FREEexなう。

2010年10月20日

【社長日記】オタキングex創世記13~14(最終回)

13. すべてはFREEに向かう(南の島編)

3月4日(木)

その夜、オアフ島ワイキキビーチを見下ろす部屋に僕はいた。
残念ながら足を捻挫して(笑)
ほぼ2年ぶりの休暇だった。やりたいことも、やらなきゃいけないことも、いっぱいあった。
なにより考えなきゃいけなかった。
「ハワイで、南の島でひたすらのんびり考え事しよう」
そう考えたから5日間の休暇を取って、ハワイに行ったんだ。

社員からはもう大ブーイングだったよ(笑)
トラブルメーカーのユタカはゆうこママに「なんで社長がハワイなんか行けるんですかね」と突っかかったらしい。「そんなん社長が偉いからに決まってるやろ!うらやましかったら、あんたも早よ偉なりなはれ!」って一喝されたという。

ところが、だ。その偉いはずの社長様は、ハワイ到着の午後には時差ボケ寝不足でトロリーバスから足をすべらせ、右足首を強烈に捻挫した。現地3泊の滞在期間中、まる二日をベッドの上で過ごすことになっちゃった。

ユタカがこのニュースに快哉を叫んだかはしらないけど、僕はあんがい平気だった。もともと「ゆっくり考え事」がしたくて来たハワイだ。不本意な理由とはいえ、ベッドから動けないなら逆に話は早い。

目の前にはノート。いつも使ってるコクヨのカバー付ノート。見開きの右ページから使い出すのがオカダノートの特徴だ。
日付を書いて、その下に「理念→社是→クレド」と流れを書く。
何も思い浮かばない。

クレドとは、「従業員の行動指針」のこと。単なる心がけではなく「Aの場合、Bをすべし」と具体的に決まっているのが特徴だ。
この行動指針を決めるには、その上位概念である社是が必要だ。社是というのは「会社が社会に対して果たす役割」の言語化したもの。会社のマニフェストと考えればわかりやすい。

社是が決まらなければ、クレドも固まらない。しかしいきなり社是を決めることもできない。
なぜか?社是には「我が社はこのようにして社会貢献する」という宣言が必要であり、その宣言をするには「世界はこうなっている」という視点(ビジョン)を出す必要があるからだ。

例えで言うと、幕末の尊皇攘夷組織の社是は「南蛮の進入を防ぐ!」だ。対して10年後の文明開化組織の社是は「西洋に学び追いつけ」だ。
「世界はこうなっている」というズレがあると、まったく違う社是ができる。
社是の土台になるビジョン、世界観を「理念」という。企業や組織には社是の上位概念、この「理念」が必要不可欠なんだ。

いや、わかってるんだけどね~。

足も痛いし、こういう面倒なこと考えたくないんだよね~。

ルームサービスのコナコーヒーを飲み、ルーベンサンドイッチをかじりながら僕は逃避していた。

ルーベンは、トーストしたライ麦パンに薄切りのローストビーフを何枚ものせ、たっぷりのザワークラウトとチーズをさらに乗せて挟んだ抜群に美味しいサンドイッチだ。吉祥寺にアンナミラーズがなくなってから、ずっと食べてなかったよなぁ。
ちくしょう、やっぱり美味いものは太るようにできてやがるなぁ。

オタキングexの社員はみんな優秀だ。
それは間違いないけど、その「優秀さ」のベクトルはさまざまだ。
みんな「理屈っぽい」けど、好きな理屈ジャンルもバラバラなんだ。さっきみたいな「社是」や「理念」の話に大喜びする人もいれば、たちまちアクビする人もいる。
相談や会議が苦手で行動するのが得意な人もいれば、じっくり考えないと動けない人もいる。

たとえば社内で一番目立つ一人、「メタボのカズヨシ」は行動しながら考えるタイプだ。
ちなみに「メタボの」「トラブルメーカーの」というのは二つ名。みんな社内では「オカダ」という名前だから、個人をアイデンティファイするために二つ名を使っている。いちおう入社の時に僕が名付けるけど、自分で変えるのもOKなんだ。
「Fのヒロユキ」「岐阜のアカネ」「居眠りのヒサコ」など二つ名の理由はさまざま。「陰陽師のトシコ」はあきらかにやり過ぎだと思うけど、本人がいいというなら、ま、いいでしょう。
メタボのカズヨシは、理念や社是をすっとばして行動する。「社長の言うことはわかるけど、それを守っていたら期日に間に合わない」と考える。
いや、たしかに組織にはこういう人材がいないと困るんだよ。で、当然周囲や僕と言い合いになる。この「言い合い」こそが「社風のパーツ」なんだよね。

いや、話が逸れた。
言いたかったのは、理屈好きだからと言っても考えるのが遅い人もいれば、口べたや文章が苦手な人もいる。いろんな社員がいるんだ。
きっと、このブログを読んでくれている人も「理屈っぽい人」「理屈好きな人」だと思う。でなかったら、最初の3行で読むのをやめてるはずだから(笑)

なんの話だっけ?
あ、そうそう。理念だ。
理念とは「世界はこうだ!」「こうあるべきだ」という経営者の主張だ。
これが違うと社是も変わる。理念がないと、社是はとたんにつまんない「ありきたりの言葉」になる。

そう、いろんな会社があるけど、どこもかしこも同じような社是ばっかり主張してるんだよね。
「日本経済の発展に寄与し」
「人類の健康と幸福のために」
あ~、つまんない。
理念、つまりビジョンもないのに社是を決めるから、他と同じようなことしか言えないんだ。

「なぜ経済発展しなきゃいけないのか?」
「人類が健康長寿になったら、資源は大丈夫なのか?」

こんな当たり前の問いかけもでてこないから、個性のない社是ばかりずらりと並ぶことになる。
経営者ってビジョンを作る以外の仕事ないでしょ?
なにやってるの、みんな?

理念とは、映画で言えば監督の個性であり、社是は映画のシナリオだよ。
監督に個性やビジョンがなかったら、そりゃ凡作か失敗作しかできない。
映画はシナリオでできているのではない。カメラや俳優やセット、ロケ地などでできている。それらを統括する演出プランそのもの、それがクレドだ。

わかる?経営者なんだったら絶対に「他と違う理念や社是」を作れないとダメなんだ。
でないと「他の会社といっしょ」ということになる。それだったら他の会社に吸収合併されちゃえばいい。
理念や社是もないのに自分の会社を作るのは、単に自分が社長になりたいからだけでしょ?

なのに、世間では経営者は「会社の運営の具体的方法」を示す人だと思っているんだよね。
「トヨタはいまどうすべきか、強い指導力で」とか。
バカみたい。運営の具体策や方針、戦略なんかは人を雇えば教えてくれるよ。
その中から「もっとも有利な選択」するのが経営者じゃないよ。「もっとも自分のビジョンに合った選択」をしなきゃ。有利な選択したいなら、経営そのものもコンサルにまかせればいいんだよ。

…いや、いかんいかん。
足の痛みで怒りっぽくなってる。
とりあえずルームサービスで取り寄せたバニラアイスクリームを…
う~~~~ん、美味い!

ノートの左ページにイタズラ書きをしたくなってきたな…
僕は下手くそな字と絵で、こんなのを描いた。

「第○の波」とはアルビン・トフラーの言葉。社会の価値観自体を大きく揺さぶり変える社会変化のキッカケのことだ。このキッカケとはいつも思想や人物ではなく「技術」であるのが特徴だ。
第一の波は紀元前数万年前。「農業」だ。
食料が定期的に入り、天文や気象という「科学」が生まれた。農業があるから人類は「文明」を手に入れた。しかし同時に人間は「国家」「宗教」「戦争」というやっかいごとまで引き受けてしまった。

第二の波は百数十年前、「産業革命」だ。
身分制度は崩れて、市民社会、やがては大衆社会が普及した。しかし最大の変化は「経済」だ。科学には耐えられた宗教も、経済の発展でみるみる影が薄くなる。
次のターゲットは「軍事」。戦争も「儲からない戦争」は避けられるようになり、戦争の最大目的は「利益」になる。すなわち「経済は戦争を従属させた」。

第三の波、20世紀後半から現在にかけての変化は、「情報革命」だ。
経済が宗教の息の根を止めたように、情報ネットは戦争や軍事を急速に無意味化しつつある。50年前に比べていまや軍事は斜陽産業だ。
そして今、情報革命はものすごい勢いで「経済」を変質させつつある。すなわち「儲けるのは評価を得るため=セレブたちの社会奉仕ブーム」「評価がないと儲けても一瞬でフイに=トヨタの誤算」。これこそ貨幣経済→評価経済の流れが加速しつつある証拠。

農業が科学を生み(暦)、科学は戦争を終わらせる(核兵器)。
宗教が出版を生み(グーテンベルグ)、メディアは経済社会を加速させた(投機資本主義)。
そして戦争がコンピューターを生み(弾道計算)、ネット社会が貨幣経済を終わらせる(IT革命は経済的核兵器)

なんとまぁ上手く世の中は廻るんだろう!
自分にしかわからない、ひょっとしたら明日になれば忘れてしまうような妄想めいた想いを抱いたまま、僕はいつの間にか眠っていた。

3月5日(金)

いてて。今朝も足が痛い。
朝食はベランダまで運んで貰って、ワッフルにたっぷりバターとメープルシロップを塗って食べた。ホームポテトも皿に山盛り。米国の甘ったるいケチャップがとびきり合うんだよね。オレンジジュースとコナコーヒーでチーズオムレツを平らげると、さすがに満腹で苦しくなる。

喰って寝てばかりだぞ。俺の体重、大丈夫か?ちょっと気になったけど、怪我してる時ぐらい食べなくちゃ。食欲がなければ治るものも治らないぞ!

ワケのわかんないはげまししながら、またベッドに戻った。
ノートを開き、新しい見開きに日付を書く。今朝はいきなり左ページに同心円を描いた。

ヒトザルは「コトバ」を得て、ヒトになった。しかしコトバによって彼らの本能は破壊され、彼らは不安を抱える不完全な生き物になった。(動物は理解や共感を必要としない)
人は「理解しない・されない」「共感してもらえない・できない」という本質的に解決不可能な不安を抱え、「家族」を作るようになった。
家族は「人生の理由」を教えてくれる。お前がここにいるのは長男だから。お前が嫁に行くのは女だから。世界は個人にとって不条理であり、求めても得られるのは「説明」だけだ。家族こそ、人類が得た最初の「説明機関」であった。
やがて人は宗教を発明する。おそらく農業革命と同時あたりに。もちろん狩猟社会にも宗教はある。しかし教団や教義を有する「国家宗教」は農業なしにはあり得ない。
宗教は家族以上の「説明」を与えてくれる。世界の意味、人生の意味、そして来世の約束まで。しかし来世の説明は時にアイマイで、宗教的権威の失墜はそのオカルト的部分から崩れはじめる。オカルトなき宗教、純粋な理性への憧れが哲学を生む。
哲学は世界の意味と人生の意味(または無意味)を教えてくれる。来世を語らず、よりプラグマティックに進化し続けた哲学は、ついに「世界の説明」に「物理的証明」というオマケをつけるにいたる。

すなわち「科学」の誕生である。

家族→宗教→哲学→科学。進めば進むほど、フォロー範囲は狭くなる。科学が扱える部門は森羅万象のごく一部。そのかわり正確無比で再現・検証が可能だ。
宗教は科学よりもずっとアイマイだけどフォロー範囲が広い。
家族となると、その世界説明はデタラメに近いけど、フォロー範囲だけはだだっ広い。そう、母の愛は世界を包むぐらいだ。

オタキングexのリーチは長い。
一人の社長の下に、第一期社員が150人。まぁ一年でこれぐらいは可能だろう。
となると、有料会員はおそらく5000人が目標か。年に5000万の活動費があれば、社員たちもかなり動きやすいに違いない。
無料会員の数はおそらく2万人。日本で理屈っぽい人を母集団に考えたら、おそらくそれぐらいだろうな。
さらにサイトのみを見る人や、サイトを外国語に翻訳したら海外にも会員が増やせる。海外会員に翻訳を頼めば、10万人クラスもけっして夢ではない。
無料のコンテンツ配布、それも社員や会員が増えるほどコンテンツやサービスが増えて安くなるというのは、それほどパワーがあることなのだ。

リーチが長い、ということは「科学」から哲学、宗教まで手を伸ばせると言うことだ。僕たちが徹底的に論理的に振る舞っても、たぶん世間の一部は「宗教みたい」というだろう。それは科学からリーチを伸ばして哲学を越えてしまうから、当然のレッテルなんだろうな。
でも、僕たちが手を伸ばすのはさらにその向こう。宗教の先。
家族なんだよな。そう、オタキングexは会社であり学校なんだけども、同時に家族でもなくちゃいけない。その先の射程、「本能」まで手を伸ばさなきゃいけない。

なぜ?理屈が通ってない?しかたないよ。だって眠いんだもん…

すごく長い時間、眠った。
夢も見なかった。
目が覚めると、もう夕方だ。巨大な夕陽が水平線に沈みきるまで、生まれてはじめて見続けた。
夕陽が沈んだ。

よし、仕事の時間だ。
ノートを開くと、僕はオタキングexの「理念」「社是」「クレド」を書き始めた。

理念
・オタキングexは人類の苦痛の0.3%を軽減するために存在する。
タイムスケジュールは「僕の寿命内で」。マトモに頭脳が作動する範囲で考えると、あと10~15年かな?

・そのために「考え方のOS=人工本能」を普及させる
論理的思考や発想、もののとらえ方やポジティブな見方というのは、ダイエットで言うと「軌道到達」段階。そのための助走や離陸がノート術やレコーディングダイエットなんだ。こういうメソッドをいっぱい作って普及させる。
しかし本当に必要なのはそれらメソッド、つまりアプリケーションソフトではない。
OSだ。壊れた本能を補完する、「考える時全般に使える思考OS」なんだ。
足し算や箇条書きや例え話のように「ツール」であると言うことを意識できないほど使いこなしが当たり前になった、「考えるためのOS」。

理屈っぽくない人が、考えやすくなるための補助具。
理屈っぽい人がムダなルーチンにはまらない矯正器。
この「人間のOS」を僕は「人工本能」と呼ぼう。
人工本能の開発こそ、僕たちの最終目的なんだよな。

個々のメソッドは僕の価値観というベースがあるので、実は一つの世界観を持っている。「僕たちの洗脳社会」と「フロン」と「いつまでもデブと思うなよ」と「世界征服は可能か」も、オタキングexの設立理念もすべて同じ。
だからメソッドを使うことによって、徐々にユーザーは「人工本能」を導入し、徐々に理屈っぽいものの見方。考え方を受け入れるようになる。明治維新後の日本人が西洋合理主義をいかに抵抗なくスムーズに受け入れ、行動したかは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を参考に。
フロイトや岸田秀によると人間とは「本能の壊れた生物」である。だから僕たちは自分で自分を苦しめ、過剰な攻撃性や不安を持ってしまう。オタキングex 提供のOS「人工本能」は、これに対する補完機構。

・ヒトは単体では生きていけない。だから文化・文明を作った。(フロイド・岸田理論)

・ところが文化・文明はそれ自身が生命体であり、生存本能を持つゆえに互いに競い殺し合う。(岡田仮説)

・結果、ヒトが壊れた本能代わりにしていた文化や文明(貨幣経済)がヒトを苦しめるようになった。(岡田の現状認識)

・これまでの「壊れた本能+文化の下位存在」で生きるより、「壊れた本能+補完する人工本能」で生きた方が、ムダな苦しみが減る。(オタキングexの提案)

それは個人の中の数%、人類の苦しみのたった0.3%程度だろう。微々たる「「苦痛の軽減」だ。
だけど、我々の生涯を賭けるに値する目標である。

・オタキングexは貨幣経済を転覆させ、評価経済社会への変化を加速させる(世間から見ると「平和な貨幣経済社会を脅かす、世界征服団体)
貨幣経済文化は現状、最盛期から末期への移行段階。20世紀中盤は軍事が支配的価値観(文化)だった。文化は最盛期から末期にかけて「大量破壊兵器」を産む。核兵器とか毒ガスとかね。これにより戦争の被害者はいっきに拡大・激増した。
おなじく貨幣経済文化最盛期のいま、格差が大きくなりだしている。一握りの超金持ち誕生と引き替えに、最低限の生活に突き落とされる人が激増している。これこそ「経済的大量破壊兵器」の誕生だ。
これは同時に、貨幣経済社会が末期に入った証拠。おそらく数十年~100年程度で社会は変化を完了し、このバカげた兵器も過去の遺物になるだろう。

でも、我々はそういう歴史の変化を待っていられない。変化の苦しみ自体は避けがたいかも知れないけど、必要最低限にとどめたい。なので、貨幣経済社会の終焉を加速させ、評価経済への移行を加速させるオタキングexを作り、これの拡大による世界支配を目指す。
移行完了後は、オタキングexをはじめとする評価経済社会に対応した会社や組織は拡張型家族の基礎になる。
世界はやがてもう一度、もっともフォロー範囲の広い「拡張型家族」の時代を迎えるだろう。この家族形態という受け皿なしに評価経済社会へ突入すれば、単なる「人気あるもの勝ち」「イケてない奴をはじくだけの社会」になってしまう。

そのため、オタキングexは同種の会社・組織の誕生を支援する。オタキングex型の組織や構成員が増えれば増えるほど、末端の無料で恩恵を受けるユーザー層は増え続ける。やがて人類の0.3%に手が届くだろう。

クレド

・社員は「理念」「社是」「クレド」に同意し、賛同し、忠誠を誓う。
つまり、これに異論があったら入社しちゃダメ、ということ。

・社員は社長に頼らず、仲間に頼る。社長に尋ねる前に、理念・社是・クレドで考える。
できるだけ聞かずに考えて、あとで「違うよ」「その通り」って言われた方がよく理解できる。誤解や誤読は恥じゃない。「間違えないように先に確認しよう」という思考法から抜けだそう。

・社員は仲間を裏切らない。社長を私有しない。
だから社長との恋愛はクビ。抜け駆けで社長に企画持ち込みするのもダメ。

・社員は1日でも早く入社したら兄さん・姐さんとして後輩の面倒を見る。
でも年長者や社会経験者に対しては敬意を払うこと。

・社員が得る会社に関するあらゆる情報は、すべて互いに共有する。(例外:社長の口止め)
企画や問題点の透明度をできるだけ純粋にしたいから。

・社員は相互理解につとめ、不理解が起こった場合は双方の責任とする(目上7分、目下3分の責任)
年上だったり兄さんだったら、「理解してもらえないのは自分の責任」と考える。お互い、意を尽くしてもわかってもらえない時は「兄さん」「年長者」「社会経験」の順で責任がある。僕も同じだよ。だから社員の間違いの全責任は僕が取ります。

・社員は常に、会社や仲間の評価を上げるよう考え、行動する。
社員は僕が将来執筆する本の「英雄」「キャラクター」になる。だからカッコいいエピソードをどんどん残すべき。最初から「できる」必要はない。成長して「できること」を増やして、仲間に認められて世界を助けよう。

・言い出しっぺまたは「これが必要」と思った社員が担当者。
積極的に責任者になろう。それがレベルアップの近道。でも仕事で忙しい時や余裕がない時は観客でかまわない。そんなときでも「頑張ってる奴らへの声援」だけは忘れないで欲しい。同じく、頑張ってる社員は「働かない社員を非難しない」こと。僕たちは自分の趣味で「ボランティアとして世界征服」を目指す善意の集団なんだから。

・クレドは社員同士の合議で変更できる。しかし社是や理念は書き換えを認めない。
基本クレド以外に、各部署毎のクレドを作ろう。ただし、クレド総計数は20個まで。おぼえられないほどのルールは無意味だよね。


こんな感じで一気に理念とクレドを書き上げたら、いつのまにか夜中を過ぎていた。
なんだか中学男子が徹夜で書いたラブレターみたいだ。
充分だ。充分すぎるほど「狂って」いる。
明日の朝、読むと恥ずかしいんだろうな(笑)

3月6日(土)
朝、起きたら捻挫はほぼ治っていた。なんとか歩ける。今日は砂浜に行こう。
そう、せっかくのハワイ旅行だ。明日の朝には帰るんだから、楽しまなくちゃ!
ホテルのロビーに降りてレストランで朝食を食べる。

オープンテラスでパリパリに焼いたトーストに、とんでもなく甘く熟したフルーツ、大きなグラスいっぱいおかわり自由のフレッシュジュース。バターたっぷりのスクランブルエッグに、カリカリで叩くと折れるベーコン。口の中で溶けるクロワッサンやデニッシュ…
最高の朝食をたっぷり詰め込んで、部屋に帰った。昨夜のノートを開く。
ふむ、まだ意味がわかる(笑)
あんがい昨夜はマトモだったのか、それとも僕の頭が狂ったままなのか。

本能が壊れたまま産まれたのが人間なら、それを論理で補完しよう
すべての「理屈っぽい人」が集まれる場所を作ろう。
そんな人たちが集まって、「理屈っぽくない人」のために働ける場所。
「自分たちのことをわかってくれない」、そんな人たちのために働く人の場所。
理屈っぽく話し、理屈っぽく笑い、どうしても理屈にできない自分の心の動きを感じれる場所だ。

感動は論理を越える、と言う。
ならばその感動とは、乗り越えるべき論理が高ければ高いほど大きく深いはずだ。
僕たち「理屈っぽい人」すなわち理屈民族は、簡単に感動できないからこそ、誰よりも感動を必要としている民族なんだ。

社内の連絡に使っていたメーリングリストは、もう限界らしい。日本に帰れば、そろそろ僕たちのSNSが稼働しているだろう。
理屈っぽい人が集まるSNS。
それは論理でできた社屋。物理的存在を持たない純粋論理建築物だ。

バベルの塔だな、と僕は考えた。
バベルの塔の逸話は矛盾だらけだ。なぜ神に近づきたいから「塔」を建てる?
もし「塔の高さ」が問題なら、なぜ神は「コトバを乱し」た?なぜバベルの塔は「コトバ」を乱されたら崩壊した?

答えは簡単だ。
バベルの塔というのは、論理の積み上げのメタファーなんだ。太古の昔、論理の積み上げで人は神に近づこうとした。すなわち「本能の不備」を埋めようとした。製造主である神にクレームでもつけに行ったのかもしれないね。(笑)
論理は重なって世界を作り、神に近づいた。すなわち人工本能の完成寸前までいったでも神はそれを望まず、人を誤解させて論理を崩させた。

ちぇっ、あのヤロー、なかなか汚い手を使いやがるなぁ。
でも見てろよ、今度は僕たちには「情報ネット」がある。
今度はお前のすぐ近くにまで行けるだろう。

大丈夫、心配しないでいいよ、神様。
「俺たちあんたの手抜き創造のおかげで、本能が不完全なまま生まれてきたけど、なんとか自分たちでやっていく方法見つけたよ。作ってくれてありがとうな。じゃ、さよなら。あばよ!」って元気に言ってやるんだ。

たぶんあんたは僕たちを愛してるのかも知れない。
あんたがいるのかいないのか、それも僕らにはわからない。
そうだ、「僕たちのSNS」にぴったりの名前を思いついた。うん、これしかない。この名前以外、考えられないじゃないか。

ハワイの太陽は燦々と輝き、言葉にできないほど美しく空は澄み渡っていた。
でも僕は、明日、日本へ帰るのが待ち遠しくてたまらなかった。
早く帰りたいな。「バベルの塔」へ。

よし、今日はハワイで一番でっかくでジューシーなチーズバーガー食べに行くぞ!
そう。すべてはFREEの世界へ向かっているんだ。
新サイト、いよいよ明日の夜12時にはじまるよ。

あ、そうそう。ハワイから帰ったら、なぜか僕は3キロも太っていたよ。怪我して寝てばかりのはずなのに、なぜなんだろう?
じゃ、今日はここまで。次回はいよいよ最終回だ。
今日のBGMは『イルカの日』だよ。

 

14. あなたのFREE世界(最終回)

お疲れさまでした。
今日のブログで僕の話はおしまい。
長い話に最後まで付き合ってくれて、本当にありがとう。

この2週間、とにかく「正直に書く」ことだけを念頭に置いて書いたよ。だから文章に余計な熱が入っちゃったかも知れない。昨夜のブログなんかあきらかに「アタマおかしい世界」に入っちゃってるよね(笑)
だけど、僕のそういう一面も見て欲しくて隠さずに書いたんだ。今は「岡田斗司夫もヘンになっちゃたな~」と笑ってくれるのでもかまわないよ。

でもこれだけはおぼえておいて。
僕の話じゃない。「君の話」も書いたつもりなんだよ。
では、最後のブログです。

僕の目標は、「歴史に残るアニメを作る」ことだった。
いまから30年前、大阪でSF大会が開催された。DAICONⅢといえば知ってる人もいるかもしれない。僕はそこでアニメを仲間たちと作っていた。
どんな仲間たちか、どんなアニメだったか。ネットで調べればすぐにわかる。
問題はその時の僕が本気で「人類の歴史に名を残そうとしていた」ということだ。

当時のスタッフは、当たり前だけどそんなこと信じてはいなかった。「また岡田さんの景気のいい話がはじまったなぁ」と思っていただけだろう。
でも僕は本気だった。本気だからこそ「人類の歴史に残れるかどうか」がすべての判断ポイントでの基準となった。

「この絵のレベルではダメ」「この動き、どうにかならない?」
DAICONⅢでは「自分たちのアニメが作れる」でせいいっぱいだったけど、2年後のDAICONⅣでは本気で「歴史に残る」つもりだった。
「ルーカスやスピルバーグは、すでに追い抜いた。DAICONⅣでクロサワやトミノやオーソン・ウェルズ、キューブリックも追い抜ける。おそらくその次のアマチュア最後の作品か、プロ作品第一作で映画の歴史を塗り替えて、僕たちは人類の歴史に名を残すことになる」

笑っちゃいけない。いや、無理かな(笑)
でも当時の僕はそう信じていたし、だからこそ監督やスタッフに一切の妥協を許さなかった。当たり前だ。まだ大学生なのに、人類の歴史を作ってるんだよ。テストとか留年とか言っちゃダメに決まってるじゃん(笑)

だから当時、僕は後輩やスタッフから「岡田さんはキチガイだから」と言われた。もちろん大阪人の笑いながら言う例のノリだから悪意はない。悪意はないけど「しかたないなぁ」というあきらめの気持ちで付き合ってくれたんだと思う。
でも、スタッフたちはなぜか、そんな僕の「狂った夢」を聞きたがってくれた。
自分たちはどこに向かっているのか。なぜ、こんなに苦しんでアニメやSF大会を作り上げなくちゃいけないのか。

スタッフの参加率が減ると、きまって僕は武田さんや神村君から「みんなの前で話してくれ」と頼まれた。ふしぎなことに僕が話すとまた参加率が上昇した。

みんな僕の話を、夢を、目標を信じてはいない。
でもみんなの「やる気」を出すことはできる。元気にすることぐらいはできる。そんなささやかな差でも、完成したフィルムにはちゃんとあらわれるんだ。

僕たちの作ったアマチュアアニメは、それはもう大成功というのも控えめなぐらい「伝説」になった。
でも、僕は敗北感でいっぱいだった。

DAICONⅣは16ミリフィルムで20分の作品になるはずだったのに、完成したのは8ミリでたった3分だ。内容もストーリーもドラマもすべて跡形も残らないほど削り落とされ、ただのビデオクリップみたいな映像が残っただけだ。
冷凍睡眠から目覚めた女の子は、すべてが計画を逸脱していることに気づく。数百年間のあいだ恒星間宇宙を航行するあいだにここが巨大宇宙船内だということを忘れた乗組員子孫は、果てしない争いを続けていた。成長した女の子は宇宙船ブリッジへ向かっての旅をはじめる…

このストーリー、どこに消えちゃったの?
ルーカスもスピルバーグも追い抜けなかった。1年もかけたのに!
スタッフのみんなは幸せそうだったけど、僕は落ち込んでいた。

どうだい?イヤな奴だろう?(笑)
僕はそんな奴だったんだ。

しかしまぁ、その頃の僕に取り柄があるとすれば、立ち直りが早いことだ。
「人類の歴史に残る計画」が1年延びただけ、と気を持ち直して、後に『王立宇宙軍~オネアミスの翼』という映画の企画をはじめる。
ここでも僕は周囲を妥協させなかった。人類の歴史に残るフィルム作るんだよ?山賀は「一億欲しい」とか井上さんも「一億五千万もらえれば大成功」って言うけど、そんな予算で歴史が作れるものか!
最低で三億6千万、音楽は抜きで、だ!

この時代、たしかに日本のアニメ映像センスは世界の最先端を走っていた。ここで決定打を出せば、ナウシカを追い抜きさえすれば、僕たちは「世界一」になれる!

ここから先の話はいいだろう。
以前、イベントでも語ったことがあるし、なによりも映画が残っている。

肝心なことは、いつの間にか僕は「狂って」いなくなっていた、ということだ。
いつの間にか、アタマは治っていた。

「自分たちの本当に作りたいアニメを作ろう」
「スタッフが本気で誇りに思えるアニメを作ろう」

ね?健全だろう?
こういう「成長」した現実的な目標を語れるようになっていた。

楽しくアニメを作れるようになって、なにより自分の作ったアニメを「また失敗だ!」とか考えずに楽しめるようになった。
だから『トップをねらえ!』は大好きな作品だ。僕の中の「狂った」部分と、治癒した部分がバランスよく入った作品だから。

でもね、今なら言えることなんだけど、僕みたいな人間は「治った」りしたら取り柄がないんだよ。
「歴史に名前を残そう」とか「人類を救おう」というのは異常に肥大した自意識や自我のあらわれだ。
いわゆる「中二病」というやつだね。
でも、その「異常さ」は確実に普通以上の熱量を孕んでいる。周囲に影響を与えるほど膨大な熱量があるからこそ、「迷惑だけど役に立つ」。
そう、原子力発電所みたいなものだね(笑)

中二病の男は、中二病の平和利用を考えるしかないんだ。
中二病を直したら、それこそなんの取り柄もないんだよ。

だけど今、中二病の発症はどんどん拡大している。
結果、なんだかすごくマズいことになってるんだ。

伝説のハッカー、ポール・グレアムの『ハッカーと画家』の一部がここで読めるよ。
「なぜ頭のいい子供(オタク)は人気者になれないのか?」
頭のよさとオタクになることの間には、強い相関関係があって、オタクになることと人気者になることの間には、それ以上に強い負の相関関係がある、って。頭がいいと、人気がなくなるようなんだ。

ね?気になるでしょ?
ちょっと長いけど、ぜひ読んで欲しい。

これってアメリカだけの話じゃないよね?
アメト~~クの「中学の時にイケてない芸人」を見た時にも驚いた。僕が中学生の頃はそこまで同調圧力が強くなかったけど、いま学校ってそんな場所なんだ、とびっくりしたんだ。

じゃあオタクや頭のいい人は、こんなくだらないことをしないのか?
そうじゃない。人間は同じなんだ。一度受けた屈辱が忘れられないから、今度は「やる側」になって同じ事を繰り返す。
たとえば僕と同じか、僕より少し下の世代の人たちが2ちゃんねるを見るとみんな驚くんだよ。
良質な人もいるんだけど、悪意だけに満ちた発言も多い。
知能指数の高そうな知的な書き込みをしてる人も、その能力のかなりを傾けてなんとか人を引きずり下ろすことに熱中している。というよりサバイバル戦略として選択してる、かな?

そう、これが「評価経済社会」の負の側面だ。
評価経済社会は「やがて来る」んじゃない。
すでに来ている。

社会変化は子供たちや若者の世界から、上の世代へと駆け上がってくるんだよ。
海の向こうを見るだけじゃいけない。足下を、子供たちの世界から変化はすでにはじまっている。
オタキングexは貨幣経済社会を終わらせ、評価経済社会を生み出すチカラの一つになろうとしている。

これは間違いない。
では、その新しい世界、評価経済社会とは、はたして「素晴らしいだけの楽園」なのか?
違うんだよ、悲しいことに。
人類は永遠に楽園には行けない。それだけははっきりしている。
だから今の世界を「ほんのちょっとだけ」マシにする努力が大事なんだ。

貨幣経済社会の欠点とはなんだろうか?
「他人の貨幣を奪うと得をする」という仕組みが最初からビルトインされていることだ。貨幣の発行量を制限しないと無制限のインフレになってしまう。なので貨幣経済において「豊かになる=他者の貨幣を奪う」であるのは当然だ。
『カイジ』の限定ジャンケンで、勝者が敗者からワッペンを奪う瞬間、あれが貨幣経済の本質なんだ。

豊かになるとは、誰かから奪うこと。
だから現代の成功者たちは「広く薄く」を目指す。他者から奪うんだけど、痛みを感じさせない程度の「掠り取り」で奪われたことに気づかせない。

では、来るべき評価経済社会の欠点とは?
「他人の評価を下げるしか楽しみがない人であふれる」だ。

評価は個人的なものだから、総量制限はない。もし評価経済社会への移行と共に評価通貨が発行されたら、ひょっとして「評価の奪い合い」になるかもしれない。そのあたりはオタキングex社内の思想本部でも議論の対象になっているよ。

とにかく、評価経済の中でも「評価の貧富差」はかならず発生するだろう。
評価を上げるためには、人に感謝され認められることをすればいいんだけど、話はそんなに簡単じゃない。
絶対に「人の評価を下げることだけ」を生き甲斐にする人が現れる。そして、その十倍の数の「ターゲットにされないために、評価を下げる側に廻ろうとする人」が続出するんだ。
今の中学校で起きていることが、社会一般に拡大してしまう。これが評価経済社会のマイナスだ。

では、このマイナスを防ぐにはどうするか?
ポール・グレアムの考えをひと言でまとめると、こうなる。
「人間を閉じこめると『退屈しのぎの暴力』が場を支配する」
そう、問題は「閉じこめられている」ことなんだ。

貨幣経済であれ評価経済であれ、たとえ恋愛や友人関係であっても対人スキルによって貧富の差は発生する。
経済弱者、恋愛弱者、人間関係弱者など、いろんな弱者が生まれる。
リアルな世界で生まれたそのような「多層な貧富差」は、ネットにより解消される、と言われた時代もあった。でも違った。ネットは「場」となってあらゆる人を飲み込み、それぞれが「居心地のいい場所」を見つけると同時に、そこは「閉じこめられた場所」になる。
誰かに閉じこめられるんじゃない。自分で「閉じこもる」んだ。そこが一番居心地がいいからね。
すると「退屈しのぎの暴力」が発生しはじめる。よく観察すると、ブログでも2ちゃんねるでも「誰かを引き落としてる場」にいるのは同じような人たちばかり。開かれているようで実は「閉じこめられている」。

当たり前だよね。新参者がそんな発言ばっかり読んだらドン引きだよ。システムとしては開かれてるはずなのに、「閉じこめられてる」というのはそういう理由なんだ。

評価経済社会の欠点は、「評価弱者=自分の評価が不当に低いと感じる者」のセーフティネットがまだ整備されていないこと。だから「他者の評価を下げる=自分の評価が上がる」という勘違いが生まれるんだ。

オタキングexが準備している、これに対する回答が「拡張型家族」だ。
もう一つの会社であり、学校であり、家族である。
それは「今の会社がイヤでも、好きなことをするのは楽しいよね?」という問いかけだ。

「学校が嫌いでも、働きながら教わったり教えたりは楽しいかもよ?」
「家族がイヤだとしても、ゆる~い繋がりの『家族ごっこ』なら居心地良いかもよ」
こんな提案をしたいんだ。

ネット上で出会える人たちを「遠い親戚」みたいに考えよう。
本当の家族に相談できないことも、でも信頼できる「会ったことのない人」にだったら打ち明けられるよね?
そういう人たちとの繋がりを僕は「拡張型家族」と呼んでいる。つまり「家族ex」だ(笑)
評価社会が来た時に、この「拡張型家族」というシステムなしだったら、中学のあの悪夢が社会全体に広がることになっちゃう。
特に僕たち「理屈っぽい人」はクールでしょ?なんとなく人間関係を煩わしく考えて、頭脳だけで勝負できるネットの世界の方が気楽じゃない?
だからネットの世界に「閉じこめられちゃう」し、閉じこめられると「退屈と暴力」が場を支配する=叩きが横行するのは当然なんだ。

リアルの世界だけだと息苦しい。いろんな多層的な貧富差が逃げ場を奪っちゃう。
ネットの世界はその無名性ゆえに、あまりに自由すぎて安心できる場にはならない。自由すぎて「一番楽な場所」に閉じこめられることも多い。

もう一つの世界。
拡張型の仕事の場、学びの場、仲間や家族としての場。
それをオタキングexは目指してるんだ。

だからオタキングexには専任社員はいらない。みんな兼業で参加すべき。我が社を誰も「唯一の居場所」にするべきじゃない。
我が社で得た学びや仲間や評価を、どんどん自分の周囲にも還元すべきなんだよ。
家族だから、僕はその中では理不尽な存在になるよ。みんなの機嫌を取ったりしないし、仕事だって指図しちゃう。
命令は矛盾してるし、機嫌が悪いとスネたりもする。そうなるとゆうこママでも手をつけられない。

マジメな話、もちろん自由参加が原則だから仕事しないのは自由なんだけど、さぼるのはダメ。「する」って言ってしないのは仲間に迷惑だからね。
仕事だけだと、人に命令なんかできない。だって「金銭の交換と引き替えに労働力を買ってる」わけだもん。労働者の利得は「少ない労働で最大の賃金を」だし、経営者の利得は「少ない賃金で最大の労働を」だ。
でも、家族だから僕は本気で叱るし、命令もする。
「お前のしょーもない幸せなんか後回しじゃ!人類のために働けボケ!」とか言うかもよ。
なんせ我が社は、ボランティアで世界征服を企むSFC(すこしふしぎなカンパニー)だからね。

え?世界征服に興味がある?
奇特な人だねぇ(笑)
わかった、いっしょに働きたい人は、「入社案内」をクリックしてくれ。

じゃあ、これが本当に最後だ。
おぼえてるかな?
最初はほんの小さなきっかけではじまった。
「ひとり夜話」を見たい!と言ってくれたあのメール。
イベントには行けないけど、お金には余裕がないけど、それでも見たい!と言ってくれたメールやコメント。

これに答えるのが目的で動き出したのが、オタキングexの原型だ。
まだ完全な映像配信には遠い。
みんなの住んでる町に出かけて、僕の話を直に聞いてもらえるようになるのは、ずっと先かも知れない。

それでも一歩ずつ目標には近づいているよ。
とりあえず今夜12時、オープンする新サイトを体験してみて欲しい。

「望むすべての人に、ひとり夜話をFREEで!」
これが我が社の第一期目の目標なんだ。

そう。すべてはFREEの世界へ向かっているんだ。
僕は、僕たちは、そこで君を待っている。
新サイトで、今夜12時に会おう。

平成22年4月2日(金) 吉祥寺にて
岡田斗司夫&オタキングex

BGM『誰かが風の中で』
 





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オタキングex創世記 

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