その(1)からの続き
佐藤〉うーん。じゃ、岡田さんがいちばん好きだったキャラクターっていうのは?
〈岡田〉キングですね。
〈佐藤〉あああ!
〈岡田〉ライオンのキング。あと、ジャン。
〈佐藤〉はい。
〈岡田〉何をやられてもへこたれない……
「島編」でまるまる一回、ジャンの空想のシーンがあって……。
〈佐藤〉ありましたね!(笑)
〈岡田〉次から次へのジャンが発明したら、ナディアが「素晴らしいわ、ジャン」っていう……その「素晴らしいわ」っていうのは、リピートって僕らは呼んでるんですけど、まったく同じ作画のくりかえしなんですね。
それは手抜きでも何でもなく、ギャグとして……天丼っていうんですかね、乗っけて乗っけて乗っけて、で、最後に落とすつもりでやってるんですけれども、30分のギャグなんて見たことなかったんですよね、テレビアニメで。だいたいギャグがあっても3分か4分で元に戻るんですけれども、30分、えんえん空想とか妄想だけでやっちゃたらどうかと思って。
そんな回があって、そのときのジャンとか、さっきいったキングとかが、すごい好きですね。
〈岡田〉はい。キングはキングでナディアが好きだったり、自分は動物だからって悩んだり(笑) 動物なんですけど(笑)
ジャンはジャンで、科学が好きで、ナディアは科学は嫌いなんですよね。でも君を幸せにしてくれるのは科学だよ、君が病気になったら治すのは科学だよって言うんですけれども、ナディアはわかってくれない。
『ふしぎの海のナディア』の中に出てくる自然と科学との関係はどうなっているのかとか、人間はどこから来たんだろうかっていう、ドラマの流れとジャンとナディアの関係っていうのは、完全に一致しているんです。そのぶん、ジャンが強くなければだめなんですよ。
ナディアにどんなことを言われても「えぇぇ」っていう、いわゆる草食系男子のはしりみたいなやつなんですけど(笑)
〈佐藤〉そうですね(笑)
〈岡田〉ジャンはジャンで自分というのを持ってないと、『ふしぎの海のナディア』というお話が作れないんですよ。だからジャンはすごい好きです。
〈佐藤〉すごい。いいお話、たくさん聞けた。
改めてお聞きしますけど、岡田さんはナディア自身をどう思いますか。
〈岡田〉微妙なことを聞きますね(笑)
〈佐藤〉微妙ですか(笑)
〈岡田〉ナディアってね、正直作っている最中も好きになりきれなかったですね。最終回あたりまで、やっぱり僕はダメだったんですよ。そういう意味ではスタッフの中では「ナディア、ちょっと嫌だよな」派だったんです。
〈佐藤〉主人公ですよね、でも。
〈岡田〉いやいや、僕らの中で主人公はジャン。これは、そんなナディアに惚れてしまったジャンのかわいそうな話なんですよ。
〈佐藤〉あああ!
〈岡田〉ナディアはのび太なんですよ。ジャンがドラえもんなんです。「ジャン。私、こんなことしたいの」ってナディアがいつも泣きついてきて、「しようがないなぁ。ハイ、冷蔵庫」(笑)
〈佐藤〉あはは。
〈岡田〉って、お弁当とか作ってあげる。 アニメを作っている側だから、やっぱり、物を作っている男の子に共感するんですね。だからナディアというキャラクターに、庵野監督やメインスタッフは別として、僕らはなかなか共感できなかったんですよ。
NHKさんから出てきた最初の企画書に「動物と話ができる少女」って書いてあって、ありがちだよなって思ったんですけども、設定確認しているときに庵野くんがすごく嬉しそうに「動物と話せると思い込んでいる少女でいきましょう」って言って。
〈佐藤〉ああ。
〈岡田〉見えた! と思ったんですよ。ナディアの嫌な性格もワガママも、すべて自分の中のある種の純粋性……自分は人の心の痛みがわかる、もっと弱いものの痛みがわかる、だから動物の心がわかる、逆に人間の心なんてわからなくてもいいんだ、もっと弱いものの心をわかってやらないといけないんだって思い込むんですね。
だから菜食主義者で、お肉なんか嫌いって言うんですね。それも本人のできあがったキャラクターではなくて、自分のことを自分でそうだと思い込んで、自分で作っちゃっている。言い方悪いけれども、演技しているかもわからないキャラクターとして捉えたら、急にナディアのことが皆どんどん好きになってきたんですよ、作っている最中に。
「島編」って、ジャンとナディアのふたりで島に流される話があるんですけれど、その中で、ものすごくナディアの二面性を語ってしまっている回があって、ナディアが動物に助けを求める回なんですね。「ひとりで来てしまった。お魚さん助けて、私の声が聞こえるでしょう。動物さんたち助けて」って言ったら、森や海が何ひとつ変わらないんですよ(笑)
〈佐藤〉そうですね(笑)
〈岡田〉だからここで、実はナディアは動物と話せると思い込んでいる女の子なんだ、と。
そういうのはテレビアニメで誰もやったことがなくて、その二面性を描いて、「人間の純粋性ってのはいいところもあるんだけど、自分を縛って頑なにして、人との対話を拒否してしまう場合もあるんだよ」っていうキャラクターなんです。
それが最後、どんどん心を開いていくから、俺たち、「おおーっ」って感動したんです。
最初のうちナディアを嫌いだと思った俺たち、バカだった、庵野君すげえよ、さすが庵野、ダテに山ほど失恋してねぇよ!
〈佐藤〉庵野監督の女性経験がそれで見えるっていう……。
〈岡田〉ほんとにそうなんですよ。
最初は、ナディアみたいな女の子なんでやらなきゃいけないのっていうのがあって、声優さんたちも「本当にこれでいいんですか? こんなにトゲトゲと演技して、本当にいいんですか?」。 いいです。
で、「こんなにトゲトゲしてても、3話か4話したら優しくなるだろう」と思ってるんですけど、後半に行くにつれてどんどん厳しくなってくる(笑)
〈佐藤〉そうですね、発言がキツかったりしますね。
〈岡田〉発言がキツくなって、ジャンのドMっぷりもますます加速して、ナディアに何を言われても「うーん、そうかもしれない。でもナディア、違うんだ」「何が違うというのよ!」「うまく言えないけど」みたいなので(笑)ずっと続いていく。
それのおかげで、最後、解放されて、ナディアがジャンを選ぶってのがものすごく共感できるんです。
そこまで私のことわかろうとしてくれたって。
よく「私のことをわかってくれる」って言うんですけど、そうじゃなくて、わかろうとしてくれるっていう、その行為とか積み重ねに人って心が動くんだな。
だから試写のときに僕たち、涙ですよ。うおーっと(笑)。自分が作ったアニメで泣いちゃったぁと思って(笑)。
〈佐藤〉私も最初、ナディアは芯の強い、純粋そうな子に見えたんですよ。けど、いきなり「島編」で、ナディアがすごくワガママになっちゃうじゃないですか。食料をジャンに内緒で盗んじゃったりとか、そういうのを見てて、「あ、こういう女の子いるなぁ」とか思って。
ちょっとワガママで自分勝手というか。でも、自分勝手なんだけど、すごく自分の意思は強いじゃないですか。そこにはすごい惹かれるな、と思って。
〈岡田〉そういう両面性を持っていて自分勝手だっていうのを、ナディア本人はどう思ってるのかっていうと、最後の方で「そんな私は、私も自分で嫌いや!」っていうのがあって、そんなセリフがあったからスタッフ全員救われたんですね。ナディアがちゃんと言ってくれた。
それもテレビ見てる人の前で「私もそんな私が嫌いなのよ! 何とかして!」って、そこまで甘えたらダメだから、弱音を吐けなかったのを、どーんと言ってくれるのがあって、「はああ」。
〈佐藤〉すっきりしますね。
〈岡田〉僕らの中でも、これをNHKのゴールデンタイムにやれたーっ!(笑)
〈佐藤〉確かに、なかなかないことですよね。
〈岡田〉それもやっぱり、最初から「全39話やります。打ち切りとかないです。視聴率とか関係なく、ひたすらちゃんとお話作ってください」と言われたので、僕らもその枠の上に安心して乗っかって、いろいろ話を積み上げれたんですよ。ほんとに幸せでした。
〈佐藤〉すごいですねぇ。
『ナディア』ってのは、アニメファンの中ではずっと語り継がれている作品じゃないですか。私の友達でも、『ナディア』見てたよって子も結構いるんですけど、今見てもすごいところっていうか、見所はどこなんですかね?
〈岡田〉『アルプスの少女ハイジ』+『エヴァンゲリオン』なんですよ。ハイジ+ガンダムって言えばいいのかな。人間ドラマとか、最初の設定が『アルプスの少女ハイジ』みたいな、名作アニメっぽいところから始まって、最後は宇宙とか人類の謎とかになって、SFメカとかが出てきて活躍する、と。
それがちゃんと、最初の『ハイジ』的な、地面に足のついたところ、そして、キャラクター的なリアリティや演技的なリアリティを失わないまま進んでいくんですね。
あんなアニメは他にないんですよ。そういう、人間ドラマをきちんと書きながら空想的なところまで持ってったというのがない。
そのへんが、どんな人が見てもおもしろいアニメになってるってことだと思います。
子どもは子どもで楽しく見れるし、男の子は男の子でカッコいいメカとか戦闘シーンをドキドキ見てる。女の子は女の子で、「こんな女の子をアニメでちゃんと描いてほしかった!」って、ナディアのワガママな女の子のリアリティってのに心奪われる。
そういう良さをきれいに描いた作品だと思うんですね。
〈佐藤〉どの年代の人が見ても……。
〈岡田〉おもしろく見れるんです。
その(3)に続く
文字起こし 無銘のマサフミ/活字のマリ/ヤムアキ
アンカー 後藤みわこ
プロデュース のぞき見のミホコ