07. すべてはFREEに向かう(上昇編)
マイケル・ジャクソン
彼は僕と同い年、1958年に産まれたポップ・シンガーだ。
マイケルは自身の集大成となるワールド・ツアー『THIS IS IT』の公演2週前にロサンゼルスで死んだ。
死後、そのツアーリハーサルの映像が編集され、日本でも劇場公開された。
その映画、マイケルの『THIS IS IT』を僕はこの正月に吉祥寺の映画館で見た。
1月2日の深夜2時だった。
お正月の深夜2時にもかかわらず、映画館はほぼ満席だった。
冒頭、世界中から集められたダンサーへのインタビューから映画ははじまった。
「マイケルの前で踊れるなんて夢みたい」
「おい、信じられるかい?俺は10歳の時から、ずっとこの日を待っていたんだぜ!」
彼らダンサーは『THIS IS IT』ツアーのオーディションのため、文字通り「世界中から集められた天才たち」だ。
そう、ダンスなら誰よりも上手く、おそらく各出身国のベスト中のベスト、まさしくNo.1と呼ばれるスーパータレントたち。そういう「天才」は自我が強 くプライドも高い。自分こそ世界一、と思ってる人種なのだ。
そんな彼らが、マイケルの前で踊れる、オーディションを受ける直前のインタビューで感動を隠せずにいる。みんな紅潮する頬を涙でぬらし、感動のあまり言 葉にできない者もいる。
そこらのファンじゃないんだよ?
「世界一」の天才たちが、たかがオーディションで、50才を越える大御所の前で踊るだけのはずなのに。若くて才能にあふれた彼らの方が、年齢的には初老 のマイケルよりもずっとダンスが上手いはずだ。
しかし彼らは、発表の順番を待つあいだ緊張し、興奮し、そしてこの日を迎えた自分を祝福する。
そう、彼らにとってマイケル・ジャクソンは、単なる「業界の大物」じゃない。
彼らにチャンスを与えたり奪ったりできる、セレブでエクゼクティブな「音楽業界のトップ」なんかじゃないんだ。
彼らと同じ一介のダンサーでありパフォーマー、ミュージシャンとして「圧倒的な差で追いつけない存在」として彼らが眩しく見上げる存在。
それがマイケル・ジャクソンだ。
この冒頭インタビューはかなり長く、映画の半ばにも何度も挿入される。
ちょっとふしぎに思った。
正直な気持ちで言えば、「マイケル・ジャクソン?ああ、むかし流行ったよね。もう古いんじゃないの?」というのが映画を見る前の感想だったから。
だから画面でダンサーたちの興奮や感動は「わかるんだけど理解できない」というレベルだった。
しかしその後、リハーサル風景が画面にでると僕たち観客は「なぜ彼ら天才ダンサーたちが、かくもマイケルを尊敬し畏れるのか?」を思い知らされることに なる。
違う。
圧倒的に「なにか」が違う。
マイケルが軽く手を広げると、手のひらに観客の視線が集中する。
右足を後ろに一歩引くと、僕たちはマイケルを見逃すまいとかすかに目を見張る。
注目を、観客の視線を、その向こうにある観客の感情をマイケルはわずかな動きで自由自在に操る。
マイケルは小柄だけど手のひらが大きい。そんなことにも気づかされた。
あの手のひらを広げたり握りしめたりするだけで、どれだけ多彩な表情が生まれるというのか。
若いダンサーが華麗に宙を舞う。激しいダンスを見せても、観客の注意は舞台の右手でゆっくり踊るマイケルに「ちょうどいい配分で」注がれる。
「俺を見ろ!」ではなく「観客はいま、どこに注意を向けるべきか」を舞台上のたった一人のパフォーマーがコントロールしている。
マイケルがボーカルの女性に助言する。
彼女もまた「世界最高のパフォーマー」だ。
しかしマイケルは「ううん、君はこうすべきだ。君にはできる」とアドバイスし、隣でいっしょに歌う。
マイケルとユニゾンしながら、彼女が自身の限界を超えていく瞬間。その驚きの表情。マイケルの「ね?できただろう?」というイタズラっぽい笑顔。そして 開放された彼女の歌声。
奇跡の瞬間をカメラは捉えた。
ダンサーも、ミュージシャンも、照明やカメラマンたちも、マイケルの近くにいると魔法のように「いままで以上の自分」を発見する。
触れるものすべてを黄金に変えるマイダス王。
それがマイケル・ジャクソンだった。
天才なんてもんじゃない。
ダンスが上手いというレベルではない。
言葉にはできないそれ以上、マイケルは「この世界に現出した奇跡そのもの」なんだ。
いったいなにが違うというのか?
マイケルと「その他の天才たち」との差は、なんなんだろう?
映画が進むにつれて、徐々にわかってきた。
そうか、マイケルには「伝えるべきこと」「言いたいこと」があるんだ。
他のダンサーは「上手く踊りたい」とか「自分を表現したい」で手一杯。もっと上手くなるとようやっと「自分の内部の情動を表現したい」になるんだけど、 そこ止まり。
しかし、マイケルには「表現したい内容」がある。
具体的には、映画中盤で見せられるいくつかのミュージック・クリップ。環境破壊や熱帯雨林伐採に歌で抵抗するマイケルの思いが、映像や歌詞やインタ ビューで語られる。
僕はそこで納得して、ひと安心した。
なるほどね、「なにかやる男」というのはやっぱり違うもんだね。
映画はツアー用の特別映像やステージの練習風景にうつり、僕はリラックスして映画を楽しんだ。もうその頃になると、映画館の観客たちはすっかりマイケル の信者だ。
それまで世間で伝えられてきたマイケルの奇行やスキャンダラスな事件など、そういう風聞を信じた自分が恥ずかしい。だってマイケルって、本当にすごいん だもの!
お正月の深夜の映画館は、僕を含めてそういう「にわかマイケル信者」でいっぱいだった。
しかし、映画のクライマックス近く、いよいよツアー開始が近くなったのでスタッフ全員が手を繋ぐ場面。
数十人のスタッフが輪を作り、隣の人と手を繋ぐ。
マイケルは「みんな僕の家族だ」と言う。泣いていたあのダンサーも、あのボーカル歌手もいる。来月からのツアー開始を前に、それぞれの意気込みや仲間へ の感謝の言葉を口に出す。
感動的な、マイケルのスタッフたちが心が繋がっていることがわかる、いいシーンだ。
マイケルの隣にいるのはギリシャ人のプロデューサー、マイケルが誰よりも信じてパートナーに選んだケニー・オルテガがいた。
オルテガはマイケルの親友であり、兄であり、一番の理解者だ。彼がみんなに感謝の言葉を言う。
「ありがとう。きっと僕たちのツアーは大成功する。すばらしいツアーになる」
人の輪を作っているスタッフたちは、うなずく。涙を流して強くうなずく。
「じゃあマイケル、みんなに言葉を」
オルテガにうながされて、マイケルが発言した。
「いま地球は危ない。本当に自然が破壊されてしまう直前まで来ている」
え?と僕は思った。
いま、その話?
マイケルってKYの人?
「僕たちのツアーはできる。地球を救うんだ。地球の環境破壊をやめさせて、自然を回復しよう。世界中にこの運動を広げよう。4年あればできる」
画面に映ったスタッフたちも、なにか居心地が悪そうだ。ダンサーや音響さん、オルテガなどのスピーチでは強くうなずいていたみんなは、とりあえず下を向 いてマイケルの話が終わるのを待っている。
そりゃそうだろう。
だってマイケルは「みんなのツアー」の話をしていない。「自分の目標」の話をしてるだけだ。
でも「みんなの夢」はそうじゃない。素晴らしいツアーを成功させること。マイケルと並んで踊ること。その向こうにはさらなる自身のキャリアや未来。
なによりもマイケルの話には無理がある。環境破壊を止める?
だって歌だよ?コンサートツアーだよ?
「環境破壊をやめるように訴える」ことはできるだろう。
そういう運動のテーマソングにすることだって可能かも知れない。
でも、たかがミュージシャンの歌で、環境破壊を止めたり、自然回復を4年以内になしとげる、そこまでの力はない。
それが現実だ。
「僕の歌が環境破壊を止める力になれたら」
これならわかる。理解の、理性の範囲内だ、
でも「僕の歌で地球を救う。4年以内に。僕たちにはできる」、そんなことを本気で言い出したとしたら、その人は狂っている。
たしかにマイケルのミュージック・クリップには、彼の歌のパワーで熱帯雨林が復活するSFXシーンがあるけど、あれは合成だ。特撮なんだ。
それが理性だ。それが現実なんだ。
だから、マイケルのスピーチが終わると映画は次のシーンに切り替わった。リハーサルが続き、マイケルの日常も映された。
素晴らしいツアーにしよう!
スタッフの思いが一つになっていく。
ここで映画は終わる。
しかし、僕たちはこの続きを知っている。
マイケルの物語、その残酷な結末を知っている。
君もニュースで見ただろう?世界中の人がマイケル・ジャクソンの突然の訃報に驚いた。
この素晴らしいコンサートの本番を迎えることなく、マイケルは死んでしまった。
だから映画が終わった後、吉祥寺の映画館でも客席から嗚咽が聞こえた。
なんて可哀相なマイケル。
すばらしいツアーになるはずだったのに。
あんなに素敵な、マイケルを尊敬して愛しているスタッフに恵まれていたのに。
あんなに天才で、才能もお金も愛情も、誰よりも持っていたのに。
映画館の観客たちは感動し、泣いていた。
栄光に包まれた、しかし不幸な天才アーティストの死を悼み泣いていた。
しかし、僕は泣けなかった。
僕は怖かった。
マイケルの人生は失敗だったと知っていたから。
彼はなにひとつ得られず、この世を去ったことがわかったから。
みんな信じちゃいない。
マイケルの目標を。「この地球を救う」を。
あれほどマイケルに心酔していたダンサーやシンガーたちも、誰一人本気で信じていない。無二の親友オルテガをはじめ、スタッフたちは誰一人「世界を救え る」なんて信じちゃいなかった。
映画館でマイケルを見て泣いている観客も「マイケルっぽい理想論だね」とスルーした。
「マイケルは純粋だから、そんな夢を持っているんだ。僕たちはそんなマイケルが大好きなんだ」
そう考えていたんだと思う。
でも、マイケルはそんな絵空事みたいな夢じゃなく、本気で、本当に、この4年で世界を環境破壊から救うつもりだった。「夢」じゃなくて具体的な「目標」 だったんだ。
あれほど彼を尊敬し、愛してくれたマイケルの「家族」や「仲間」たち。
マイケルの死を悼んだ世界中のファンたち。
その中で、いったい何人が「マイケル、口惜しいよな。もう少しで世界を破滅から救えたのに。環境破壊を止められたのに」と彼のかわりに嘆いてくれただろ う?
そうか、だからマイケルは子供が好きだったんだ。
子供なら、マイケルの目標を信じてくれる。
マイケルが「世界を救おう」と言った時に心から信じてくれるのは子供だ。
だからマイケルは、子供たちが好きだったんじゃないだろうか。
なんて可哀相なマイケル・ジャクソン。
彼は誰にも理解されず、なにひとつ人生の目的を果たせず、世界の破壊を止められないまま世を去った。
彼にとって、彼の人生は敗北だった。
栄光と愛と美に包まれていた、と人は言うかも知れない。
でもマイケルはきっぱり、ノーと言うだろう。
「世界を救うことだけが僕の望みだった」と。
僕?
僕も信じちゃいない。
マイケル・ジャクソンが歌で世界を救えるなんて。
でも、僕にはマイケルの口惜しみがわかるよ。
僕もマイケルと同じ、狂った男だから。
僕はマイケルと違う。
天才じゃないし、才能もない。
トークの才能や文章力は、ある程度ある。
でもマイケルのように世界中の人を感動させるような表現力はない。
だから僕の「狂った目標」はマイケルよりはずっとささやかだ。
それでもマイケルと同じく、その目標が達成されない限り、僕の人生は無意味だ。
僕の目標は・・・
う〜ん、恥ずかしいなぁ。
笑われるだろうし、信じてもらえないだろうし、絶対にバカにされるだけだ。
明日。明日まで待って。この続きは明日にしよう。
今日はここまで。
08. たったひとつの冴えたやりかた
男の子にはみんな、ヒーロー願望がある。
世界のピンチに立ち上がり、悪を倒すのだ。
勝利と引き替えに自分も死ぬパターンや、可愛い女の子に抱きつかれて平和に終わるパターン。
いろんなドラマ進行はあるだろうけど、でもヒーロー願望だけは共通している。
ほとんどの男の子が持っている。
幼稚園児なら九割ぐらい持っているだろう。
小学校三年でも半数近くは、まだ夢見ているはずだ。
しかし、小学六年ではどうだろう?クラス男子のほとんどは、もうアニメや戦隊ヒーローから卒業してる。いつまでもそういう「ガキっぽい」夢に浸るなんてかっこわるいじゃないか。
そうだね。ヒーローなんてガキっぽい。
でも見渡すと、そこには「正義」がないクラスが広がっている。
なんでみんなであいつを無視するんだろう?
なんであいつはいじめられてるのに無理やり笑って、僕もおかしくもないのに笑おうとしちゃうんだろう?
ガキっぽいヒーローものの世界を卒業すると、そこには「正義も何もない」世界が広がっていた。
普通、人はここで「適応」する。
「成長」と言い換えることもできるだろう。
単純な、ヒーロー番組のような「正義」なんか存在しない。
人間関係は複雑系の問題であり、心理学や社会学や組織力学の問題だ。
大人になろう。夢想は退行であり、負け犬の隠れ家だ。
僕たち男性は、そうやって「男の子」から卒業する。
きっと、女の子は逆なんだろうね。「女の子」という枠をゆっくりはめられて、その中の競争やゲームに参加するように求められる。
「女の子」になる前の世界に、なにか置いてきてしまうような感覚があるんじゃないのかな?
それを「適応」とか「成長」って呼んだりしていない?
僕は女の子じゃないから、よくわかんないんだけど。
いやいや、ゴチャゴチャ書きすぎた。
ごめん、昨日の話の続きだよね?
そう、マイケル・ジャクソンの話の続きだ。
マイケルは、彼の歌とコンサートツアーの力で、地球の環境破壊を止められると本気で信じていた。
理屈もへったくれもあったもんじゃない。
「狂った」男だから、そんな夢を信じることができた。
マイケルは「世界を救える」と本気で信じていた。
だから、どんな成功を収めても幸せじゃなかったろう。
自分のやってることで、世界を救いつつある。
この実感が感じられる時だけが、マイケルが満足できる瞬間だ。
うん、知ってるよ。その感じ。
誇大妄想とか自意識過剰とか人は笑うだろうけど、その気持ちや焦り、僕は知っている。
だって、僕も同様に「狂った」男だから。
僕の目標はマイケルよりずっとささやかだ。
「人類の苦痛の0.3%を軽減すること」
これが僕の目標だ。
夢じゃない。夢だったらもっと壮大な、現実不可能なことを言うよ。
単に目標なんだ。自分の寿命がある間に果たすべき宿題。
それが「人類の苦痛の0.3%の軽減」だ。
たった0.3%。これなら充分に狙える。勝算がある。
僕の狂った頭はそう告げる。
人類を幸せにすること、じゃない。それは宗教の役割だ。
人類を不幸から救うこと、でもない。それは政治の役割だ。
いまみんなが生きている中で「ムダな苦痛」が存在する。それはちょっとしたコツや考え方の切り替えで、急に楽になる。楽になったような気がする。その程度でかまわない。
不可能に聞こえるだろうか?
いや、僕には充分可能な範囲だと思えるよ。
たとえばレコーディングダイエット。このメソッドで痩せた人はおそらく10万人前後だろう。
知ってるかな?いまメキシコでは糖尿病患者が凄まじい勢いで増えている。15年前は統計値にあらわれなかったのに、現在メキシコ人口の1/7以上が2型糖尿病患者だ。(日経サイエンス2007年12月号)
糖尿病は本人だけではない。家族にも負担を強いる。病気が進行すると目が見えなくなり、足を切断しなければいけない場合もある。4人家族の場合、一人が糖尿病になって悪化すると、家族4人とも暗い家庭になってしまいがちだ。
だから、僕はレコーディングダイエット普及で10万人前後が痩せた、ということを「10万家族=40万人前後が不幸からあるていど遠ざかった」と考えている。
肥満は贅沢病と考えられているけどそうじゃない。現在、地球の飢餓人口は8億人。この40年で1/4以下に激減し、今なお減り続けている。しかし肥満に苦しむ人口は13億人以上で、この数字は増える一方。しかも経済後進国ほど肥満人口が多い。(同じく日経サイエンスより)
世界を苦しめているのは、飢えよりは肥満なんだ。
だから僕は、自分のダイエット法が普及することを心から願っている。本だけでは10%程度の成功率だから、このサイトで常連の人が励ましやアドバイスのコメントしてくれてるのを見ると、「このサイクルを世界に広げられないか?」と考えてしまう。
そうすれば、世界の苦痛の0.3%に手が届くのに。
『オタク学入門』という本を僕は書いた。
発売当時、日本のオタクたちは不当に差別されていた。もちろんこの本で差別は無くせない。彼らの悔しさや悲しみの助けになったとも言わない。でも「差別感」をほんの少しだけ軽減させたのは事実だ。
当時のオタクたちの心をほんの数%だけ支えた、と言ってもかまわないと思う。
僕がいま朝日新聞で「悩みのるつぼ」で答えてる時の論理法や考え方。これも「人生をほんの少し楽にする」思考法だ。
『フロン』で展開した「女性の内面をエミュレートするオカマエンジン」にしても、『人生テスト』で紹介した「わからない人がわかる」4タイプ判別法も、いまイベントで紹介しているノート術も、ベースはみんな同じ。
その人の不幸や、たとえば貧困はどうにもならないかも知れない。
でも、そういう毎日をほんの少し「楽な気がする」程度には持っていける。
それにね、ダイエット本を出版してわかったことがあるんだ。
自己管理に成功すると人は自信を持つ。
ダイエットに成功することで、人生に前向きになれる人ってすごく多いんだよ。
余計なプライドを背負い込んで傷ついてる人はあんがい多い。
プライドって「実績のない自信」のことなんだよ。
「未来から実績を借り入れして、無理やり自信を保ってる状態」、それがプライドが高い、という状態だ。
でもダイエットに成功すると、人は「実績」を感じる。プライドは自信に変わる。
自信が持てると、人は元気になれるんだよね。
元気になれるだけでいい。それだけで人類の苦痛の0.3%は軽減できる。
人類の歴史から貧困は無くせないだろう。でも貧しい家庭にも笑顔はある。
楽しく生きる手助けができれば、今日の心配をほんの少しでも軽減できれば充分じゃないの。
それが僕の本の目指している視点の切り替え、多様な視点の提供だ。
「ノート術」「ダイエット」「論理的思考」「話術」「オタク学」「評価経済への移行」
いろんな形があるけど、それらはすべてメソッドや考え方に過ぎない。
ベースにあるのは「ちゃんと理屈が使えれば大丈夫だよ」「理屈を使って、感情を幸せにしてあげよう」という価値観だ。
この価値観の使い方、それぞれのジャンルにメソッドとして落とし込んでツール開発(著作やマニュアル)を続ければ、まぁ「苦痛の0.3%緩和」ぐらいは可能じゃないの?
たった0.3%と言われるかも知れないけど、男子一生の仕事としては、そこまでやれば充分だろう。
それ以上の実現不可能な数値を目指したら、それこそ誇大妄想狂だよね。
僕は狂っているけど、そんな計算だけは得意なんだ。
狂ってるだけで、バカじゃないからね(笑)
でもね、なんだか間に合わない気がしてきた。
前にも書いた出版界の低迷、というよりはっきり言うと沈没という情況。
不況というより「経済的テロ」と言った方が正しいような、一人の成功者を生み出すために多数の破産者を出すネット資本主義。
経済が、なにかおかしくなっている。
第二次大戦後、日本人が盲信できた「豊かになるには一生懸命働けばいい」が通用しなくなり、バブル崩壊後に信じられた「勝ち組に入るには、チャンスを掴んで抜け目なくすればいい」もすでに通用しない。
キャリアアップ?自己投資?
それって大地震が起きてる最中に、健康のためジョギングするようなものじゃないの?
いま一流企業・大企業と言われている会社で、はたして5年後も大規模リストラしないと言い切れる会社が何社あるだろうか?
ここまで激しい不安定さ、まったく安定感のない情況を「不況」などと言っていいんだろうか?
僕はこれまで、自分の目標である「苦痛の0.3緩和」は可能だと思っていた。でもそれは、世界がある程度平和で安定している状態であってこそ、だ。
でももし、いま貨幣経済社会ぜんぶが沈没しつつあるなら、その中で0.3%程度の持ち直しを図っても意味ないじゃないか。それこそ「大地震の最中に、健康のためジョギングする」みたいな行為だ。
じゃあ、どうする?
八方ふさがりだ。
本は売れない。もうすぐ自分自身も経済的に苦しくなるだろう。
世界経済はますます不安定になる。ちょっとばかし改善したからといっても焼け石に水だ。
せめてダイエットやノート術だけでも、ネットで無料で提供できないだろうか?そのための知識が僕にはない。勉強したけど無理だった。
セミナーや塾や通信教育や家元制度、ぜんぶ考えてみたけどすべて一長一短だ。
なにより「僕のメソッドを必要としてる人ほど、金銭的に余裕がない」んだよね。
世界を救うどころじゃない。
僕がピンチだ。
マイケルを可哀相がってるヒマなんかあるはずない!
これがこの二年、僕が考え続けていたことだ。
世界の危機と、自分の危機。
どっちも解決不可能に思えたけど、どっちも手放すわけにはいかない。
にっちもさっちもいかなくなった僕に天啓を与えてくれたのは、一冊の本と一人のスーパーハッカー、そして一つのシステムだった。
『FREE』と
『小飼弾』と
『twitter』。
一つだけじゃダメだ。二つでも足りない。
この三つが目の前にほとんど同時にあらわれて、僕はついに発見した。
「たった一つの冴えたやりかた」を発見したんだ。
今日はここまで。続きはまた明日ね。
今回のBGMは「小さなスーパーマン ガンバロン」だよ。