FREEexなう。

2010年05月20日

【社長日記】評価経済社会の誕生

 これからしばらく、長い目の連載をこのコーナーでしようと思う。
 今日から曜日不定ではじめるのは、ダイヤモンド社から刊行を予定している『評価経済社会の誕生』。
 この本は完全な書き下ろしではなく、僕のデビュー作『僕たちの洗脳社会』のリメイク版だ。旧作の用語や例示を変えただけのお色直しプラスアルファとして考えている。
 
 とりあえず書ける部分から書くので、順不同になるかもしれない。今日は第一章の途中からはじめてみよう。

 一冊目の本は、アルビン・トフラーの『第三の波』(一九八〇年)。
 高名な未来学者アルビン・トフラーは、この代表作の中で次のように言った。
「今まで、人類の歴史を変えてきた大きな変化を波にたとえる。第一の波は農業革命、第二の波は産業革命、そして第三の波は現在起こりつつある情報革命である。農業革命の時にも、産業革命の時にも、大きな価値観の変化が起きている。打ち寄せる第三の波、情報革命の中ですべては変化する」
 トフラーは「農耕や産業革命によって社会のあらゆる部分が大きく変わったように、情報革命によって社会のあらゆる部分が変化する」と予言した。
 インターネット普及の遙か前、ここまで先進的なことを言い切っていたトフラーは、その他以下のような未来像を提示した。
「出勤せずに、自宅にいながらネットで仕事」
「学校へ行かなくても、ネットで勉強」
「買い物に行かなくても、すべて通販で生活がすむ」

 現状を見てわかるとおり、トフラーの予言は、バンバン的中。以後すべてのネット産業において「未来予測のお手本」になった。
 いまや在宅勤務は当たり前。FX取引やネットオークション代行など、自宅で仕事や起業をする人間は増える一方だ。
 大手進学塾でも人気講師やカリスマ講師の講義を受ける場合、ネット授業は当たり前になってきている。
 通販も、本はamazon、スイーツはお取り寄せと誰でもできるシステムになっている。テレビショッピングを含めたネット通販は、私たちの消費・購買のスタイルを根本的に変えてしまった。

 しかし、トフラーは「情報革命」の暗黒面まで教えてくれなかった。
 ネットでの仕事は、責任も結果も成果も、そして落ち込みもすべて一人で引き受けなくてはならない。これまでの仕事にあった「人間同士の結びつき」は煩わしく不必要に感じたかも知れない。だけど、先輩や上司から「教えてもらう」「無言で教わる」といったコミュニケーションは失われてしまった。
 教育も「情報の提供」という側面だけで捉えるとたしかにネット社会は良いことだらけだ。しかしネットを使ったいじめや学校裏サイトの存在など、トフラーの予想しない「人間の悪意」を最大化する働きがあることも事実だ。
 ネットやテレビによる通販は、「良いものを安く簡単に」手に入れるようにしてくれる。これからもますます盛んになるだろう。しかしその結果、地元商店街は寂れ、閉鎖されたシャッターが並ぶ「瀕死の街」になってしまった。
 なんだかヘンだ。
 トフラーは「情報革命によるバラ色の未来」を予言してくれた。
 しかし、その予言はあまりに楽観的で、一方的過ぎはしなかっただろうか?

◆堺屋の反論

 何よりの問題点は、トフラーは「自由競争」とか「民主主義」といった現在の価値観や社会システムはそのままで、技術だけが新しくなった未来を予測してしまったことだ。せっかくの「すべてが変化する」という主張も、これではお題目を唱えているにすぎない。
 
 これに対して、真っ向から批判を挑んだのが、日本の堺屋太一。
 堺屋は、その最も有名な著書『知価革命――工業社会が終わる 知価社会が始まる』(一九八五年)の中で「これからの商売で大切なのはモノそのものではなく、それに付加される知的価値である」と主張した。
 歴史学的・社会学的な論である『第三の波』を、ビジネスといういかにも日本人らしい位相で切り取り、「欧米に負けるな」と鼓舞したわけだから、だれしも手に取らずにはいられない。
 「いいもの」「安いもの」がたくさん売れる時代ではないことは、当時のビジネスマン実感していたからなおさらで、『知価革命』は80年代半ばのビジネス書ベストセラーとなり、それまで経済評論家としては一般読者に知られていなかった堺屋は一気に時の人になった。
 
 堺屋は、同書の中で次のようにトフラーを批判した。
 「『第三の波』のすべてが変化する、という前提は社会構成員の価値観が変化する、ということである。その変化する価値観を具体的に述べない予測は不十分だ」
 では、堺屋が『知価革命』の中で述べている価値観の変化とはどんなものだろうか?

 堺屋は「いかなる時代、いかなる社会にも、社会の共通概念である基本価値観”やさしい情知の法則”がある」とした。その法則を次のように定義している。
 
 やさしい情知の法則=「どんな時代でも人間は、豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しい、と感じる」
 
 堺屋はこの“根源的な”法則を、『知価革命』の中で何度も主張している。この法則を使って過去から現在における変革をとらえ直し、未来を予測しているのだ。
 この法則、はっきり言ってものすごく「使える」。
 歴史をとらえ直す上でも、未来を予測する上でも、おそらくここまで単純で、かつ根源的なレベルまで応用可能なモデルを筆者は他に知らない。
 この法則の実例は、第2章で詳しく説明する。とりあえずここでは以下の結論部分だけ了解しておけばOKだ。
 
 ある時代のパラダイム(社会通念)は、「その時代は何か豊富で、何が貴重な資源であるのか」を見れば明らかになる。
 
 ということは、それまで豊富だったものが急に不足したり、貴重だったものが急激に豊富になったり、といった変化が起きる時、それに対応して価値観が変化する。その価値観の変化によって社会は変化する。
 これが堺屋の結論であった。

◆経済的視点の限界

 しかし堺屋もまた、具体的な未来像を提案となると、『知価革命』の中ではリアリティを失ってしまう。
 「ネクタイは材質・品質よりも柄やブランドで売れる」といったことをモゴモゴと言ったにすぎない。
 官僚出身で経済評論家である彼としては、「売れること」「儲かること」「企業が大きくなること」「日本経済が成長すること」が絶対の正義であり、どうしても疑えない価値観だ。世界中の人がそれに向かって邁進(まいしん)するのが正しく、普遍的なことだという思い込みからは、堺屋自身もどうしても解放されなかった。
 「変わりゆく価値観」そのものを予測できなかったわけだ。

 だから、ユニクロなどのコーディネートファッション中心の時代になり「上から下までブランドで固めるぅ? なにそれぇ?」と言われてしまう時代に変わっても、「これからのネクタイはブランドだよね」という位置からは動けない。
 だいたいそんなこと言われても、「じゃあ、そのブランドになるっていうのにはどうすればいいの?」という肝心なことにはさっぱり答えられないのだ。
 「これからの企業は、そういうことを一生懸命に考えないとダメだ」というお説教にしかならない。つまり具体的な明日から可能な指針が見えない。
 

 しかし、ネット系評論家やIT技術の伝道者たちは、肝心の堺屋理論の中核「やさしい情知の法則」には触れず、「欧米に遅れるな」という勢いや焦りだけは忠実に継承してしまった。
 というわけで、必然的にIT本は「電子出版の立ち後れ」「日本の携帯はガラパゴス化」「ネット社会で標準化を狙わないと米国に支配される」とか、大層なわりにはむなしい話であふれてしまうわけ。

◆パラダイムシフト

 真面目な話、実際に未来を予測しようとする際に、最も大事なのは「今の時代と未来では、どんな価値観の違いがあるか」ということをはっきりと見極めることだ。
 こういった「社会を構成している基本的価値観」を「パラダイム」と呼ぶ。
 余談だけど、「パラダイム」という概念の提唱者T・S・クーン自身はその著書『科学革命の構造』で「パラダイムシフトが存在するのは自然科学の分野のみに限られる」と言ってる。でも現在では社会学の用語として使われることが多いので、本書では「パラダイム」を「社会を構成している基本的価値観」という意味で使うので、言葉の定義に厳格な人はご注意を。
 
 さて、本題に戻ろう。
 たとえば、私たちは「自然現象にはすべて合理的理由がある」と知っている。でも、昔の人にとっては雷鳴とは「雷様の怒り」だった。昔の人が科学的に無知だったせいではない。パラダイムの違いだ。
 
 私たちは、織田信長の快進撃の原因は、鉄砲の使用や楽市楽座といった戦術・戦略によるものだ、と知っている。でも、昔の人は「あれだけ強いのは天の義を得ているからだ」と考えていたに違いない。
 これは彼らが無知だからではなく、パラダイムの違いによるものだ。
 何かに理由を求めるときに「神がそう決めたからだ」とするパラダイムと「自然法則でそう決まっているからだ」とするパラダイムの違いが、両者の違いなのだ

 パラダイムに変化があれば、当然、社会システムや政治、経済、家庭、生活様式といったあらゆる部分に大きな変化が起こる。そういう大きな、社会を変えるほどのパラダイムの変化のことを「パラダイムシフト」と呼ぶ。
 パラダイムシフトによって起こる社会変化たるや大変なもので、農業革命、産業革命は人類に起こった最大のパラダイムシフトだった、といわれています。
 
 で、ここからが重要。
 堺屋もトフラーも口をそろえて、「現代という時代は、今までの二回のパラダイムシフトに匹敵する、大きな変化が起きている」と述べている。
 いえ、この二人だけではありません。小は(と言ったら失礼かな?)ネット内だけ影響力を持つ有名ブロガーから、大はP・F・ドラッカーなどの思想家や大物学者まで、全員が「現在はパラダイムシフトの時期だ」という部分に関して意見は一致しているのだ。
 つまり現在という時代は、人類史上例がほとんどない「大規模変化の時代」だ、ということになる。

 現状や今後の社会を考えるためには、今起こりつつあるパラダイムシフトを分析することしかあり得ない。現在、私たちは産業革命以来の初めての巨大なパラダイムシフトに立ち会う、という大変貴重な体験をしているのだ。
 なんて幸運なことだろう。
 これ以上おもしろいことなんて、滅多にあるもんじゃない
 それでは、現在起こっているパラダイムシフトを観察してみよう。

 ・・・ふう、疲れた~!
 今日はここまで。
 じゃ、また明日ね。
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testotakingex at 15:56コメント│ この記事をクリップ!
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