FREEexなう。

2010年11月08日

ex社員が語る『遺言』:批評のヒロユキ編

まずはじめに。
ぼくは『遺言』のイベントに一度も参加したことがありません。
弊社の岡田斗司夫の存在を知ったのも、つい1年ほど前のことです。

おそらく、この『遺言』を手に取られた方たちより、ずっとずっと岡田斗司夫の素人です。
そんなヤツが語っていいのか?
いい/わるいについては分かりませんが、素人のぼくがどう読んだのかを書いてみたいと思います。

 

この本は学生時代に始まり、ガイナックス時代の制作秘話やウラ話、それにアニメや映画の見方、行間からはビジネスのノウハウが読み取れ、それに人生の意味まで幅広く語り尽くしています。
読み終えるのに20時間もかかりました。
ウソのようですがほんとの話です。
でもなぜ20時間もかかったのか?
それはこのテキストの形式と読み手であるぼくとの関係性にあります。
前者はこの本の新しさでもあります。

ではどこが新しいのか?
たとえば、映画にはテーマがあると言われますよね。
『スターウォーズ』で言えば「父親殺し』がテーマです(詳しくはこちらをご参照ください)。
アナキン・スカイウォーカーが「父親』を殺して悪の道に落ちるのがエピソード1~3。
対して息子のルーク・スカイウォーカーがダース・ベイダーとなったアナキンを殺すことで父の魂を救うのがエピソード4~6です。

しかし、このテーマをあのフィルムから見て取れる人はどれだけいるのでしょうか?
ぼくにはまったくできませんでした。
これでも専門学校で映画分析法を学んだのですが、あの作品は快活なSFアクションにしか見えませんでした。
この本を読んだらできるようになるのか?
ちょっと怪しいですね。正直なところ。

ここで話は少し飛びます。
この本で展開されているのは講義です。
そう、学校で行われているアレのことです。
大阪芸術大学で教鞭を取られている岡田先生の講義を本書で受講することができるのです。
しかし講義というものはまず先生がいて、テキストがあって、ときどき生徒の誰かが質問するものですよね。
講義が一冊の本だけでできるのか?
できるんですよ、実は。

これもWeb 2.0のおかげなのかどうなのか、ITに暗いぼくにはよくわからないのですが(だいたいWeb 2.0ってなんだったんでしょう?いまだによくわかりません)、いまはインタネットがあります。
岡田斗司夫が学生時代に制作したDAICON3のオープニングアニメなど、いまでは観ることができない作品をネット上で見ながら作品の見方を学ぶことができます(ここで示すべきではありませんがYouなんとか(笑)という動画配信サイトがぼくらの大きな力になってくれます。レンタルできるものはお店で借りて下さいね)。

そう、本が先生でパソコンのディスプレイがテキスト、そしてあなたの疑問が先生への質問になります。
だから、テキストである『トップを狙え』や『ふしぎの海のナディア』を観て、「このカットの意味はどういうことなんだろう?」という疑問を本にぶつけると、岡田先生が答えてくれます。
ただし、直接的にではありません。
本を読むことで脳のなかにインストールされた「リトル岡田先生」との対話によって、です(http://www.ustream.tv/recorded/10089872の22分頃をご参照ください)。

インプットしたものとアウトプットの時間差をゼロにしようとするのは「無時間モデル」です。
映画評論の本を読んだ。勉強をした。だから優れた評論文が書けるようになるはずだ。
この行動から結果までの時差をいかに縮めるか。それに熱心なのが「無時間モデル」です。(参考
対して「リトル岡田先生」との対話は「有時間モデル」です。
分からないことをリトル岡田先生に質問し対話する。
しかし、答えはすぐに返ってくるかわかりません。
それどころか、まったく応答してくれないこともしばしばあるかもしれません。
でも、それこそ講義そのものですよね。

大学の講義でもセミナーでもなんでもそうですが、すべてのことを先生は生徒に教えることはできません。それは原理的に不可能ですよね。ある空間や時間を一時的に共有することは可能ですが、ものごとのすべてを教えてもらうことはできませんし、学ぶことももちろんできません。
しかし、とはいっても、たくさんのこと先生から学びたい場合はどうすればいいのでしょうか。
先生を脳内にインストールしてしまえばいいですよね。
そうすればいつでもリトル岡田先生に質問することができます。
必ずしも答えが返ってくることばかりではないけれど、ときどき思いがけない瞬間に返ってきたりします。

さて、長々と書いてきました。
そもそも、なぜこのようなものになったのか?
それは岡田斗司夫はぼくにとっての「先生」だからです。先生と生徒の関係だからです。
だからぼくには『遺言』が講義に見える。
そう、この本は読み手と岡田斗司夫との関係性によって姿形を変えます。
それは講義にもなるし、優れたビジネス書にもなるし、過去を知る歴史書にもなります。
そしてぼくにとってこの本は岡田斗司夫先生による講義でした。
それはぼくのためだけに存在する講義です。

これが「ぼくにとっての『遺言』]です。
では「あなたにとっての『遺言』」とはどのようなものでしょうか。
あなたにとっての『遺言』の感想をお聞かせいただけると、おなじ岡田斗司夫ファンとしてとても嬉しいです。
 
 遺言

岡田 斗司夫
遺言

  • 定価:¥2,835 (本体 : ¥2,700)
  • ISBN4480864059




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遺言 

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