムというのは、「ある手順を再現できる形で記述した命令の集合体」です。


 ブルーウォーターはそうじゃない。
 「知識とか概念自体が結晶化して物理的な形になっちゃったもの」という、すごくヘンテコな設定です。


 これだったら、アニメーションとして描いていく中でどんな使い方も出来る。
 サイズとか形状も自由自在だしエネルギー放射もできるし。
 数億年かかって徐々に大きくなってきた理由もそこに付け加えられるし、アトランティス人がこれで何をしようとしたのかもなんか語れるだろうなって思ったんです。


 庵野君が「じゃあ、その物理的な形を持ったプログラムは、どういう風に描けばいいんですか」と聞くので、
 「光っていれば大丈夫。あとは庵野君の好きなように描いてくれればいい」と言いました。
 時々キラキラして、バックに文字みたいのが見える。


 「ブルーウォーターとはなんなんだ?」
 「それは光でありエネルギーであり……」とか、何言っても大丈夫。


 ガンダムのミノフスキー粒子と同じです。
 困ったらミノフスキー粒子って言っとけば大丈夫みたいな。


 中途半端に科学的な設定を与えちゃうと矛盾が生じるんだけど、ここまで超科学な設定すると楽なんですね。
「物質と生物とプログラム、三つの側面を持ってます」と、最初に言ってしまう。

 そんなめちゃくちゃなものは存在しないから、類似のものと比較してつっこみようもない。
 だから、何やっても大丈夫だって話してたんです。


 なぜそんな設定を考えたのかって言うと、バベルの塔のためなんですよ。
 バベルの塔の回は、最初のうちから僕の担当だったんです。


『ナディア』三十九話の構成を考えるため、各話数ごとに何をやるのか、みんなで会議した時のことです。
 僕はガイナックスのホワイトボードに、一話、二話と三十九話まで列記して、スタッフみんなが腕くんで見つめてました。


 自分の担当話を決めて、そこを埋めていく。
 それが全体構成になるわけです。


 その何話目かに「バベルの塔」とだけが書いてる回があります。
 庵野君が聞くわけです。

 「岡田さんやりたいんですね。」
 「うん、やりたいやりたい」
 「どんなのするんですか?」
 「ガーゴイルがバベルの塔を作っているっていう話」。


 そこには巨大なガラスの塔がある。
 それは普段、レーザー兵器として使われるんだけど、ほんとの目的は違う。


 なぜアトランティス人がそんな物を作ったのか。
 母星との通信手段なんです。
 地球からほぼ百光年離れた星に住んでいるアトランティス星と通信するための光学レーザー通信機。
 それがバベルの塔の正体です。


 一万二千年前に地球に来た連中があんなの立てる理由は、それ以外どこにもないですよ。
 当時周りにいるのは、原始人ですよ?
 火焔式土器とか作ってた時代に、軌道上にあんな衛星を浮かべて、「見渡す限りの人間を焼き殺すことが出来る」なんて言ってもしょうがないですよね。


 あんな物を作り、コストをかけて運営しなきゃいけない理由は、母星との通信手段だから。
 地球に来てここが住める場所と分かった時、「こっちへ移住してこい」と信号を送るための設備です。


 もしくは「人類自体もアトランティス人が作り出した物だ」という、あとからできた設定を入れて考えると、アトランティス人たちに「おーい、人類の用意できたよ」「じゃあそろそろ収穫に行くよ」と通信するため。
 目的は不明だけど、人類を作り出して、それが成熟した文明を持ったときにアトランティス人たちを呼び出すための通信機です。


 レーザー光線などという、直接目に見える物ではない、もっと本質的な怖さみたいな物を表現したかったんです。
 「そこまで超越的な存在が、我々をどうにかしようとしてる怖さ」みたいな物を出したいから設定したんです。


 僕が考えたブルーウォーターの基本設定は、「地球と全人類の記録媒体」です。


 ブルーウォーターの中に入っている情報とは、地球上に存在したあらゆる人間、あらゆる物理粒子の、位置情報と時間情報なんです。つまり、この地球全体をハードディスク録画してるんですよ。


 その録画情報そのものがブルーウォーターです。
 地球上のあらゆる時代のあらゆる地形データや天候、雨粒ひとつひとつの動き。
 生命の発生から進化、人類の歴史そのもの、そこに生きている一人ひとりの人間の感情そのものも、全部レコーディングしてるんですよ。
 人類が誕生してからだから、アトランティス人が来る前から録画してるのかな。


 何十億年もの歴史がすべて録画されているんです。
 あらゆる生物が生まれたり、お互いに食ったり食われたりするのも、あらゆる人間の感情もすべて、あの小さなサイズの結晶になって記録されているんです。


 それくらいの膨大な情報量でないと、情報が結晶になったり、質量を持ったりできない。
 情報だけだったら殆ど質量0のはずですから。
 何億兆テラバイトあろうと、メモリー自体にすればすごく軽いですよね。
 メモリー自体が物質として実体化するからには、とてつもない内容量だろうと。
 だからきっと、全人類の歴史そのもの、全地球の歴史そのものがあそこに結晶化してるんだろうって考えたんです。

 何のためにそんな装置を作ったのか?
 これを最終回のクライマックスで出そうと考えたんです。
 僕と貞本君と真宏君が考えていたナディアの「もう一つの最終回」なんですけども、いかんせん、ガイナックス窓際族が考えた最終回ですからけっきょく現実化せず、日の目はみなかったわけです。


 その幻の最終回の伏線が、このバベルの塔の設定だったんです。


 バベルの塔とが何なのか、ガーゴイルもネモ船長も分かってないんですよね。


 ガーゴイルは「これは地球を征服するための強力な兵器だ」と言い、ネモ船長は「悪魔の光だ」と言う。でも二人とも間違っていて、あれは地球上に置いてある巨大な電話なんです。二人ともその正体が分からずに、違う面から見て話しているんです。


 そういう状況のまま、お互いが全く理解出来ない方法で状況を進めていく。
 いわゆるテーゼとアンチテーゼがぶつかって、ジンテーゼが生まれていくという弁証法的な作り方で、最終回に向かって作り上げてく、そのつもりでこういう伏線を張ったわけです。


 最終回は、「いかにしてガーゴイルを救うか」もテーマにしたかったなぁ。


 ドラマ的には、ネモ船長とかナディアとかジャンは絶対救われるんです。
 憎しみ合っていたものが和解するとか、死んだ者が生き返るとか、もしくはナディアがネモ艦長の事をお父さんと呼ぶとか。
 それで充分、そのキャラクターは救われます。


 でも、邪悪の根源であるガーゴイルという存在が、ストーリーの中でいかに救われるのか。これは難しいんです。


 最後まで彼は、ずっと全登場人物に対して敵対的でした。


 自分自身がメカの力で生き返らせたナディアのお兄さんに対してすら、愛情を注いでない。
 部下も平気で殺すし、人類も支配する対象でしかない。


 じゃあその彼の魂のよりどころ、自我の根拠はどこにあるんだろう。


 おそらくそれは、「俺は人間なんかじゃない」「俺はもっと優れた存在だ」みたいなものなのでしょう。
 でも、そんなこと言っていたヒットラーでさえも、エヴァ・ブラウンという愛人がいなければやっていけない。やっぱり弱い一人の男なわけです。


 あの富野監督も、『逆襲のシャア』では、シャアに時々女の所で「ララァ死んじゃったんだよ」と泣き言を言わせるわけです。
 「そう言わないと、男なんてやってられないよ」というのが、リアリティです。


 ガーゴイルも、生き方の根拠みたいなもの、魂の救済みたいなものを見せないと、「単に、『いや誤解でした』みたいな話では、三十九話続けてやったのに、あまりにも切ないなあ」と思ってたんです。


 そういうことを考えながら、僕たち窓際族は「せっかくカッコいい設定作ったのに、庵野君使ってくれないけど、どうするんだろう?」って思ってたわけです。


 その(7)に続く

『遺言』 岡田斗司夫著 筑摩書房  より




otaking_ex_staff at 17:00コメント│ この記事をクリップ!
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