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2012年04月07日

特集 『ナディアの舞台裏』(『遺言』5章より)その(1) 「貞本義行監督案」が出るまで

NHKアニメ「ふしぎの海のナディア」の再放送が、本日から始まりました。
デジタルリマスター版として驚くほど高画質になった『ふしぎの海のナディア』、第一回放送はみなさん、もうご覧頂けましたか?

 先日は、これを記念した特番「ふしぎの海のナディア」徹底研究!に岡田斗司夫がゲスト出演。アニメ制作会社ガイナックの社長時代の思い出や、作品への思いを語りました。
公式ブログでも、インタビュー・ノーカット版や、 当日のレポートをを掲載しています。

再放送開始の今日からは、岡田斗司夫の目からみた「ふしぎの海のナディア」をお届けします。
 
『遺言』第5章 「プロデューサーの役割、クリエイターの仕事 ナディアの舞台裏」を連載でお届けします。




制作側から見た「ふしぎの海のナディア」、プロデューサーという立場から見た「ふしぎの海のナディア」、クリエイターの思いから見た「ふしぎの海のナディア」・・・
クリエイター論としても、アニメ業界の歴史や舞台裏としても、岡田斗司夫の成長物語としても読みとくことができる、一粒で何倍もおいしい内容です。

一章だけでも非常に長いので、11回連載です。本日から、毎週 土・月・水に更新していく予定です。
4月いっぱいの連載です。じっくりお楽しみください。



「貞本義行監督案」が出るまで

 この章はガイナックス前記作品で最も有名な『ふしぎの海のナディア』について語ります。

 前章まで色々回り道をしながら、僕の関わってきたアニメを話してきました。それは、岡田斗司夫から見た「特定の時期の、特定のジャンルの国産アニメーションの歴史」です。歴史というと固いカンジがしますが、冒険談みたいに楽しんで読んでもらうのが一番いいんじゃないかと思います。

 自分でも凄くラッキーだなと思うのは、日本のアニメ青春期を一緒に生きてこられたことです。

 国産アニメの黎明期は『鉄腕アトム』とか、初のカラー放送とかの頃ですね。人間にたとえれば、幼少期です。

 で、『ガンダム』の頃が、少年期です。

 そのあとが青春期。「何やってもいいんじゃないのか!?」という無軌道なエネルギーが爆発している時期。「俺たちの熱い魂さえ伝われば視聴率どうでもいいぜ!」。そういうロケンロールな感じのする時期。思春期から青年期ともいえます。

 その時期のアニメ業界に、大阪で8ミリ映画を作っていただけの連中が乗り込んでいって、それなりに大暴れして、大冒険できた。まさに「アニメの青春期」。

 これが、僕の印象です。

 僕にとってのアニメ制作はずっと「冒険」だったんです。だから、「もうこれ以上アニメ作んなくってもいいなー」と感じたときに、素直に「これでもう終わり」とさっと引けた。アニメが「自分自身の生活の手段」とか「生きる意味」になってしまう前だったからだと思います。

「生きる意味」というのは変な表現ですけども、それが一番、ぴったりくる気がします。

 アニメーションを作っていると、次に何を作るのかがいつも気に掛かりますし、気にかけなきゃいけません。

 制作現場は、いつもお金が足りなくて、次の入金、その次の入金と「次回作」を追い求めざるをえないわけです。それと同時にいいスタッフをつなぎとめるためにも、「次回作」が必要です。

 いい作品を作ろうとすると、いいスタッフとの繋がりがすごく貴重になります。

 いいスタッフと仕事が出来ると、そのスタッフの実力がほんのちょっと上昇するのが見えたりする。そうなると、彼を手放すのがすごく惜しくなって、「この人とまた仕事したい」「この人とはこれをやりたい」と思います。新しく業界に入ってきた若手を見ると、新しい才能持ってるから、「こいつには誰もできなかった企画をやらせてあげたい」と、思わざるをえません。

 自分のスタジオの地位も上がってきたら、次はTVシリーズが出来る。劇場映画が出来るって、これまたやりたいことやまかせられる企画が増えていきます。やりたいこと、やらせてあげたいこと、やれること、この三つの動機で、次回作の候補は増える一方なんです。

 気がつくと、次々とアニメーションを作ることが当たり前になっていて、それがイコール生活の手段になってしまう。それはそれで、プロとして当たり前の生き方なんです。

 だけど、僕はそういう風に「作るのが当たり前の世界」にいると、すごく息苦しく感じる人間なんですよね。寅さんみたいな性格と言うとわかって頂けるでしょうか? 一カ所で同じ仕事をしろって言われると、出来なくなるタイプなんですよ。

 たとえば、『マンガ夜話』とか『アニメ夜話』でも、最近ポジショニングがとか役割が決まってきたので、だんだんやりにくくなってきています。ポジショニングを手探りしている間はすごく楽しくやれるんです。「あ、今の俺のポジションはここか」みたいに発見しながらやれるんです。

 でも、そろそろポジショニングが決まってきちゃった。たとえば『マンガ夜話』だと、僕が「あ、今の言葉わかんないです」とか「どうしてそんなに人気在るんですか」と「視聴者を代表して聞く」というのが、役割として確立してきています。でも、それが確立してくればくるほど、退屈して来ちゃうんですね。自分のがんばりどころも、楽しみどころも見つけられなくなって、今までのように生き生きとできなくなってくる。また、それが場の雰囲気にも悪い影響を与えているのがわかってしまう。そうなると悪循環です。

 同じように、アニメーションも「新作を作るのが当たり前」という環境になると、出来なくなっちゃうんですよ。

 そんな追い詰められ方をしていたのが、『王立宇宙軍』を作り、『トップをねらえ!』を作って、『ナディア』作り始める頃です。『王立宇宙軍~オネアミスの翼』を作った岡田・山賀コンビ。次に『トップをねらえ!』を作った岡田・庵野コンビ。そういう中心になってアニメを作った人間が全員、ぐったりしてたんですね。 僕はそういう追い詰められ方をしているし、山賀も庵野も、もう出し尽くしてるわけです。

 山賀は未だに充電中らしいですけど、当時は何かというとすぐに新潟に帰ってしまうほどでした。充電する、充電すると言いながら早二十年。お前の充電機はどうなってるんだと、今の山賀に言いたいですよ。

 当時は、庵野君も空っぽ状態でした。これはまぁ、仕方なかったとも思うんですけど。『トップをねらえ!』が本当に、予算的な限界を超えてなんとかやりきったところでしたから。終わった後は、逆に変な作品は出来ないみたいな気持ちがあるし、ちょっと足腰がふらふらしていた時代だったんですね。

 そういう時代に、前にちょっと話した通り、ガイナックスクーデターが起きたんです。当時、副社長だった井上博明プロデューサーが、「このままではガイナックスはダメになっちゃうよ」てなことで、NHK、東宝、グループ・タックの三社と秘密会議をした上で、貞本義行監督作品を立ち上げようとしたんです。

 なぜ貞本君を監督に選んだのか。

 一つは貞本君が圧倒的に画力があったからです。前にも話した通り、アニメーションの関係者、絵描きの関係者は、絵の上手い奴の言うことを聞くんですね。『王立宇宙軍~オネアミスの翼』を作ったとき、貞本君は、ほとんどキャリアがなく、素人同然でした。そんな人間に、キャラクターデザインも、作画監督もやらせると言ったら、ベテランは誰も付いてこないって周りから言われたんです。ところが実際にやってみると、結構付いてきてくれたんです。

 貞本義行の「絵のうまさ」が伝わるからなんですね。

 井上さんにはこれが、すごく自信につながっていたみたいで、「じゃあ貞本をメインにすればいいじゃないか」と考えたわけです。

 だって山賀は岡田と一緒で、しょっちゅう新潟に帰るし、でかいことばっかり言ってろくに働かない。庵野は出力にムラがありすぎる。かわりの人間を探すと、貞本しかいないわけです。

 もう一つ、これは前章でも書きましたが、貞本は、岡田・山賀・庵野・赤井のダイコンの連中とは少し違う、という点も大きかったと思います。

 なんだかんだ言って、大阪から連れてきた庵野・赤井・山賀は岡田派、岡田プロパーだろう。でも貞本にしても前田にしても、大阪から連れてきたわけではない。交流はあるんだろうけど、まだ動かし様があるんじゃないかと、井上さん考えたと思うんですね。

 井上さんにとっては、何よりもまず、「NHKでアニメをやろう」というのがあったんです。『ナディア』でのプロデューサー・井上さんの目的は、 NHKでアニメをやることだったんですね。

「こんな作品をやりたい」っていうのはないんです。「貞本にやらせたい」というのと「NHKでアニメをやりたい」。この二つなんです。内容に関しては、「貞本と、あと前田真宏っていう二人の天才がいるから、大丈夫だろう」という考え方です。

 プロデューサーには、いろんなタイプがあるんですよ。前章で話した西崎義展型のプロデューサーは、内容に深く関与するタイプです。

 逆に、内容に全く関与しない、お前らに任せるというタイプのプロデューサーもいます。これは、スポンサーサイドに多いプロデューサーなんですけども、井上さんは割とそのタイプでした。アニメの内容とか企画の話になるとぐっすり眠っちゃうくらいですから。

 今のガイナックスの統括本部長をやっている武田康廣さん(一九五七~)★も、どちらかというと内容にあまり興味がないタイプです。打ち合わせをすると、やっぱりぐっすり眠っちゃうんですよ。

 どっちのタイプがいいプロデューサーかという法則はないです。

 クリエイター側、特に監督に強いイマジネーションが在れば、内容に関与してくるプロデューサーは邪魔なんです。逆に、監督が対話を求めてくるタイプの場合は、内容に関与するプロデューサーの方が、企画が膨らむし、進みます。

「こんな事やりたいんだけど」とまずプロデューサーの方から言い出して、「そんなこと出来ませんよ」とか「こんな風なら」とか言いながら作っていきたいタイプ。いわゆるボケとツッコミ型。そのやりとりの中で化学反応が起きて、良い作品が生まれる。そうやって作りたいタイプの監督もいます。その場合は、内容に思い切り干渉してくるプロデューサーの方が相性いいんです。

 同じ「内容に干渉してくるプロデューサー」でも、プロデューサーが完全に上に立ってバシバシ言われないとだめな監督もいれば、対等に何でも言い合える仲でないとだめな監督もいます。

 前者の場合は、圧倒的な力でバシバシ言われながらがんばるという、SMみたいな関係、しばきしばかれる関係ですね。後者は、中学生のとき同級生でそれ以来のつきあいとかですね。構成作家と漫才師でも、そういう関係はよく聞きます。

 ほんと監督もプロデューサーも十人十色で面白いんですよ。

 ところがねぇ、富野由悠季の場合、読めないんですよ。

 ほんとに日によって、微妙に違う。こないだ会った富野さんはMだった。きついこと言ったら大喜びで「ひどい! ひどいよ、岡田君!」って大喜びだったのに、今回は「馬鹿なことを言わないで頂きたい」になっちゃうから。わからん!

 ネットで「富野さんはこういう人だ」って書く人いるんですけど、気をつけた方が良いわ。あんな鵺みたいな怪物は、尻尾の一本や二本握ったからと言って、あと五、六本残ってるから、つかめないよ、なかなか。

 全共闘世代のオヤジ達はほんとにね、とらえどころがない、最低でも二面性があるから、何かをつかんだと思ったらそれの反対側、対象位置にも本質があると思った方が安全なんですよ。

その(2) に続く

紹介文:のぞき見のミホコ
ブログ編集:山田 修平

 






otaking_ex_staff at 17:00コメント│ この記事をクリップ!
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