FREEexなう。

2010年03月13日

岡田斗司夫「FREE」インタビュー(週刊ダイヤモンド)その2

その1)からの続き

Q.淘汰されるというのは?

他の人の質問を、僕はリツイート(ツイッター上で、他の人の投稿を引用して投稿すること)して返すんですけども、その結果、大変質の高い読者が集まり出すんです。
さっきも言いましたように、最初のうちはタダで、「どんな本なのか?」ということで集まり出すんです。
ところが『FREE』について2時間くらい、ずっと1分に1回くらい「こんな内容ですよ」というのを投稿していると、まず内容について行けない人はフォローしなくなってくるんですね。
そうじゃなくて、「面白い」と思った人間とか、「岡田斗司夫が面白いことやってるぞ」と思った人間だけが残って、どんどんレベルが上がっていく。
で、質問も全部答えるのではなくて、「これは面白いから」とか、「みんなが考えている質問だから」とかいう質問には答えようというやり方でやっていくと、さらに読者のレベルも上がってくる。


Q.逆に、みんなが考えていないような質問は無視されるわけですね。だから質問が淘汰されていくと。

はい。なので、結局、すごく良質な読者が集まって、『FREE』を本来買うべきな人たちが『FREE』にすごく注目して、しかも岡田のツイッターで十分内容は分かったんだけども、ちゃんと自分で読みたいって人は、買うことになったと。


Q.なるほど、面白いですね。まさに『ぼくたちの洗脳社会』のなかで、ニフティのコミュニティにおいて電子井戸端会議が行なわれているという話がありましたが、その本質の部分の解説というか、これで人々が何をしたいのか、というご意見を読ませていただくと、これってツイッターのことを書いているのかな? と思ってしまうくらい「今」の話を聞いているかのようでびっくりしたんです。
10年以上も前の本なのに。それで、そんな岡田さんに今、ツイッターが盛り上がっている理由についてどうお考えなのか、改めて聞きたかったんです。

ツイッターは簡単なモデルですね。
あるネットメディアが流行るときには、どのネットメディアが衰退するのかというのと完全に関係していると。
例えば昔はニフティサーブというのがあった。
僕はその本を書いているんですね。そのときはニフティサーブなどの「パソコン通信」がメジャーであったと。ところが次に、「インターネット」と当時は言ってたんですけど、その「インターネット」の方に流れていった。
そうするとどんどんニフティサーブの方は人数が少なくなって、置いていかれる感が出てくる。
つまり、古いところは廃れていく分、新しいところは流行ると。


インターネットが流行りだして、これが最終的に行き着いた先は「2ちゃんねる(2ちゃん)」なんですね。で、2ちゃんも一時期、まあ10年くらい前ですかね、すごい流行っていて、そこにはいい情報もあればダメな情報もあった。
ただ、それが日本最大の掲示板であり、最大の公共知財というのかな。知を集める場所になっていった。
ウィキペディアなんかない時代ですから、そうならざるを得ないんですよ。
だから、なんか分かんないことがあると2ちゃんで調べるということが起きた。
2ちゃんの情報はなんか怪しいんだけど、2ちゃんにだったらいろいろあるよ、という状態になった。


ところが2ちゃんも、もうあんまり流行っていないみたいですよね。
その原因は何かというと簡単で、ミクシィなんですね。これはずっとそうなんですけども、新しいネットメディアが現れて、その敷居がやや高いと、必ずそこには新しい物好きで、知的で、経済的にやや余裕のある人たちが絶対に集まるんですね。
さっきのパソコン通信とインターネットの間には、まだそこまではっきりとした法則は現れなかったんですけど、この2ちゃんからミクシィへの移行のときから、はっきりとした法則が現れだした。
それは何かって言うと、ミクシィはまず、最初に紹介されないと入れないという障壁の高さ、バリアの高さがある。
あと、使いこなすには会費があったほうがいい。この2つの障壁のおかげで、ミクシィのほうは、言い方は悪いんですけれども、より高級な人、ネット世界での高級な人が集まりやすい場所になったんですね。
これは今言った、2つの障壁ですね。
紹介が必要だったりおカネが必要だったりする。一方で、2ちゃんのほうはいつでも誰でも入れて、誰が発言してもいいと。そうすると、2ちゃんのことが嫌になってる人とか、こういうものにおカネを払ってもいいとか、紹介してくれる人がいるとかいう障壁があると、やや高級な人がミクシィに入るようになっちゃう。
そうすると2ちゃんの方からは、いい情報も悪い情報もあるんだけど、それまで2ちゃんを支えてきた、いい情報を発信する5%が丸々抜かれることになる。


これ、僕の娘が中学に入ったときに感じたのと同じなんです。
今、中学校受験って盛んですよね。
小学校のときはみんな公立に行く子が多いんですけど、そこではそこそこ教育って成立するんですね。
ところが公立中学校になった途端に、教育が成立しなくなる。
なぜかというと、いい5%が全て抜かれるからです。学校っていうのは、成績がいい子どもも悪い子どももいていいんですけど、それらが混在していることで成立する。ところがいい5%だけが抜かれるんです。
今やもう、いい5%どころじゃないんですね。
いい25%が抜かれるんです。
そうすると、ほんっとうに教育が成立しなくなる。
結局、公立中学っていうのは、これも言い方は悪いかもしれないんですけど、私立中学に行けない人たちの「吹き溜まり」みたいになっちゃうんです。
言い換えれば、一昔前だったら80年代くらいに、高校にはとりあえず行きたいんだけど、受験には通る力がないみたいな人が行く「問題高校」とか「底辺高校」という風に言われた高校っていうのがあって、公立中学も徐々にそうなりつつある。


で、2ちゃんねるもそれと近いような状態になってしまったんじゃないかと思うんですよ。言い方は悪いんですけど、でもそれはなぜかっていうと、いい25%が抜かれちゃったからです。
相変わらず2ちゃんをじーっとよく観察すると、すごくいい情報もあるし、洞察力とか知性にあふれた発言もあるんです。
でもその配分があまりにも少なくなってしまったので、もう2ちゃんに書いても仕方がないとみんな思い始めてる。
だから2ちゃんねるは、あまり流行らなくなってきた。
「それでも、なくならないじゃないか」とよく言われるんですけど、そりゃそうですよ、今の公立中学のような状態で、残るんです。
ところがいい人たちはミクシィの方に流れてしまう。


それで、ツイッターが流行った理由っていうのは、今の繰り返しなんですけど、ツイッターのほうがミクシィより障壁が高いから。
なぜかっていうと、あれ、どういうものなのかよく分かんないんですね。
ミクシィは商業施設だから、最初からマニュアルとか「こうやればいい」っていうまとめサイトが存在したんですけど、ツイッターはそれが存在しない。
今、ようやくいろんな雑誌で「ツイッターとは何か」「こうやって参加すればいいんだ」と、楽しみ方っていうのがたくさん紹介されてますけども、少なくとも去年の今頃の段階ではそんなものは1つもなかった。つまり、バリアがあったんですね。


しかも、ツイッターに入ったからといって、あれは誰かがフォローしてくれないと面白くないんです。
ミクシィだったら、マイミクの申請とかあるんですけど、ツイッターはそういう申請制度がないもんだから、余計ほったらかしにされると。
ということは、「オレなんかが入っても誰もフォローしてくれないから面白くないよ」と思って、みんななかなか入らないんですね。
この人脈を作るスキルがあるのかないのかも、やっぱり大きなバリアとなっている。
だからミクシィみたいにおカネのバリアじゃなくて、対人能力、コミュニケーション能力自体とか、自分の情報発信能力があるのかどうかがフォロワー数を決めるので、大変入りにくいものになっている。
その結果、ミクシィから面白い人たちがごっそり抜かれ、これが今のミクシィが流行らなくなってきた原因ですね。

その3)に続く






testotakingex at 15:32コメント│ この記事をクリップ!
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