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2011年12月31日

「著作権を無くして~」「作者には握手会で」のノーカット版

ニュース系で大評判になってる「著作権を無くして音楽やマンガを自由に流通させろ」「作者には握手会で金やればいい」という発言の、ノーカット版です。
 刺激的なタイトルで期待した人には申し訳ないけど、わりとまっとうな内容だよ。
 ネットで流れてるのは、僕や福井先生の発言とは違ったまとめや引用だけど、それが起爆剤となってこのサイトに来て読んでくれて、著作権に興味持ってくれる人が増えるなら大歓迎です!

『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』(阪急コミュニケーションズ)のP100~P123に掲載されている対談の、チェック前原文ですので、てにおはなど一部読みにくいのはご容赦を。第4章
クリエイターという職業

<小見出し>
野球でメシは食えない

<本文>
岡田 福井先生も、クリエイターが今後本当に食っていけるかどうかは疑問を持っているんですね。それなら、この流れで話をしばらく続けさせてください。
 コンテンツを作るということを、野球で説明するとすっきりすると、僕は思っているんですよ。

福井 野球ですか?

岡田 例えば、野球がクラスでいちばんうまいからといって、そいつは野球で食っていくことはできませんね。クラスじゃなくて、学校でいちばんうまくてもそれは無理です。県でいちばんうまいなら、考えてもいいかもしれないけど。もしその年、甲子園で活躍できたら、そいつはおそらくプロに入れるでしょう。でも、プロで成功できるかどうか、何年続けられるか、将来はまったくわからない。これが、趣味で生きる人間の「食い扶持(ルビ●ぶち)」だと思うんです。

福井 厳しいですね。

岡田 でもそれが現実でしょう。野球がうまい奴なんてそこら中にいます。河原で草野球をしている人は多いし、社会人野球で働きながら野球を続けている人もいます。野球だけで食えている人なんてほとんどいないんですよ。
 じゃあ、コンテンツの創作はどうなのか? マンガを描ける、楽器を演奏できる、小説を書ける、その程度の能力で、飯を食っていこうというのかと。僕たちの社会が持つ余剰は、そういう能力のある人間をどの程度食わせていくことができるのだろうか? うまいだけなら、趣味でやっていけばいいんですよ。コンテンツを作って食っていきたいという奴に会うたび、「草野球が趣味のサラリーマンみたいに、もっと真面目に生きろよ!」といいたくなっちゃう(笑)。

福井 ははは。創作は真面目じゃないんですか?(笑)

岡田 創作だけで食っていこうという態度が真面目じゃありません。

福井 ああっ、なるほど。

<小見出し>
プロとして食えるクリエイターは1000人

<本文>
―――その発言だけを取り出すと、とても前時代的ですね(笑)。

岡田 人間が持っている職能について考えていくと、こういう結論に達するんですよ。特殊な職能を持っていると、初期のうちはそれで食えるという幻想を抱きますね。
 大昔なら、力が強いとか、喧嘩が強いとか、そういう能力のある人は周りの人をどつくなりして、食料を奪うこともできました。ところが時代が進むにつれ、力が強い、喧嘩が強いという能力では飯が食えなくなっていきます。今、力持ちであることのメリットを活かせる職業なんて、運送業者とかプロの格闘家とか、ほんの一部でしょう? これが力持ちという職能の終着点ということになります。
 特殊な職能で食っていけるかどうかは、社会がその余剰をどのくらい認められるかにかかっているんじゃないでしょうか。
 コンテンツを創作する仕事にしたって、著作権という仕組みができる前は、それで食っていくことなんてできませんでした。けれど、コンテンツに対する社会の需要が増して、著作権の仕組みも整えられて、創作で食べていけるようになった。今度は、誰もが創作に参加できるようになって、また創作という職能の価値が落ち込んできているということなんでしょう。エンタテイナーにせよ他の職業にせよ、その職能さえあれば食べていけるという時代があって、その後一握りのトップしか食べていけなくなる、そういう変化を経るんじゃないでしょうか。

福井 なるほど、確かに全員がプロで食べていこうとするのは無理がありますね。となると、コンテンツ創作に関する特殊な職能で食べていける人たちは、日本全体でどれくらいいるのか興味があります。
 先ほど例に出た野球ですが、プロ野球の1軍選手は1球団当たり28人、全球団合わせて300人程度。2軍も合わせた支配下選手だと1球団当たり70人で、全球団なら840人。これが純粋に野球の能力だけで暮らせている人の数ということになりますね。
 クリエイターの場合は、どうなるんでしょう?

岡田 日本中の全クリエイターを合わせて、1000人くらいじゃないでしょうか?

福井 プロ野球の2軍選手まで合わせたより、ちょっと多いくらいだと?

岡田 それくらいでしょう。

福井 少なくないですか?

岡田 コンテンツ創作から得られる収益だけで暮らしていける人数ということですよ。西原理恵子さんクラスなら、年間1000円で作品を作品を読み放題にするという手がありますね。10万人くらいは購読するだろうから、それで1億円。コンテンツごとに課金するより楽でしょう。今年はメルマガ3本だけだけど、再来年には単行本をどーんと書き下ろして、皆さんにメールしますというのだっていい。
 コンテンツだけでは、食べられない人も、副業で収益を得ることはできるわけですし。

―――クリエイターといっているのは、小説家から画家、音楽家まであらゆるジャンルを含むんですか? それだと少ないような。

岡田 彫刻家や絵描きなんて、食えないのが当たり前ですよ!(笑)

福井 芸大で教えている彫刻家は、食えているクリエイターだけど、コンテンツ創作だけで食っているわけではないから先ほどの1000人には含めないということですね。


<小見出し>
創作で食えなくてもいい!

<本文>
岡田 そう、食っていくための方法は、作品を売ることだけじゃないですよね。ある彫刻家の作品が全然売れないとしても、その彫刻家のことを格好いいと思う女の子がおにぎりを差し入れてくれるかもしれない。結果的にそれで食えてればいいわけですよ。

福井 原始共産制のような(笑)。

岡田 だって、野球はそうでしょう? 野球がうまい奴は、いろんな会社から「ウチの会社に入れよ」と誘われます。そいつが「僕は営業できないですよ」と断っても、「そんなことはいいから、キミは野球やっててよ」と言って飯を食わせてくれる。
 僕は、これこそ才能のあるべき姿だと思います。直接お金を稼ぐ才能がないとしても、総合的な才能で評価されればいいんじゃないでしょうか?

福井 しまった、岡田さんに何だか説得されそうになってきました!(笑) でも、ここで私が「そうですよね、コンテンツを売らなくても食っていければそれでいいじゃないですか」と言い出したら、コンテンツホルダーから顧問契約を切られちゃいますよ。こう見えて私は、そうそうたるコンテンツホルダーの顧問もさせていただいている、守旧派の代表なんです(笑)。
 正直な話をすれば、本当にそういう方向に行くかもしれないという気はしています。ただ、コンテンツで食える人間が1000人というのは、少なすぎるのではないかと思いますが。なぜかというと、プロ野球の場合、トップクラスのプレイヤーを集めて同じルールの下で技巧の優劣を競いますよね。1つの球団には、本当に優れたキャッチャーが1人いればいい。そのキャッチャーが怪我した時のために、もう1人くらい補欠はいるかもしれませんけど。
 ところが、コンテンツで重要なのは多様性でしょう。1000人しかクリエイターがいないとすると、アニメはディズニーだけ、小説は誰々だけということになりませんか。それは怖いから、私はもっと多様性が欲しいですよ。

岡田 専属でコンテンツを作るクリエイターが1000人いたとして、各クリエイターの周辺に1000人スタッフが付くとすれば、コンテンツで食える人は全部で100万人か。じゃあ今、数を調整しますね。

福井 (笑)

岡田 有力なクリエイターの数は10倍の1万人ということにしましょう。この人達はコンテンツを作ることに専念して、それだけ作っていれば食えるということです。

福井 先に岡田さんは養子1万人の話をされていましたが、1万という数字が好きですね(笑)。でも、コンテンツだけで食えるクリエイターが1万人という説は確かにリアリティがあります。

岡田 食えるクリエイターが1万人だとすると、その周辺には10倍、10万人くらいの、コンテンツだけでは食えないクリエイターが存在するはず。

福井 セミプロとしてですか?

岡田 そんなところでしょう。コンテンツを作るクリエイターの規模はこれくらいでいいと思うんですよ。
 今のシステムは、あまりにも複雑です。どこかのクリエイターが作ったコンテンツが巡り巡って誰かに使われている、それに対して逐一課金するなりお金が発生するようにして、元のクリエイターが収入を得られるようにする。こんな複雑怪奇なシステムを維持するよりは、コンテンツだけで食うことを大多数のクリエイターが諦める方がよほど単純でわかりやすいと考えちゃうんですよ。

―――クリエイターに関連してくる仕組みでいえば、岡田さんは、ベーシック・インカム(注44)も支持されていますね。

岡田 僕が著作権という仕組み自体を諦めた方がよいと主張するのも、ベーシック・インカムの場合とよく似ています。今の法律だと、所得税やら還付金、生活保護に親子手当と制度が複雑になりすぎているでしょう? これほど複雑な制度を維持するために大変なコストがかかっているわけですよ。だったら、ベーシック・インカム賛成派の人たちがいうように、すべての社会保障をやめて、ベーシック・インカムに一本化した方がいいんじゃないか。そうした方が国としたら、運営コストが下がっていいんじゃないか。僕がベーシック・インカムを支持する理由のひとつは、これです。
 コンテンツについても、著作権自体を諦めてしまった方が、あらゆる面でのコストを劇的に減らせるんじゃないかなと考えています。

福井 仮にベーシック・インカムのような形で日々の生活が保障されるのであれば、「著作権なんていらないよ」というクリエイターは多そうですね。なにせ、大半のクリエイターは自分の作品で飯が食えるほどには稼げていないんだから。
 現実にはまだベーシック・インカムの制度は成立していない。生活保護という手段もあるけど、制度としては面倒なことも多くて使いづらい。そういうわけで、あちこちでバイトをやりながら創作を続けている人はたくさんいるでしょう。コンテンツが売れるならそれを生業にしていきたいけど、生活していけるのであればコンテンツはタダでもいい、それがクリエイターの本音かもしれませんね。流通や著作権管理の仕組みが複雑化して、課金も難しくなっている昨今では特にそうでしょう。


<小見出し>
僕たちが欲しいのはコンテンツではない

<本文>
岡田 さらにいえば、ユーザーが求めているのはコンテンツではないと思うんですよ。

―――いったいどういうことでしょう?

岡田 大阪芸術大学の教え子の1人に、ビジュアル系バンドの追っかけをやっている女の子がいます。このバンドはアルバムもろくに出さないんです。下手だから(笑)。

福井 理由はそれなんですね(笑)。

岡田 下手なだけでなく、お金がないということもあるんですよ。でも、新曲のアルバムは出ないのに、ベストアルバムはしょっちゅう出ているんです。

福井 誰かが勝手に出しているということですか?

岡田 いえ、ちゃんと自分たちで出しています。要するに、手持ちの曲が全部で50曲くらいしかなくて、それを「順列・組み合わせ」で適当にまとめ直してはベストアルバムに仕立てているということなんですよ。

―――ファンは怒らないんですか?

岡田 彼女たちはベストアルバムを買って、そのビジュアル系バンドを支えるしかないんです。なぜかというと、それがファンというものだから。つまり、彼女たちが本当にお金を出したいのは、そのバンドが作るコンテンツに対してじゃない。自分たちが好きなバンドを支えているという喜びに対してお金を払っているんです。

福井 コンテンツに対してではない?

岡田 ありません。

福井 さっきの話で言うなら、アリストテレス的存在、あるいは臨在感(注45)に対してお金を払っていると言っていいのかもしれませんね。

岡田 みんな、コンテンツに対してお金を払っていると思っているけど、それは言い訳に過ぎません。お金を払う対象は、(崇拝の対象となる人)自身です。そうでなければ、コンサートでステッカーなんて売れるわけがありません。みんなステッカーマニアじゃないんだし(笑)。


<小見出し>
人はライブの体験にお金を払う

<本文>
福井 私は著作権法が大好きなんですが、法律自体が好きということではありません。情報はいったい誰のものなのかとか、情報流通のあり方についてのこういう話が大好きなんですよ。コンテンツホルダーによっては、著作権それ自体が目的化してしまっていることも往々にしてありますけどね。
 コンテンツクリエイターたちは、自分が好きなものを作って暮らしていければ満足する。そうして作ったコンテンツを、誰かが褒めてくれたり、自分のことを好きになってくれたりすれば最高だと思っている、それこそ彼らがコンテンツを作る目的でもあります。そのためのツールとして、著作権法があるわけだし、もし今の著作権が機能していないのであれば切り捨てればいい。ただし、今の著作権法を闇雲に崩そうとしても、一筋縄でいく相手ではありませんから、それなりの勝算が必要になるでしょう。
 現行の著作権法がどん詰まりになっていること、そして説得力のあるオルタナティブな方法をうまく提示できれば、クリエイターやコンテンツホルダーの支持も得られると思うんですよ。
 その意味で、今はコンテンツのマネタイズができなくなっている、少なくともネット・デジタルの世界ではできていないという状況をきちんとみんなが認識しなければなりません。

―――出版業界も音楽業界も落ち込みが激しいようですね。

福井 CDなどのオーディオレコード生産額は、1998年に6000億円あったのに、現在は2500億円しかありません。[福井氏はレコード産業とおっしゃっていますが、「オーディオレコード生産額」としました。日本レコード協会によれば2009年のオーディオレコード生産額は約2496億円です。2010年んは2250億円]10年ちょっとで4割にまでおちてしまいました。メジャーレコードレーベルはこういう状況にあってもまったくビジネスのやり方を変えようとせず、相変わらず収奪的なビジネスに固執している。これではマネタイズできるわけがありません。
 出版業界はそこまでひどくありませんが、書籍・雑誌の販売額は下がりかけています。10年前に2兆5000億円と言われた販売額は、2009年には2兆円台を割り込みました。特に、雑誌の落ち込みがひどい状況です。映像関係もここしばらくブルーレイ特需のおかげで何とか潤っていましたが、とうとう販売額が落ち始めてしまいました。
 このような状況の中で、ライブイベントと映画館は落ちていません。ライブイベントに関しては微増です。ぴあ総研によれば、ライブイベント関連の販売額は日本国内で約1兆円。ここにはテーマパークは含まれますが、アマチュア系イベントは一部しか含まれていませんし、お祭りなどの経済波及効果も考慮されていませんから、実際の産業規模はもっと大きいと推測できます。3・11の大震災後、節電でイベントが中止されるなど逆風は吹いていますが、それでもライブは盛んです。

岡田 やはりそうなんですね。

福井 ライブの売上がまったく落ちなかったのは、デジタルで代替できていないからでしょう。地デジでサッカーの試合を見ることができても、みんなスタジアムに足を運ぶ。スタジアムに入れなかったら、外のライブビューイングで試合の様子を見たりもする。テレビ放送と同じ内容なのに。私たちが欲しいのは、ライブの体験なんです。
 ライブイベントの関係者に「どうやって稼いでいますか?」と尋ねると、入場料自体の収益は武道館のワンデー、ツーデーと変わらないレベルで大したことはない。CDの売上にもまったく期待していない。じゃあ、何で収益を上げるのかといえば、グッズなんですよ。岡田さんがおっしゃるように、グッズをどうして買うかといえば、その場に行くからこそですよね。

岡田 そうでしょう。

福井 ライブ会場で買えるのと同じグッズがその辺のコンビニでもっと安く売っていたとしても、そんなに売れないでしょう。それは、コンテンツそのものじゃなく、臨在感を買おうとしているからということですね。私から見ても、そうやってマネタイズするしか方法は残られていないのではないか、そう思うこともあります。

岡田 僕は、出版に関してもライブは成り立つと考えています。そのためには、本の値段ももっと多様化しないと。ちゃんと製本されている本はいちばん高くていいんですよ。僕の『遺言』なら、製本されていれば2700円。(デジタルスキャンしやすいよう)ページが綴じてなくてバラバラになったままなら1500円。データだけの電子書籍は500円で売ればいい。そうすると、それぞれの値段にちゃんと意味が生じるじゃないですか。書籍を巡る状況がどうしてこんなにグチャグチャになっているのかというと、値段に意味がないからです。2700円という1種類の値段しか用意されていなくて、これが古本屋ではいきなり100円や200円で売られている。そうではなくて、出版社はもっと売り方のバリエーションを増やすべきなんですよ。デジタルだけでかまわない本、ちゃんとマテリアルとして手元に置いておきたい本。そうすれば、「読みたい本」と「愛したい本」の差を、ちゃんと値段で差別化できる。
 そして、これから作家が生きていくには、サイン会や講演会を増やしていくしかないでしょう。だから、書店がサイン会をタダでやるのは絶対に間違っているんです。

福井 なるほど!

岡田 サイン会こそが、僕らのライブ。どうして紙の本を出しているのか? 「本はサインをするための紙です」って言い切らないとダメだし、それ以外にこれが紙である理由はまったくありません。

福井 電子書籍におまけでサインを付けちゃダメなんだ。

岡田 ダメですよ! それはやるべきじゃない。電子書籍は、安く本を読むための「千朶万朶(ルビ●せんだはんだ(注46)」にすぎません。所有したいのは、紙の方でしょうと。

福井 愛読書はそうなりますね。私は小山ゆうの『お~い!竜馬』が好きで、紙の本で持っています。大河ドラマの『龍馬伝』も家族と見て楽しみますが、見た後でときどき、自分にとっての竜馬や以蔵に会いに漫画に戻ったりする(笑)。電子書籍版の『お~い!竜馬』も出ているけど、私は買う気がしないんですよ。これは電子書籍がダメということではなくて、もっと気軽に読みたい人が買うものだと思っています。
 だから、コンテンツがデジタル化するならば、この臨在感、付加価値をどう付けるか、関わっている人たちが工夫しないといけません。「あ~、君500円でデジタル版を買った人なの?(プッ) 僕は2700円の限定版を買ったけどね」。そういうファン意識というか、好きな作品に2700円を払った自分が好きというか。

岡田 アマゾンで本を売るにしても、著者のサイン入りの本にはプレミアム付ければいい。そうした方が、本の多様性が増します。


なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門
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  1. 1
      2011年12月31日 16:49
    クリエイター界の共産主義を構築したいって話か
    理解はできるけど理想だねえ

    本の値段も、コンテンツ価格+メディア価格という形はしっくりくる
    現状電子ブックがまずいのは、全てをひっくるめて一律にコンテンツ価格として販売しようとしてるからだろうな
    紙高いんだから文庫などという資源のムダを無くして、高価な新書と安価のデータで販売という形が理想かな
    音楽やゲームはそっちの方が伸びていきそうだし
  2. 2
    aa 2012年01月03日 12:29
    オレ、エロ漫画家やってるけど、そんなんヤダ、他の作家と同じ扱いとか我慢できん
    同じように自分の尊敬する作家がオレと同じ待遇でも嫌だな。