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2012年03月29日

「国民スナフキン化計画」 サンプル原稿 2

ノブレス 新東京市 23才

『ちびまる子ちゃん』ってアニメがあるじゃないですか。
あのアニメに出てくる主人公の女の子のおじいちゃん――さくら友蔵ってのは、ある意味理想のおじいちゃんですよね。孫に優しくて、性格は穏やかで、ちょっと痴呆症のケがあるけれども、誰からも愛されている。まさに好々爺という感じです。
ところが作者の祖父は、あんな良いおじいちゃんじゃなかったそうですね。性格はまるきり正反対で、意地悪で冷たくて、家族の誰からも嫌われていたらしい。そんなことが原作マンガの単行本にオマケで掲載されていたエッセイに記されていました。ほんのちょこっとですけれど。

なんでそんなことが記憶に残っているかというと、私の祖父もまさに好々爺とは正反対の人物だったからです。意地悪で冷たくて、家族の誰からも嫌われていました。

口を開けば他人の悪口ばかり。他人のミスは誰よりも激しく糾弾し、自分のミスは何かと理由をつけて正当化する。
たとえば家族で外食をする際、祖父は必ず店や料理に文句をつけました。母や姉と会えば、容姿や体型をあげつらわないことはなく、父や私に会えば、学歴や職業を話題に出さないことはありませんでした。私は未だかつて祖父がなにかを褒めるところをみたことがありません。確かに「みんなのくに」に住めるのは祖父がノブレスの株主だったおかげですが、だからといって家族の中で王様になれるわけではありません。

そんなわけで、祖父の癌が判明した際、家族の皆が悲観にくれたといえば嘘になるでしょう。姉などはやっとあの糞爺がうんぬんかんぬんと、公然と喜びの言葉を口にしたものでした。当然、私も似たようなもので、あの時の心境は同じような人間が家族にいた者にしか分からないでしょうね。

もともと祖父は数年前から身体の不調を訴えてはいたのです。ですが生来の医者嫌いから、父や母がいくら請うても病院にいくことはありませんでした。癌が判明したのは、原因不明の腹痛で一晩苦しんだ挙句、救急車で病院に運ばれたのがきっかけです。

<大災厄>の時、祖父はフクシマ周辺に居ました。ですが、当然とっくの昔に成人していましたし、影響があるかどうかは微妙なところです。祖父は酒をやりませんでしたが、煙草は定年してからも一日二箱喫っていました。被爆の影響と喫煙の影響、腫瘍の形成にどちらの影響が大きいかは明白ですが、祖父の体内で癌細胞ができた原因がどちらにどの程度あるかは誰にも分かりません。砂漠で凍死する人もゼロではないのです。祖父のように、自分の病を何のせいにすれば良いのか、因果関係の迷宮に苦しんだ人は多いと思います。

ええ、今や癌は治る病気です。テーラーメイド医療が実用化されて久しいですし、「みんなのくに」では今年から免疫療法も保険適用になりました。壁の内側では十年前からそうなのですが。
ですが、風邪で死ぬ人は今も沢山います。壁の外側では、錆びた釘を踏んだまま医者に行かず、敗血症で死ぬ人も沢山います。いくら事前に抗癌剤の効果が分かっても、いくら癌ワクチンが発達しても、いくらiPS細胞から作ったNKT細胞を移入しても、生きる人は生きるし、死ぬ人は死ぬんです。


これで肩の荷が降りたかというと、そうでもありませんでした。病院はあくまで医療面で患者の面倒をみる施設であって、生活の面倒をみるわけではありません。祖父の着替えや細々とした身の回りの世話などがあり、母はほとんど毎日病院に通わなくてはなりませんでした。自分も、少なくとも週に一度は病院に行きました。

驚いたのは、必ず知らない面会人が病室にいたことです。私も父も母も、当然姉も知らない人物です。それも、毎回異なるグループで連れ立って、ひっきりなしにやってきていました。祖父と同年代の老人から、どうみても学生といった顔立ちまでの、幅広い年齢層でした。「みんなのくに」の住民も入れば、壁を越えてやってきた人もいました。
「友達だ」と祖父はいいました。しかし、自分が癌で入院した時、あれほどの人数が見舞いにくるかどうか想像すれば、異常な人数でした。祖父に、そんなにも人望があったのでしょうか? しかも、若者から老人まで。

とうとう我慢できなくなった私は、どういった経緯で祖父と知り合ったのか、何人かに尋ねました。ある者は、とあるSNSで知り合ったと答えました。ある者は、また違うSNSで知り合ったと答えました。……知り合った経緯は異なるものの、全員、ネット上で交友関係を結んだ人間でした。……そう、祖父は「あの国」の住人だったのです。

これは完全に法に触れる行為なのですが、好奇心を抑えられなくなった私は、祖父が在籍していたSNSの幾つかにアクセスしてみました。デスクトップのパスワードが祖母の名前と誕生日を組み合わせたものだと判明してからは、Web履歴を参照すればたいていのSNSに祖父のIDで侵入できました。ええ、家族の中で祖父が意外にもロマンチストだということに気づいていたのは自分だけです……と言いたいところなのですが、実のところ見舞い客の一人で、祖父の親友らしき人から教えて貰ったのです。祖父に親友と呼べる人がいたことさえ驚愕でしたが。

祖父は同時に18のSNSにアクセスしていました。うち、管理側として参加していたのが3つ、イデオローグとして指導的立場をとっていたのが更に3つ、メンターとして若手メンバーの面倒をみていたのが5つありました。残りは名前を貸していただけのようですが、それ以外では、SNSのメンバーたちと親密に付き合っていました。家族同然のつきあいといって良いでしょう。自分が生まれる前からネット上での活動は始まっており、祖母と知り合ったのもネットでのようでした。
家ではあれほど嫌われていた祖父が、たいていのSNSで信頼される年長者としての立場を確立していたことが、自分にはショックでした。多分、祖父はテキストでのやりとりというもののコツを分かっていたのでしょう。決してネガティブなことを書かず、他人のミスをフォローする。ギブ&テイクなビジネスパーソンとしてではなく。かといってテイクばかりのお客様でもなく、ギブ&ギブなネット市民としてコミュニティに参加する。コミュニティのどこかで問題が起こればコミットし、年長者にしかできない助言を行い、解決に導く……私たち家族が知っていた祖父の姿とは完全に別人でした。


しかも、ネットでのやりとりに留まっていたわけでもありませんでした。数年前に原子力安全管理特別区域――「御料地」のフクシマ地区が渡航と通信の制限を行なったことがありましたよね? 「鎖国事件」といった方が話が早いかもしれません。知っての通り、今の世の中で「鎖国」をいつまでも続けられる筈無かったのですが、数ヶ月間はコミュニケーションにかなりの不都合がありました。
当初、フクシマと外部とでは、ネットはおろか電話も郵便も繋がらなかったのですが、いち早く匿名でプロキシサーバーを立て、衛星ブロードバンドを通じて情報のハブとなったのは祖父でした。回線を増強し、IP電話の転送さえ行い、それをマニュアル化し、他の「勇者」を募集していました。そういえばあの数年間、やけに祖父のサーバー部屋が増強されてるなと不思議に感じていたものです……ええ、電気代が多いのはいつものことでした。

この時期まで、どうも祖父はネットの家族たちとリアルで直接会うのを(祖母を例外として)避けていたようなのですが、この事件をきっかけに対応を変えたようでした。ネットとリアルでの印象の違いを揶揄するコメントがあちこちにありました。「リアルでは女としか会わないと思ってた」なんて具合にね(笑)。ただ、それも祖父の魅力の一つとして映ったようです。
だからこそ、死に目にもう一回会いたいと、あれだけの人数が集まったのでしょう。


ただ、私たちリアル家族と、ネット上の拡張家族の皆にとって意外だったのは……祖父が癌から回復したことです。ええ、言いましたよね? 死ぬ人は死ぬし、生きる人は生きるのです。
まさにこれこそ憎まれっ子世にはばかるというヤツです。パスワードを教えてくれた祖父の親友の前でそう呟くと、握手を求められました。力強い握手でした。帰宅後、私のメルアドに祖父とその親友が管理しているクローズドなSNSの一つから招待メールが来ていました。

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これを読んだことが私、無銘のマサフミにとっての「国民スナフキン化計画」の始まり。
FREEexで書籍全般を担当するマクガイヤーのリュウタロウ兄さんの作品でした。
明日は先行して募集をしていたクラウドシティの方の作品を掲載します。

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otaking_ex_staff at 23:00コメント│ この記事をクリップ!
国民スナフキン化計画 

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