卒業特集5回目にして最終回。
最終回は「夫からの卒業」をテーマに「フロン 結婚生活・19の絶対法則」を紹介します。
フロン―結婚生活・19の絶対法則
電子書籍版は、こちら http://p.booklog.jp/book/45160
「フロン」とは、
夫婦の「婦」で婦論
夫婦の「夫」で夫論
父兄の「父」で父論
この3つがかかったタイトルです。だからカタカナなんですね。
そこから導きだされた結婚生活・19の絶対法則。1から19まで順番にどうぞ。
※注意※ 品質には十分に注意を払っておりますが、体質によっては、体に変調をきたす場合がございます。もし体に異常を感じた場合は、ただちに読むのを中止して下さい。
◆結婚生活・19の絶対法則 1 今の日本では、「安らぎのある家庭」など生まれようがないのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 2 いつのまにか私たちは、「正しい愛情」だけを家庭の拠りどころとしています。
◆結婚生活・19の絶対法則 3 現在、“結婚すること”は、とくに女性にとってデメリットばかりです。
◆結婚生活・19の絶対法則 4 日本の妻たちのほとんどは、「あーあ、結婚しなきゃよかった」と思っています。
◆結婚生活・19の絶対法則 5 夫婦がいつまでも連れ添うというスタイルは、もう限界にきています。
◆結婚生活・19の絶対法則 6 現代の女性たちにとって、もう恋愛は重荷になってきているのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 7 「恋愛が自由市場化された社会」がこれからやってきます。
◆結婚生活・19の絶対法則 8 ひとりの人を変わらず一生好きでいることは、もう誰にもできないのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 9 「いちばん好きな人と結婚したい」という考えが、あなたを不幸にする元凶です。
◆結婚生活・19の絶対法則 10 明確なプランと動機づけのない子育ては決して成功しません。
◆結婚生活・19の絶対法則 11 普通の父親や夫は家庭内のリーダーにはなりえないのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 12 家庭から夫を出してみましょう。捨てるのではありません。リストラするのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 13 現在の家庭の問題点は、夫の体面と妻の依存心で、リーダーがはっきりしていないことです。
◆結婚生活・19の絶対法則 14「外助の功」こそが唯一、妻も夫も納得できる「男としての活躍の場」なのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 15 本来、家族のリーダーは妻なので、“部下の夫”に判断を求めるのは間違っているのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 16 本当に欲しいのは「安定」。ひとたび自由を味わってしまった私たちは、後戻りできません。
◆結婚生活・19の絶対法則 17「一夫一婦制」と「核家族」の規制緩和こそが、幸せへの近道なのです。
◆結婚生活・19の絶対法則 18 いざとなれば、ひとりでも生きていける。この自信と自負だけが、あなたを本当に自由にしてくれる。
◆結婚生活・19の絶対法則 19 付き合う相手、子育てする相手は夫だけとは限りません。そのつど選びなおせばいいのです。
…もう止めて、夫のライフはゼロよ!
こうしてリストラされた夫はどうなるのか。
ちょっと長めのあとがき、先に読んでみますか。
【ちょっと長めのあとがき】
もともとこの本は男性向けに書き始めたものです。
が途中で「実際にこの本を必要としてくれるのは、むしろ女性ではないか」と、考えるようになりました。
そこで私はいろんな年齢、立場の女性に、ここに書いた話をしたり、未完成状態の原稿を読んだりしてもらいました。
すると面白いことに、彼女たちの反応は、以下の3つのパターンにきれいに分かれました。
*
ひとつめは「夫をリストラしろって、そんなの男ばっかり得じゃない!? ズルイ!」です。
どうも「男にとって家庭なんてどうせ足かせにしかすぎないんでしょ。
リストラされて自由気ままに浮気できるほうが、そりゃ都合いいでしょうとも」と考えている女性は多いようです。
しかしこれが、大間違い。
男は、家庭や彼女という安定があるからこそ、浮気したくなるものです。
その家庭そのものがなければ、不安でしかたがなくなる。
何よりの証拠に、この理論を聞いた男性が全員、元気がなくなってしまいました。
「理屈でいくらそのほうがいいと言われても、家庭からもリストラされるのは寂しすぎる」というのが、男性の正直な意見なのです。
男性は「オレは必要とされているんだ」という自信をなによりも大事にします。
企業のリストラ話にあんなに怯えるのは、「お前は不要」という烙印を押されるのが一番怖いからなのです。
そんな男性が「家庭からのリストラ」と聞いて、顔色を失うのも無理はありません。
あとで話しますが、著者である私自身にも「夫を家庭からリストラせよ!」という考えには、強い反発があったのですから。
*
ふたつめは、「その通りだと思うけど、働き先もないし。お金がいっぱいあったら問題ないんだけどね」というもの。
確かに、別居するにはお金がいります。夫から完全に経済的にも独立しようとなると、なおさらです。
が、少しでも自分の自由になるお金を確保すれば、それは精神的な余裕や自信を生み出してくれます。
現状に甘んじず、ぜひ努力すべき問題でしょう。
その結果、経済的に独立することは不可能でも、精神的に独立することは、ある程度可能ではと思います。
とにかく「収入の先が夫だけ」という状態は絶対に良くありません。
いくら夫を信じていたとしても、他人に自分の人生を任せてはいけないのです。
このような信頼は愛情でもなんでもなく、単なる怠惰です。
夫以外からの収入は、働くだけとは限りません。
何度も書きましたが、実家からの援助でもなんでもいいのです。
働くのが無理なら、たとえばいまから「夫が定年退職したあとに離婚するかも」と仮定して、着々と準備を進めてみるというのも手です。
普段からこう考えるように習慣づけるだけでも、精神的独立の手段として良いかもしれません。
*
3つめは「うちはうまくいっているから、関係ない」「そんな面倒なことをするくらいなら、いまのままでいい」という意見。
これに関しては、私は反論しようとは思いません。
いまが幸福なら、なによりです。
だいたい、人間にとっていままでの価値観を変化させるのは苦痛をともなうものです。
とくに、いままで持っていた安心感がなくなるとなれば、なおさらです。
ただ、もし不満がつもってきたら「こういう解決策もある」ということをぜひ思い出してください。
そうして、できれば「無意味なガマン」「避けられるはずの苦痛」を最小限に抑えるために、早めに手を打つことをご検討ください。
*
さまざまな女性たちに、こうやって一つひとつ私の考えを説明していくと、最後に必ず行き着く質問は「岡田さんはどうしてるの?」です。
「そんなこと言ったら、岡田さん自身がまず最初にリストラされなくちゃいけないんじゃない?」
この本は、私の話ではなく、一般論として考えてあります。
私の個人的な悩みや、私生活に関して話しても仕方ないと思っていました。
誰もが利用できる「人生の役に立つ本」を書きたかったからです。
が、あまりにもみんな、私自身のことを聞きたがります。
最初は不思議に思いましたが、よく考えれば納得がいきました。
男の私が言っている理屈が、「本人には関係ない〝天下国家論″」なのか「地に足のついた方法論」なのか、確かめたがっているのです。
*
この本を書く前の私は、自分自身を「かなり良いパパ」と考えていました。
私のまわりには、忙しい編集者がごろごろいます。
それに比べれば、会社に泊まらず毎日家に帰るというだけで合格点という気がしていました。
そのうえ私は、週のうち4日~5日は家族と一緒に夕食をとっていました。
娘とお風呂にも入るし、頼まれれば食事の用意も積極的に手伝いました。
授業参観にもマメに行くし、運動会では写真を撮りまくりました。
とにかく、できるだけ家族といる時間を多くとって、パパらしいことをするのが「良いパパ」の定義でした。
妻も娘も、「よそのパパに比べればうちのは良いパパ」と思ってくれているようでした。
が、この本を書き進めるに連れて、この自信は揺らぎだしました。
本当に、それだけが「良いパパ」の条件なんだろうか?
*
この本を書くにあたって気をつけたことは、机上の空論にならないこと。
まず現在の日本の実状をかなり正確に把握するため、実例を多数収集しました。
そこから「いまの日本の家庭はどうなっているか」を判断し、なぜそうなっているのか、理由を考えました。
この現状と理由を合わせて考えると、「次はこうなるだろう」ということが見えてきます。
「次」をはっきりさせて、私たち個人個人がどうしていったら幸せになれるかを書こうと思ったわけです。
この理屈の組み立てのなかには、「私自身」の思惑や損得は少しも入っていません。
「私が家族に対してどういう存在でありたいか」「妻や娘がどうしてくれたほうが都合がいいか」は、関係ない問題でした。
けれど、関係ないですましていい問題ではないはずです。
私は「天下国家を語りたい」のではなく、実際の家庭の問題を、少しでも現実的に解決したいのですから。
*
本を書き進むほど、まったく問題がないと思っていた私の家庭も、問題だらけだと気づきました。
ですから、最終章近くになって「家庭から夫をリストラしよう」という結論が、論理的に導き出されたときは、自分自身にとってもショックでした。
ちょうど妻相手に、この部分の理論を説明しながら構築していた最中だったのですが、たっぷり3時間はショックで口がきけなくなってしまうほどでした。
ついこの間まで「良いパパ」などと自信満々だったのが、いきなり「不要品」のレッテルを貼られたようなものです。
おまけに、私はもう、家庭にはいられないのです。
「家庭とは、育児をするための期間限定の『職場』である」
この事実に気づいてしまった以上、もういままでどおり脳天気に安らぎを求めるわけにはいきません。
しかし理屈ではわかっていても、「安らぎの場である家庭」を失ったショックは大きいものがありました。
「家族から頼られる良いパパ」の像が崩れるのは、哀しすぎました。
自分ではそんなつもりはなかったのですが、「自分はちゃんと家庭を持っている」「しっかり、良い父親役を果たしている」ということが、いつの間にか、自分のなかの自信の大きな部分を占めていたことを思い知らされました。
その自信がなくなった途端、ガラガラとアイデンティティが崩壊し、自分が何の価値もない人間に思えてきます。
けれども父親として何をしてきたのかと言われると、大したことは何もしていません。
勝手に「良い父親」などといい気になっていただけで、それは「世間の父親に比べたらオレのほうがマシ」という理由だけだったのです。
そんな「良いパパ」のイメージで安心していたのかと思うと、自分でも情けなくなってしまいました。
*
母親にとって家庭は職場です。その職場を、父親の私は勝手に「安らぎの場」などと決め込んで、まったく職場とは見ていませんでした。
「今日は仕事で疲れてるから、自分の部屋でのんびりする」「今日は元気があるから、娘と遊んでやろう」と自分の都合で、したいことだけをする。
まるでディズニーランドのお客さん気分です。
とくに、我が家は共稼ぎ、妻も働いています。
この妻に「母親にとって家庭は職場だ。私は家庭に帰っても、ちっともほっとしない。帰り道で、すでに家事の段取りを考えている。家庭に帰るというのは、ひとつの職場からもうひとつの職場へと移動するという意味だ」と教えられました。
そのときは「なるほど」と納得はしましたが、心から認識してはいなかったのです。
*
「家庭は安らぎの場ではなく、職場である」
まず、これを自分で実行してみるしかありません。
昨年10月より、家庭には週に3日しか帰らないというシステムを、作ってみました。
幸い、仕事をしている事務所には、寝泊まりするスペースがあったので、残りの4日はそこで泊まることにしました。
家に帰る日は「必ず仕事をしに帰る」と考えるように心がけました。
また、「少々の仕事ではこの曜日をキャンセルしない」「当日になって帰れない、といった事態は作らない」というルールも決めました。
たとえアルバイトだって、職場にはそれくらいのルールと責任はあるはずです。
とにかく「自分の家だからいつでも帰れて当たり前」ではないし、「仕事があれば、いつ帰れなくても当たり前」でもない。「仕事をするために帰る」「仕事に行くのだから、キチンと時間どおりに出社する」と考える習慣をつけようとしたのです。
このシステムを実際に守ることで、私自身の心に深く刻まれている「家庭は安らぎの場」という考え方は少しずつ消えていきました。
*
しかし、「これだけでは不充分。まだまだ自分の性根はすわっていない」と知らされる事件が起きてしまいました。
それは、この週3日システムを始めて3カ月くらいたったころのこと。
『フロン』もすでに最終章までひと通り書き終わり、その理論が私の心のなかでほどよく発酵し始めていたころです。
「で、岡田さんところはどうなの?」という質問には、「僕は週3日、自宅に出勤しています」という話ができるようになって、一歩前進というカンジでした。
「夫婦仲が悪いわけじゃないですよ。むしろ週3日にしてから、前より仲良くなりました。週3日しか会っちゃいけないと思うと、その3日が楽しみで」などという自慢話もできるようになっていました。
でも、それを聞いた人の何人かからは「でも、結婚しているのに理由もなく別居しているなんて不自然よ。それじゃ、何のために結婚しているの?」と訊かれてしまいました。
確かに、そうかも……。
結婚していること自体がへんなの?
「週3日しか会わない関係になっても、結婚している意味って、何かねぇ? だいたい、子育ての間だけの契約関係のはずだよね、夫婦って」
すると、妻の答えはさっぱりしたものでした。
「結婚している意味なんてないよ。だいたい、結婚したのだって、世間体を気にしたからだけでしょ。私はあなたと一緒に暮らしたかったけど、結婚したいとは思わなかったわよ。だけど、同棲なんかじゃ親やまわりがうるさいから、結婚したんじゃない。だいたい、あなただって私にプロポーズもしてないわよ」
もともと彼女は、まわりが自分たちをどう見ようが気にしない、という性格でした。
よく言えば「自分に自信を持っている」、悪く言えば「まわりに気をつかわない」たちなのです。
彼女にそう言われてみれば、確かにそうです。
じつは結婚なんて意味はない。
そして、夫は家庭からリストラされるべきである
。
でも私は家庭からリストラされ、週に3日しか帰っていないその時点でさえ、自分には「家族の待つ我が家」があると思っていました。
「リストラされたのに、まだ会社に席があると思いこんでいる、思い切りの悪い奴」
それが私でした。
*
「こんな中途半端な状態じゃダメだ。ちゃんと離婚しようか」
妻は穏やかに「別にいいよ」と答えてくれました。
その瞬間、いきなりすごいショックが打ち寄せてきました。
「夫はリストラされるべきだ」という結論にたどり着いたときと同じくらいの大きな衝撃でした。
だって「自分の家」と思っていたのは、彼女の家なのです。
自分の家へ帰るのではなく「彼女の家へ行く」なのです。
彼女の家には、自分の子どもがいます。
でも、その子どもの保護者は、私ではなくて彼女なのです。
家族にリストラされたときは、「安らぎのある家庭」がなくなったのですが、今度は「私の家庭」自体がなくなってしまったのです。
茫然自失の私を尻目に、妻ははりきりました。
「自分の家のことは、自分ですべて決めてよいんだな」とすばやく理解して行動を開始したのです。
まず、それまで住んでいた広めの一戸建てを解約し、自分と娘と犬が住むのにちょうど良い、こぢんまりした一戸建てを近所に探し始めました。
そして、あっと言う間に引っ越してしまいました。
「自分と娘と犬」という、彼女の「家族」にちょうど必要なだけの広さ。
いくら改造してもいいという自由度の高さ。
すべてが、彼女の好みにぴったりの家です。
働いている彼女の収入だけで、娘を養ってふたりで食べていけるだけの生活に、ダウンサイジングしたわけです。将来の自分のために貯金もするのだ、と言っています。
いままで、私とふたりの家、私とふたりのお金、私とふたりの人生ということで、考えないようにしていたこと、考えても仕方がないと思っていたことが、自分でコントロールできるようになったのです。
離婚しようといった最初の30分こそ、少し不安そうでしたが、それ以降はずっと、生き生きとしています。
別れた元・妻に言うのもへんですが、「何だか、カッコいいなぁ」と、嬉しくなってしまいました。
*
さて、離婚された私は、娘にとってはあいかわらず「お父さん」だけど、元・妻にとっては「週に3日泊まりにくる彼氏」になりました。
引っ越しを機に、自分の服や、大量の本も自分の事務所に運び込みました。収納家具やドラム式洗濯機も買って、自分で洗濯をする習慣もつきました。
彼女の家に泊まりにいくときは、着替えとその夜に読む本を持っていきます。
「自分の家は事務所の3階」「週に3日、彼女の家に泊まりにいく」という感覚が、心のなかで落ちつきはじめています。
事務所にも「安らぎのある家庭」があるわけではありません。
私が持っていた「安らぎのある家庭」は永遠に失われてしまったのです。
でも、それを悲しむのはいけないことだと思います。
その安らぎは、見えない犠牲のうえに、不当に得たもののような気がするからです。
だからこそ、私たち父親や夫がリストラされるハメになったのかもしれません。
どんなに良い父親も、いわゆる「父親」というイメージの存在である限り、将来的にはリストラされてしまうのだろうし、それがあるべき正しい世の中の流れなのではないでしょうか。
*
この本では、女性がこれからどうなってしまうのか、どうしたら幸せになれるかを書いてきました。
でも、男性も同じことです。
女性同様、父親や夫という存在から自由になって、一個人に戻るべきなのでしょう。
それは、他の女性を好きになろうと、何人と恋愛しようと、かまわないということでもあり、同時に、誰かが生涯の伴侶になってくれることは絶対にありえない、ということでもあります。
「家族がいるから」「責任があるから」とあきらめていた転職を考えることでもあるでしょう。
いままでは「家族があるから仕方ないんだ」と目をつぶっていた仕事場の不正を告発することかもしれません。
「家族がいる」「責任がある」は、もう私たち男性の逃げ場にはなってくれないのです。
いままで、結婚しているから、父親だからという理由でやらなかったことを、今度は「自分は本当はどうしたいんだろう」と考えて決める必要があります。
倫理観や世間の目を気にせず「本当にしたいこと」をみつけるのは、案外むずかしいことかもしれません。
本当は、そんな自由なんて自分は欲しくなかったのかもしれない。
でも、この「何となく不安で寂しい状態」こそが、人生の本質なのだろうとも思います。
この寂しさをいかに紛らわすかが、幸せを追求するという行為の本質なのでしょう。
振り返れば「温かい家庭という安らぎ」が見える気もします。
「運命の糸で結ばれた生涯の伴侶」が、どこかで待っていてくれる気もします。
しかし、それらはいまや私たちをあてもないオアシスへと誘い苦しめる、砂漠の蜃気楼なのです。
私自身、この寂しさを噛みしめながらも、いかに生きていくか、模索している最中です。
皆さんもぜひ、いまの自分の何を断ち切って何を大切にするか、不安を恐れずに見つめなおしてください。
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いかがでしたか?
文庫版の解説では、くらたまこと倉田真由美さんが本書を絶賛してます。そちらも合わせて読んでみて下さい。
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企画・構成 のぞき見のミホコ
ライター 無銘のマサフミ