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2010年11月08日

○第9回:教えて、福井弁護士!(2)「スキャンした後の本は、捨てなきゃいけないの?」

(11月8日(月)公開)

何とか手持ちの本を合法的に「自炊」したいと考えるオカダトシオ。理屈をこねて、福井弁護士に食い下がります。そこから、少しずつコンテンツの本質が姿を現してきました。

バイトを雇って「自炊」するのはOK?

前回のお話では、電子書籍の「自炊」を代行する「スキャン代行業者」はおそらく違法だろうということでした。では、自分たちで電子書籍「自炊」の代行を雇うのもダメなんでしょうか?

福井:自分の手足となって働いてくれる、例えばアルバイトを雇って手持ちの本を電子書籍化するのであれば、私はおそらく大丈夫だと思います。
一方、現在のスキャン代行業者のビジネスモデルは、私の知る限り2通りです。1つは、ユーザーの所有している本を送ってもらい、業者が裁断、スキャニングしてデジタル化。データをユーザーに送り、元の本はユーザーに返却するか廃棄する。もう1つは、ユーザーがAmazonなどで書籍を購入する時に、スキャン代行業者に直送するというやり方です。裁断以降は、最初のパターンと同じですね。この2つに関しては、いつ、どう仕事をしているかユーザーの目はまったく届かないわけで、手足となって働いていると呼ぶのは無理があるように思えます。独立性のある外部業者に見えますね。

外注されて、仕事をしていると。


福井:はい。そして、現行の著作権法では、私的複製の規定に「その使用者が複製を行うことができる」とわざわざ明記しています。これは通常、私的複製の代行は許されない趣旨と考えられています。
では、そもそも著作権法では、なぜ私的複製を著作権の例外規定として自由にしてきたのか? それは、従来であれば私的複製があくまでも零細だったからです。こういう零細な利用について著作権を厳密に適用しても、権利者の利益がそれほど守られるわけではありませんし、ユーザーの利便性を損なうだけです。だから、ユーザー本人の零細な利用については、コピーを許しましょうというのが、元々の立法趣旨でした。だからこそ、「その使用者が複製を行うことができる」と書いてあるのです。
現行の規定にこの言葉がある限り、広く代行業者を許すという解釈には、どうもなりそうにありません。

でも、本来の主旨からいえば、代行業者は許されるべきなのでは?


福井:本来の主旨というと?

電子書籍を「自炊」する人は、何もデータをあちこちにばらまくつもりはなくて、自分で使いたいだけです。ところが、電子化の作業はあまりにも大変で、裁断機も必要になってきてしまう。つまり、ユーザーは自分の持っている「マテリアル」としての本をデジタルデータにしたいだけ。

まだ本を簡単に電子化するためのテクノロジーが進歩していないから業者を使うわけで、コピー機みたいにできるのであれば、誰もいちいち業者に頼んだりはしないでしょう。

福井:おっしゃる通りです。これについては、いくつか言えることがあるのですが、1つは規模の問題ですね。立法時点では、「零細な複製を許しても、それで正規の売上が減って著者が困ることもないだろう」という発想があったと思います。
ところが、テクノロジーの進歩と共に、私的複製の手段はどんどん広がっていきました。結果として、「私的コピーによってどれくらいマーケットが食われたのか?」、あるいは「マーケットは食われなかったのか?」について、まだはっきりした答えは出ていません。ただ、仮に無償のコピーがどんどん便利になって無限に拡大して行くと、「もう正規版を買う人はほとんどいなくなるんじゃないか」と心配する権利者はきっと多いでしょうね。
もしスキャンが代行が正面から認められるようになったら、業者は作業を改善することでどんどん効率を上げていく。その結果、零細な規模ではないコピーが社会的に行われる可能性も高まるでしょう。それこそ、何百人も雇っている大スキャン企業の元に、トン単位の本が毎日運び込まれるようになるかもしれません。

スキャンしたあとの書籍は、処分しないといけない?

でもそれは、トン単位で本が売れるということでもあるわけですよね? ユーザーが本を買わない限り、その状況は起こらないわけだから。ということは、誰にも迷惑をかけているわけでもないのに、古い法律が邪魔しているおかげでみんなが困っているとは考えられませんか?

福井:なんだか私、悪役のような気がして来ました(笑)。けれど、業者による複製代行が自由に許されたらどうなるかも同時に考えないといけません。
仮に「ユーザーが使うためなら複製代行はかまわない」という論理が認められたとしましょう。そうするとおそらく、「元の本は裁断されていてもいい」ということになりますね。すでに裁断された本を再販売するサイトも登場していますが、そういうところから「裁断済み」の本を大量に買って、業者に直送してもらい、「スキャンお願いします」というだけでもよいことになる。

それは、出版社が製本前と製本後の本をそれぞれ販売すればいいだけですよね。福井先生のおっしゃることもよくわかるのですが、裁断済みの本を売るのは、古書販売の一形態に過ぎないじゃないですか?

福井:そうとも言えますが、規模が格段に広がる可能性があるでしょう? 例えば、裁断本の販売サイトから大量の本を購入して、スキャン代行業者に直送し、業者はそれをスキャンしてもよいことになったとしましょう。そうなると、スキャンした後も、裁断された本は残っていますよね? 現在は、スキャンした本を廃棄すると言っている業者さんも多いですが、もし私的複製として正面から許されるなら、理論上は廃棄せずにまた売って、これを無限に繰り返してもいいわけです。

そうなんでしょうか? 僕は、紙の本をデジタル化したら、元の紙の本は廃棄しなければいけないと思っていたのですが、それは違うんですか?


福井:現行法は違うんです。今、私的複製として許されるかを判断する時、元の著作物がどうなるのかについては問われていません。例えば、CDの私的複製はおそらくほとんどの人がしたことがあるでしょう。コピーした後でCDの方を手放したとすると、クリエイターに対価還元なく流通するコンテンツだけが増えたことになる。でも、現行の著作権法の解釈だとおそらくそれは許されているわけです。

もし複製を許すような社会システムを望むのであれば、古物の売買を禁止しなくてはいけない?


福井:それが良い制度設計なのかはともかく、私的複製の自由度を高めるかわりに、現物の所有権を手放してはいけないという縛りがあるのなら、ある意味首尾一貫はします。

それだとわかりやすいですね。もし古物の販売を認めるのであれば、複製などはせず、古物自体を買えと。


福井:書籍にしても、古物ではなく新品からのみスキャンを行うことができ、なおかつ買った新品を手放してはいけないというルールであれば、出版業界はきっとそんなに危機感は持たないのでしょうね。


では、古物の販売を許さない、もしくはスキャンしたら元の書籍はドロドロに溶かすなりして処分するということをルール化できればいい?


福井:現行の法律を変えて、どう制度設計を行うかの思考実験としては「あり」だと思います。でも、ドロドロに溶かすといった処分を義務づけるなら、ある程度実効性を持たせる必要はあるでしょう。ドロドロに溶かしたといったと嘘をついて、別のところに転売する人が出てきたら、それは権利侵害になります。

その人は、たんに法律違反を犯しているということでしょう? それが守られる制度まで設計しないといけないものなんでしょうか。例えば、あらゆる道路には速度制限がありますが、自動車メーカーはその制限をはるかに超えた速度を出せる自動車を販売している。だけど、制限速度を守る責任があるのは、法治国家の成員である僕たち自身です。だから、私的複製に関しても、それを許さない制度自体を作るのではなく、法治国家の成員なら守るのが当然という考え方でよいのではないでしょうか?

福井:かっこいいですよ、オカダさん!

といいつつ、屁理屈をこねている気分になっているんですけど。


福井:これは非常に重要な話で、実はデジタルコンテンツに関して「そもそも私的複製を許さない仕組み」はすでに存在しているんですよ。ただ私は、この仕組みを強化しすぎるのは問題だと考えています。

(次号に続く)




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