FREEexなう。

2010年10月25日

ex社員が語る『遺言』:武蔵美のナツキ編


私はtwitter_logo岡田斗司夫ファン歴が短いです。

2007年当時、映像クリエイターを目指して勉強中の大阪芸術大学生の彼の口から、大学での岡田の講義の話を聞き、色々と吹き込まれ、そして『遺 言』のイベントに連れて行かれたのが本当に最初の最初なのです。2007年10月31日の第一回と、チケットが取れなかった第二回を飛ばして第三回と、参 加したのは二回です。ちなみに彼とは今もお付き合いしています。あ、そんな話はイラナイですね。

当時の私にとって岡田斗司夫は、「彼氏さんがお世話になっている大学の先生」でしかなく、しつこいようですが本当に何も知りませんでした。お恥ずか しいのですが、オタクでもなく、SF大会も知らなかったので、流される映像もしかりです。しかし、彼氏さんにもその他の大阪芸大の学生にも、岡田斗司夫は 何故か恐ろしく大人気で、聞けば成程確かにお話がとっても面白いのです。そしてとんでもなく凄い人のようなのです(←あいまい)。知らないのに、笑わされ てしまう、今考えても不思議なパワーを持ったトークイベントだったと思います。

しかしまず、知れば知る程、解説を聞けば聞く程、新しく心動かされる発見があるのが岡田斗司夫その人とその作品たちでした。DAICON3、4や王 立宇宙軍の映像は「デザインをやっている者のはしくれとして、凄く面白くて凄い映像である事は分かるけど、どういう事なのかは分からない」という状態か ら、イベント参加を経て、「そ、そういう意味だったのか!」と、どっと興味が湧いてくるようになりました。

時が流れて、色々あって、色々あった後に、何故か私は今オタキングex社員という予想もつかなかったところまで流れ流れて来てしまったわけなのですが、書籍化にあたり、もう一度岡田斗司夫の『遺言』と再会しました。その時に、私は泣いてしまったのです。
おかしな話ですが、三年前は名前すら知らなかった51歳の男性の『遺言』に、泣かされてしまったのです。
はじめは自分のこの反応に、驚くやらわけがわからないやら、軽いパニックになりました。

でも、何故そんなに泣かされるのか。
あの当時から三年経って、私は23歳になりました。卒業、就職活動のシーズンのプチクリエイターです。「まだ何者でもない事が苦しくて、何者かになりたく て、そのせいで考えて考えて、頭がおかしくなりそうな程しんどい」23歳です。だから、私には同じ20代の頃の岡田斗司夫の姿は、生々しすぎるのです。

私の人生の節目節目には、そんな宝石のような言葉をくれる人が必要です。今までほんの何人かしかそんな大人には出会っていませんが、この直感だけはちょっと信じていて、学びに恵まれたラッキーな人生だと自分でも思います。

別に、『遺言』という作品で若きクリエイターに感動を与えてくれとか、そんなくさいことは言いたくありません。ただ、師として沢山の事を学ばせても らっている岡田斗司夫氏のルーツとも思える今作品は、こんな言い方はおこがましいですが、私にとっては大好きな一冊です。沢山の方に、愛して頂けますよう に。




testotakingex at 15:58コメント│ この記事をクリップ!
遺言 

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