毎日新聞「異論反論」欄に8月11日寄稿した原稿。
メイキングはまた後日。
●平均寿命更新の日本、老後はどうする?
という編集部からの問いに対する原稿です。
私たちは充分に豊かになった。科学と金の力をフルに使えば、誰もがその寿命を生物の限界まで延ばせる。誰もが平均寿命くらいは生きられるだろうと考えている。「当然の権利だ」と思っている。
求めるものは寿命だけではない。「せめて、今くらいの生活」を無意識に想定する。
つまり老後とは、「せめて平均寿命まで、という期間」×「せめて今ぐらいの生活レベルにかかる費用」という、二つの権利が掛け算されるのだ。
当然だが、とんでもない金額になる。支払える人は少数派だ。おめでたい話であるはずの「平均寿命の延び」は、たちまち経済問題に早変わりしてしまう。
どうすればいいのか?
面白い調査がある。専業主婦の家事労働に給料を払うとすると、いくらになるのか?
諸説あるが月給60万円相当、というのが目安になっている。これを実際に支払える男性は少ないだろう。つまり結婚・家庭とは、実は経済社会では成立しないシステムなのだ。
なのに「老後」を福祉予算や介護手当拡大などの経済政策で解決しようとするから、無理が生じる。この問題も「経済から脱出した」やり方に突破口があると思う。
だからといって家族に高齢者の世話を丸投げしてもダメだ。すでに血縁の信頼システムは崩壊している。親戚から金を借りて返さない。実際の息子に振り込み詐欺をかけられた。保険や金融の勧誘で親戚を食い物にする。血縁詐欺がニュースを賑わす時代である。いまや血縁=信用を意味はしない。
家族じゃないけど、経済以外の部分でも繋がっている関係。「血縁ではない家族」という形を考えてみよう。
自分の悩みを家族よりネットで知り合った見知らぬ人に打ち明ける。遠い親戚よりも、ネットでしょっちゅう会話してる方が気持ちが近い。 これはすでに定義を拡張した家族、拡張型家族だ。
では、この拡張型家族をネットだけでなくリアルの世界に広げるとどうなるか?
才能のある学生を援助し、格安の家賃で自宅に住まわせる。シングルファーザー、マザーの家に同居し、かわりに子供のめんどうもみる。独りで住むには手広のマンションのひと部屋を、まだ給料が少ない若者に渡し、自分は週何回か食事の支度をする。
「部屋を貸して家賃収入を得る」という経済関係ではない、「じいや・ばあや」という疑似家族的な関係。こんな新しいような、古いような拡張された人間関係を、これからは発想に入れるべきだろう。
単なるルームシェアではない。「家族シェア」を視野に入れた人生設計。
結婚をあきらめ老後を生き抜く経済力を求めるより、こっちがずっと現実的ではないか。