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2012年04月11日

特集 『ナディアの舞台裏』(『遺言』五章より)その(3) プロデューサーの作り方

その(2)より続き                その(1)はこちら
プロデューサーの作り方

 
 庵野君が監督引き受けてくれたのは、そういう膠着状態の時です。で、ようやく『ナディア』を、作り始めたわけです。

 ここからようやっと『ナディア』編です。この本で、どうしても言いたいことが三つあったんですけど、その一つが『ナディア』なんですよ。

 あとの二つは、「アマチュア時代のオープニングアニメには、実はテーマみたいな物が」と、「『王立』と『トップをねらえ!』はこんな感じで作りました」。

 『王立』と『トップ』に関しては、「僕たち」という「一人称・複数形」が使えたんです。
 作っている最中、スタッフはかなり一丸となっていましたから。
 たとえば僕が話してる話と庵野君が話してる話と山賀君が話してる話に、もし食い違いがあるとしても、それは見てる場所とか見てる時間帯によっての時間、解釈の差だと言い切れるんです。

 でも、『ナディア』あたりから、このシステムが大きくなりすぎたんです。
 毎週一本なので、誰も全てを追いかけられない。僕たちの作品と言えなくなってしまったんです。


 『ナディア』の序盤に起きたクーデター事件の精算をするために、途中で井上さんにプロデューサーを降りてもらいました。
 そのあと、僕がそこでプロデューサーでございって入っちゃうのは現場がギクシャクしちゃってマズい。
 かわりに、当時まだ制作進行から制作デスクに上がったばっかりの村濱章司君が、「俺がやります」って言うんで無理矢理プロデューサーにしたんです。

  制作デスクになったばかりだったから、三階級特進くらいの無茶な人事だったんですけど、がんばってくれました。
 だからどうしても「プロデューサー:村濱章司」って番組クレジットで出してあげたかった。

 社長の僕が『ふしぎの海のナディア』という番組にクレジットされてないのは、そういう理由です。

 村濱君をみんながバックアップできる体制にしようと言って、プロデューサー・サポート体制をとりました。
 かつて『王立』で山賀君をいきなり監督にして、山賀サポート体制を取ったのと同じです。

 まず監督は庵野君。『トップをねらえ!』で六本分のキャリアがあるから、安定してるし、アニメ界にも人脈が多いからです。
 そういう方向から見ると『ふしぎの海のナディア』という作品には「いかに村濱章司というプロデューサーを育てるのか」というテーマの作品でもあったんですね。

 どうしても作品を見るときは、その作品がどう出来たのか、直接関わってくる制作側のスタッフ、作画とか監督とか、そういう部分から見ちゃいます。
 でもそれは、野球で言えば選手しか見えてないのと同じです。
野球にしてもサッカーにしても、前線で戦う選手の他に、監督とかフロントとかマネージャーとか、コーチみたいな要素も大きいわけです。


 アニメーションにおいては、声優さんと作画スタッフというのがオンステージで働いている舞台俳優、プレイヤーですね。スポーツでの選手です。

 それ以外の、監督とかマネージャー、コーチなど、現場スタッフではなくて管理スタッフの側というのを見ると、別の面白さが見えてきたりします。

 「プロデューサーはフレームで物を考える」というのは、なかなかわかりづらい考え方です。
 僕は大阪芸術大学で客員教授をするようになって今年で六年目ですが、学生に対してここの部分を、まだ実感させることができていないように感じます。

 芸術大学の学生は、アニメを作りたいとか、ゲームを作りたいとか、小説を書きたいとか、漫画を描きたいとか思って入ってきた学生ばかりです。
 いわゆるクリエイター指向、現場指向なんです。自分が手を動かしてなんぼ、の世界観です。

 そういう学生は「フレームで物を考える」という編集者的な、あるいはプロデューサー的な発想がほんとにできない。

 クリエイターを目指す限り、この世界のロジックを五〇%程度も理解できれば、そうとう得だと思うんですよ。
 たとえ実感できなくても、せめて知識としてだけでも知っていることは大切だと思って講義するのですが、なかなか伝わらなくて苦労しています。

 さて、『ナディア』の裏テーマは、村濱章司というスタッフをプロデューサーに持ち上げて、なんとかアニメを作ろうというチャレンジです。

 なにしろ、ついこの間まで大阪で大学生をやっていたヤツです。
 『王立』の追い込みのときに東京に引っ張ってきたばかり、ビデオを二、三作品、制作進行とか制作デスクをしただけのヤツをいきなりプロデューサーに抜擢したのですから、かなりのチャレンジではありました。

 もう一つは、ガイナックスという会社自体の大幅な組み替えです。
 僕は自分を中心として、最初は山賀君
 じゃあ『ナディア』をもう一度庵野君とやりたいかというと、正直別にやりたくなかったんです。

 僕がやっちゃえば僕の好きな作品になってしまう。
 NHKのTVシリーズで求められてるような「健全な少年少女のアニメ」にできるかどうか、というより、そういう作品を自分が好きになれるかどうか、作れるかどうか、自信が持てなかったんです。

 もちろん『ナディア』は今までのNHKアニメでは絶対できない、あり得ないような事をやるつもりでした。
 それでも、男の子と女の子がいて、キャラクターに魅力があって、アクションが面白くて、絵が綺麗でという、最低限守らなきゃ行けないルール。

 ルールじゃないですね。フレーム。
 これもフレームですかね。

 レギュレーションと言ったらいいんでしょうかね。
 F1マシンとして走りたいからには守らなければならないレギュレーションがあるのと同じように、TVでオンエアするものを作るためには、みんな正々堂々と守らなければならないレギュレーションがあるんです。

 どうもそれに対して自分が本気になりきれないと感じたんです。
 ぶっちゃけ『ナディア』に関しては、心が引けてたんです。

 だから、貞本君が監督でやると聞いてたら「ああこのまま貞本君でいいじゃないの」と思ったし、貞本君が「やっぱり出来ません」って言ったら庵野君が「じゃあ俺やりましょうか」って言ったときは「いいよ。庵野君、やって、やって」って感じでした。

 今の僕がその時の自分を見たら「お前、それは部下にやりたいようにやらせてあげてるように見えるけど、無責任だぞ」って説教しますね。

 自分が会社をやるとか、自分がトップでガイナックスという集団を作るって決めたんだったら、途中で「もう俺疲れたし、しんどいから他の奴に任せるわ。みんなの好きに作ってよ」なんて言っちゃいけないんですよ。
 それをやるときはその会社を完全に辞めるときでなきゃいけない。

 今では当たり前とおもうことも、その時はわからなかったです。

 NHKでアニメ作れたら会社もメジャーになるし、コンピュータゲームも売れてるし、お金も回って来てるし、何も悪いことがないような気がしたんですね。

 でも「悪いことがない」というのは、「乗り越えるやりがいもない=成長もない=良いこともない」というのと同じ意味です。

 少なくとも僕には向いてなかった。
 向いてなかったのに始めてしまったんだな、というのが今になったら解るんですけどね。

その(4)に続く

 




otaking_ex_staff at 17:00コメント│ この記事をクリップ!
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